2013年10月、野球日本代表・侍ジャパンの監督として小久保裕紀監督が誕生しました。
監督はおろか、コーチなどの指導者としても経験もなかったものの、それでも日本代表の監督に選ばれたのはなぜでしょうか?
小久保裕紀監督の経歴から振り返るとともに、その素質に迫ってみましょう。
小久保裕紀の性格・現役時代の経歴
小久保 裕紀(こくぼ ひろき)
生年月日 | 1971年10月8日(44歳) |
出身地 | 和歌山県和歌山市 |
身長 | 182cm |
体重 | 87kg |
ポジション | 内野手 |
投打 | 右投右打 |
プロ入り | 青山学院大〜1993年 ドラフト2位(逆指名) |
小久保裕紀監督は1971年10月8日、和歌山県出身の44歳。
日本代表監督としては非常に若い青年監督です。
侍ジャパン歴代監督
名前 | 出場 | 当時年齢 | 成績 | |
---|---|---|---|---|
王 貞治 | WBC2006 | 65 | 優勝 | 5勝3敗 |
原 辰徳 | WBC2009 | 50 | 優勝 | 7勝2敗 |
山本 浩二 | WBC2013 | 66 | ベスト4 | 5勝2敗 |
小久保 裕紀 | – | 44 | – | – |
高校は、甲子園春夏合わせて4回の出場を誇る和歌山県・星林高等学校。
小久保裕紀監督自身の甲子園経験は、ありません。
東都の青山学院大学に進学し1993年には小久保裕紀監督が主将となり、初の大学野球日本一に貢献。
1992年開催のバルセロナ五輪にも大学生では唯一、バルセロナ五輪の日本代表に選出され、2本塁打を記録し銅メダルを獲得に貢献。
青山学院大打撃成績
試合数 | 打率 | 本塁打 | 打点 |
---|---|---|---|
40試合 | .291 | 8 | 23 |
青山学院大在籍時の1993年のドラフト2位で、当時の福岡ダイエーに入団しました。
1993年 ドラフト
1位 | 渡辺 秀一 | 投手 | 神奈川大学 |
2位 | 小久 保裕紀 | 内野手 | 青山学院大学 |
3位 | 吉本 一義 | 投手 | 大阪経済法科大学 |
4位 | 吉武 真太郎 | 投手 | 国東高 |
5位 | 澤田 剛 | 投手 | 函館有斗高 |
その後2004年には巨人に無償トレードで移籍し、2007年からは福岡ソフトバンクに復帰し、2012年まで18年間にわたってプレーしました。
プロ2年目の1995年には早くも28本塁打で本塁打王を獲得。
1997年には打点王も獲得し「ミスターホークス」の愛称で多くのファンから親しまれました。
年度別打撃成績
1993年 (22歳) ドラフト2位(逆指名) 契約金1億6000万円
年度 | 試合数 | 打率 | 打点 | 本塁打 | 盗塁 | 年俸 |
---|---|---|---|---|---|---|
1994年(23)ダイエー | 78 | .215 | 20 | 6 | 2 | 1200万 |
1995年(24) | 130 | .286 | 76 | 28 | 14 | 1500万 |
1996年(25) | 126 | .247 | 82 | 24 | 7 | 5000万 |
1997年(26) | 135 | .302 | 114 | 36 | 4 | 5000万 |
1998年(27) | 17 | .225 | 11 | 2 | 0 | 9500万 |
1999年(28) | 130 | .234 | 77 | 24 | 4 | 8000万 |
2000年(29) | 125 | .288 | 105 | 31 | 5 | 7600万 |
2001年(30) | 138 | .290 | 123 | 44 | 6 | 1億8000万 |
2002年(31) | 136 | .292 | 89 | 32 | 8 | 2億4000万 |
2003年(32) | – | – | – | – | – | 2億1000万 |
2004年(33)巨人 | 125 | .314 | 96 | 41 | 0 | 2億1000万 |
2005年(34) | 142 | .281 | 87 | 34 | 1 | 2億4000万 |
2006年(35) | 88 | .256 | 55 | 19 | 1 | 3億0000万 |
2007年(36)Sバンク | 124 | .277 | 82 | 25 | 2 | 3億0000万 |
2008年(37) | 106 | .253 | 56 | 20 | 1 | 3億0000万 |
2009年(38) | 144 | .266 | 81 | 18 | 2 | 3億0000万 |
