黒澤 俊夫(くろさわ としお)
生年月日 | 1947年6月23日(満33歳没) |
出身地 | 大阪府 |
身長 | 174cm |
体重 | 68kg |
ポジション | 外野手 |
投打 | 左投左打 |
プロ入り | 1936年 |
永久欠番はその背番号をつけていた選手の功績をたたえ、以降誰もつけることがない番号。
巨人では1番が王貞治選手、3番が長嶋茂雄選手、14番が沢村栄治選手が有名ですが、意外と知られていないのが4番。
永久欠番となっているこの背番号を付けていた選手とは?
巨人軍永久欠番4の黒沢俊夫選手ってどんな人?
背番号4・黒澤俊夫選手
かつて巨人の背番号4をつけていた選手、それは黒沢俊夫選手です。
名前を聞いても果たして誰のことか分からない方も多いでしょう。
黒沢俊夫選手は大阪府出身で、関西大学を経て、1936年に名古屋金鯱軍という球団に入団しました。
日本が戦争の渦中にあった1944年に巨人に移籍し、中心選手として活躍しました。
プロ通算で484試合、459安打、7本塁打、打率.259とけして目立った成績は残していません。
プロ通算10個のホームスチールが史上2位となっていることくらいでしょうか。
そんな黒沢俊夫選手がつけていた背番号4がなぜ永久欠番になったのか…
それは1947年のシーズン中に、腸チフスという病に倒れ、現役選手にもかかわらず、33歳という若さで急死するという事態になったためです。
巨人在籍はわずか3シーズンでしたが、戦争の最中に球団初のトレードでの巨人入団、そして戦中、戦後と打線の主軸を担ったこと…
戦争による徴兵、家庭の事情などによりチームを離れた選手が多かった中で、それでも巨人を支えたことに対する敬意を払って、チームメイトが提案したことで、背番号4は永久欠番となりました。
黒沢俊夫選手がいなかったら巨人は果たしてどうなっていたか、今に至る礎を築いた選手なのです。
年度別打撃成績
年度 | 試合数 | 打率 | 打点 | 本塁打 | 盗塁 | OPS |
1936春夏 | 12 | .313 | 5 | 0 | 3 | .796 |
1936秋 | 25 | .247 | 7 | 0 | 4 | .666 |
1937春 | 56 | .295 | 16 | 1 | 17 | .803 |
1937秋 | 48 | .279 | 26 | 2 | 15 | .838 |
1940 | 53 | .225 | 28 | 1 | 2 | .593 |
1941 | 40 | .197 | 5 | 0 | 3 | .505 |
1943 | 84 | .190 | 32 | 0 | 4 | .523 |
1944巨人 | 35 | .348 | 17 | 0 | 14 | .898 |
1946巨人 | 105 | .308 | 60 | 3 | 18 | .804 |
1947巨人 | 26 | .200 | 5 | 0 | 0 | .515 |
通算:8年 | 484 | .259 | 201 | 7 | 80 | .697 |
読売ジャイアンツ永久欠番
打者通算成績
背番号 | 選手 | 制定日 | 試合数 | 打率 | 打点 | 本塁打 | 盗塁 | OPS |
1 | 王貞治 | 1989/03.16 | 2831 | .301 | 2170 | 868 | 84 | 1.080 |
3 | 長嶋茂雄 | 1974/11.21 | 2186 | .305 | 1522 | 444 | 190 | .919 |
4 | 黒沢俊夫 | 1947/07.09 | 484 | .259 | 201 | 7 | 80 | .697 |
16 | 川上哲治 | 1965/01.18 | 1979 | .313 | 1319 | 181 | 202 | .850 |
背番号1・王貞治選手と背番号3・長嶋茂雄選手
背番号16・川上哲治選手
投手通算成績
背番号 | 選手 | 制定日 | 登板 | 防御率 | 勝敗 | 投球回 | 三振 | WHIP |
14 | 沢村栄治 | 1947/07.09 | 105 | 1.74 | 63勝22敗 | 765.1 | 554 | 1.03 |
34 | 金田正一 | 1970/04.02 | 944 | 3.50 | 400勝298敗 | 5526.2 | 4490 | 1.07 |
背番号14・沢村栄治投手
背番号34・金田正一投手
現プロ野球界に永久欠番になれる選手はいるのか?
近年ではめっきりその数を減らしている永久欠番。
最近では2012年7月4日に、埼玉西武の背番号「24」が稲尾和久投手の永久欠番となることになりました。
選手、監督時代にもつけていた背番号ですが、やがて「24」は秋山幸二選手らが使用しましたが、生誕75周年を迎えたことで永久欠番となったのです。
西武前進の西鉄ライオンズ 背番号24・稲尾和久投手
投手通算成績
背番号 | 選手 | 制定日 | 登板 | 防御率 | 勝敗 | 投球回 | 三振 | WHIP |
24 | 稲尾和久 | 2012/07.04 | 756 | 1.98 | 276勝137敗 | 3599.0 | 2574 | 0.99 |
最近では永久欠番に相応しい活躍をしても、選手自身が固辞するケースも増えています。
そのため、今後はいきなり永久欠番になるよりは、むしろ稲尾和久投手のように、後になって、その栄光をたたえて永久欠番とするというケースが増えてくるのではないでしょうか。
例えば、イチロー選手がオリックス時代につけていた「51」や、松井秀喜さんが巨人時代につけていた「55」も永久欠番の有力候補でしょう。
背番号51・イチロー
背番号55・松井秀喜
永久欠番候補の野手・日米通算成績
背番号 | 選手 | 球団 | 試合数 | 安打 | 打率 | 打点 | 本塁打 | 盗塁 | 三振 |
51 | イチロー | オリックス | 3308 | 4268 | .325 | 1267 | 231 | 697 | 1343 |
55 | 松井秀喜 | 巨人 | 2504 | 2643 | .293 | 1649 | 507 | 59 | 1623 |
中日は昨季限りで50歳で引退した山本昌さんの背番号「34」も、永久欠番の候補に相応しかったのではないでしょうか。
現在は別の投手がつけている背番号「34」も、後々は永久欠番になるかもしれません。
背番号34・山本昌
また広島の黒田博樹投手の背番号「15」もいずれはその有力候補になってくるのではないでしょうか。
背番号15・黒田博樹
永久欠番候補の投手・通算成績
背番号 | 選手 | 球団 | 登板 | 防御率 | 勝敗 | 投球回 | 完封 | 三振 | 自責点 |
34 | 山本昌 | 中日 | 581 | 29.2 | 219勝165敗 | 3348.2 | 30 | 2310 | 1285 |
15 | 黒田博樹 日米 | 広島 | 523 | 3.51 | 199勝180敗 | 3278.0 | 20 | 2402 | 1277 |