出典:http://www.nikkansports.com/
未だに西武ライオンズとの遺恨が残る伊東監督について調べてみました。
まずはプロフィールをご覧ください。
伊東 勤(いとう つとむ)
生年月日 | 1962年8月29日(53歳) |
出身地 | 熊本県熊本市 |
身長 | 181cm |
体重 | 84kg |
ポジション | 捕手 |
投打 | 右投右打 |
プロ入り | 1981年 ドラフト1位 |
ロッテ伊東勤監督の現役時代の成績、年俸推移、現役時代のエピソード
1981年 (19歳) ドラフト1位 契約金5千万
年度 | 試合数 | 打率 | 打点 | 本塁打 | 盗塁 | 年俸 |
1982年(20) | 33 | .242 | 1 | 0 | 0 | 300万 |
1983年(21) | 56 | .194 | 6 | 0 | 3 | 480万 |
1984年(22) | 113 | .284 | 44 | 10 | 20 | 620万 |
1985年(23) | 124 | .258 | 62 | 12 | 13 | 1300万 |
1986年(24) | 129 | .234 | 40 | 11 | 18 | 2900万 |
1987年(25) | 124 | .247 | 51 | 10 | 7 | 3300万 |
1988年(26) | 129 | .252 | 56 | 11 | 2 | 4500万 |
1989年(27) | 117 | .235 | 35 | 9 | 3 | 5500万 |
1990年(28) | 119 | .284 | 43 | 11 | 4 | 5100万 |
1991年(29) | 124 | .212 | 44 | 8 | 3 | 7700万 |
1992年(30) | 124 | .263 | 49 | 4 | 10 | 1億0000万 |
1993年(31) | 128 | .224 | 39 | 7 | 6 | 1億2000万 |
1994年(32) | 113 | .254 | 53 | 8 | 17 | 1億8000万 |
1995年(33) | 125 | .246 | 43 | 6 | 9 | 2億0000万 |
1996年(34) | 92 | .258 | 26 | 6 | 2 | 1億9000万 |
1997年(35) | 129 | .280 | 56 | 13 | 5 | 1億7800万 |
1998年(36) | 114 | .243 | 38 | 8 | 4 | 1億7800万 |
1999年(37) | 95 | .287 | 24 | 3 | 1 | 1億7800万 |
2000年(38) | 94 | .212 | 19 | 5 | 3 | 1億7800万 |
2001年(39) | 106 | .203 | 20 | 2 | 1 | 1億3500万 |
2002年(40) | 118 | .255 | 50 | 8 | 3 | 1億1000万 |
2003年(41) | 73 | .168 | 12 | 3 | 0 | 1億1000万 |
通算:22年 | 2379 | .247 | 811 | 156 | 134 | 21億740万 |
*ベストナイン:10回、ゴールデングラブ賞:11回
身長 181 cm
体重 84 kg
打つ方で特筆する数字はございませんが、
伊東選手といえばとにかくディフェンス力。
ベストナイン10回、ゴールデングラブ11回と
キャッチャーとして非常に素晴らしい成績を残しました。
盗塁阻止に関しては飛び抜けた数字を残してませんが、
安定感のある送球には定評がありました。
そして緻密で複雑な配球が有名ですね。
その複雑さゆえに、投手とぶつかることもあったようです。
ロッテ伊東勤監督の嫁や子供、性格は?
家族構成は奥さんと双子のお子さんがいらっしゃいます。
しかもお子さんは男女の双子とのことで、
なかなか珍しいケースですね。
奥さんにも赤いバラをプレゼントしたりと、愛妻家としても知られ、
こちらも野球界ではかなり珍しい存在かと思われます。
不倫の報道も見つかりませんでしたが、
緻密な計画や行動でごまかしているのでは?
伊東監督を語る上では、輝かしい成績を残した西武ライオンズと
完全決別したことが大事なエピソードの一つです。
監督時代の補強でもめたことから始まったと伝えられております。
そして現在も遺恨が残る大きな事件が2007年10月5日に起こりました。
西武との確執
西武ライオンズの監督としての最後の試合、
球団からの感謝やねぎらいの言葉を掛けられることもなく、
セレモニーの花束も用意されませんでした。
なんと自ら花束を購入し、
当時のソフトバンク・王監督に花束を渡して頂けるよう頼み込み、
後に自作自演と言われるセレモニーを行いました。
選手として黄金時代からの不動の正捕手、球団が守るべき宝に、
屈辱を与えた西武球団には野球ファンも残念な気持ちにさせられました。
このような球団の対応は許せないですし、本当に大人げないと思います。
さすが清原氏をわがまま放題させ、結果的に覚醒剤に溺れさせた球団ですね。
当時のファンが伊東監督に「また西武に帰って来てください!」
と温かい声を掛けましたが、「残念ながら、絶対ないです。」
と冷たい返答をしたそうです。
よっぽど悔しい想いがあったと感じられます。
伊東監督率いる千葉ロッテマリーンズにはもう一人、
確執問題を抱える選手がいます。
これは西武球団とは関係がありませんが、
涌井投手が「成瀬投手(現ヤクルトスワローズ)がムカつく」と公に発言しております。
これはネタのような感じではなく、
本気で発言したようで、周りもかなりドン引きでした。
この確執を紐解けば、二人は横浜高校の先輩後輩関係にあたり、
後輩の涌井投手が高校時代にビンタされたり、
正座させられたりとゆう背景があるようです。
少し話は逸れましたが、その涌井投手は西武時代から
伊東監督が育て上げたエースで、開幕投手に指名されております。
伊東監督は西武ライオンズに、涌井投手は成瀬投手に、執念を燃やしリーグ優勝。
そして日本シリーズで成瀬投手率いるヤクルトと対戦し、
日本一になれば二人の確執も少しは和らぐかもしれません。