2010年(39) | 112 | .279 | 68 | 15 | 1 | 3億0000万 |
2011年(40) | 98 | .269 | 48 | 10 | 0 | 3億0000万 |
2012年(41) | 103 | .239 | 34 | 4 | 0 | 3億0000万 |
プロ通算:18年 | 2057 | .273 | 1304 | 413 | 58 |
そんな小久保裕紀監督は、現役時代から強いリーダーシップがあり、野球に対しては非常に真面目でストイックであると言われていまた。
チームメイトからも慕われ、2006年には移籍先の巨人でも主将を務めたほどでした。
歴代巨人主将
代 | 選手 | 年齢 | 期間 |
---|---|---|---|
13代 | 長嶋 茂雄 | 35 | 1971 |
14代 | 王 貞治 | 32 | 1972〜1975 |
15代 | 柴田 勲 | 32 | 1976 |
16代 | 吉村 禎章 | 35 | 1998 |
17代 | 小久保 裕紀 | 35 | 2006 |
18代 | 阿部 慎之助 | 28 | 2007〜2014 |
19代 | 坂本 勇人 | 25 | 2015〜 |
2004年に巨人へ無償トレードで移籍した際は、当時ダイエーのチームメイトから不満や怒りが噴出するだけでなく、チームの優勝旅行ですら選手がボイコットするほど。
▲小久保裕紀選手のトレードを発表するダイエーの中内正オーナー
それくらい、小久保裕紀監督は多くの選手から厚い信頼を得ていたのです。
「小久保移籍」のニュースはダイエーナインにも大きな傷跡を残した。この日、主砲を無償で巨人に放出するという前代未聞のトレードを伝え聞いた選手たちには驚きと怒りを隠せなかった。
選手会長の松中は、球団の対応に「ふざけるなと言いたい」と怒り心頭の様子だった。優勝パレード翌日に選手間に走った衝撃は、球団に対する不満の声として一気に噴出した。
野球に関してはとにかく練習の虫で、選手の中でもとりわけ早く球場入りし、最後の最後まで練習に明け暮れていました。
その練習の成果が、プロ通算413本塁打という生涯成績にも現れているのです。
妻(奥さん)と子供(息子・娘)の年齢・職業?
小久保裕紀監督は現在独身です。
しかし、かつてはない結婚していました。
1995年に結婚した奥さんとの間に一男一女をもうけましたが、2009年に離婚し、2人のお子さんは奥さんが引き取りました。
実は、離婚した原因は小久保裕紀監督自身の不倫にあったとされています。
当時、女子アナと不倫していましたが、その後も何かと女性とのウワサはあるようです。
▲噂のお相手TVQ九州放送のアナウンサー立花麻理さん。
現在、独身だけに、女性との交際は問題ありませんが、何かと女性のウワサが多いだけに、再婚に至ることもあるかもしれません。
指導者としての素質は?
小久保裕紀監督は侍ジャパンの監督に就任して、丸3年となりました。
就任当時は監督・指導者の経験もないままに、いきなり大役を任されたわけですが、それはプロ野球界から絶大な信頼を得ていること、そして多くの選手からの人望も厚いということが大きな理由だったのでしょう。
侍ジャパンの采配に関しては、とりわけ投手起用に関して、「なぜそこで好投している投手を交代させるんだ」と批判を浴びたこともありました。
確かに野手出身の選手だけに、投手の起用に関しては難しい側面もあったかもしれませんが、交代させる投手も信頼して送り出していると強く強調するほど、選手との信頼関係が出来ていたのでしょう。
采配に関しては批判を浴びることはあっても、選手との信頼関係が出来ているという点では、監督として有能と言えるかもしれません。
2015 WBSCプレミア12
順位 | 試合数 | 勝 | 負 | 得点 | 失点 |
---|---|---|---|---|---|
3位 | 8 | 7 | 1 | 51 | 18 |
就任3年を過ぎたこともあって、そろそろ采配面での能力があるかどうかが見えてくる時期でもあるでしょう。
2017年には、ワールド・ベースボール・クラシックも控えているので是非頑張って頂きたいですね!
まとめ
若き代表監督である小久保裕紀監督。
41歳で侍ジャパンの代表監督に就任するくらいですから、よほどプロ野球界では人望が厚いのでしょう。
それは現役時代からもうかがい知ることができます。
その人望の厚さ、そして選手との信頼関係の充実ぶりが、めったに一堂に会することがない日本代表メンバーの心を1つにすることが出来るのでしょう!
それが可能な監督となると、やはり小久保裕紀監督しかいないのかもしれません。
采配面で新境地を見せることが出来れば、侍ジャパンはチームとして飛躍することが出来るのではないでしょうか。