若大将原辰徳の現役時代は?監督成績・野球殿堂入り候補に

原辰徳氏と言えば現役時代に「若大将」として活躍され、現役引退後もコーチや監督を務めてきたことで知られています。

監督になってからの成績も素晴らしいものがありますし、野球殿堂入りの候補にも挙げられていますね。

今回はそんな原辰徳氏についてご紹介させていただきましょう!

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原辰徳の経歴・生い立ち

原辰徳氏は神奈川県相模原市出身で、今年で58歳になります。

幼少の頃は福岡県の大牟田市で過ごし小学校2年の時に父親が東海大学附属相模高校の監督に就任したのを機に神奈川県厚木市へ転居することになりました。

原 辰徳(はら たつのり) -選手歴:読売ジャイアンツ (1981 – 1995)

原辰徳(読売ジャイアンツ)巨人

生年月日 1958年7月22日(58歳)
出身地 神奈川県相模原市
身長 181cm
体重 88kg
ポジション 内野手
投打 右投右打
プロ入り 東海大学〜1980年巨人ドラフト1位
NPB通算:15年 試1697 率.279(6012打数1675安打)本382 点1093 盗82

原辰徳さんのお父さん貢(みつぐ)さんのプロフィールはこちら

原 貢(はら みつぐ) -監督歴:三池工〜東海大相模〜東海大学

原貢(東海大相模)監督

生年月日 1935年3月30日(満79歳没)
出身地 佐賀県神埼郡三田川町(現・吉野ヶ里町)
選手歴 佐賀県立鳥栖工業高〜立命館大学〜東洋高圧大牟田
備考 前読売ジャイアンツ監督の原辰徳は息子
読売ジャイアンツ投手の菅野智之は孫(娘の子)

東海大相模高校時代

原辰徳さんは、父貢さんが監督を勤める東海大相模高校へ1974年に入学。

「親子鷹」としても話題になるが野球部内では親子の関係を一切断ち切るなど厳しい条件を押し付けたようです。

1年時から三塁手としてレギュラーになり夏の甲子園に3年連続での出場を果たし4度の甲子園を経験しています。

第56回全国高校野球選手権大会 (1974年)東海大相模・原選手1年生時の試合結果

回戦 対戦校 勝敗
二回戦 土浦日大(茨城) (延長16回)3-2
三回戦 盈進(広島) 13-6
準々決勝 鹿児島実(鹿児島) (延長15回)4-5

原辰徳(東海大相模)巨人

地区大会でありながら客席を満員にしていたというエピソードからはすでにスター性を備えていたことが窺えるところでしょう!

第47回選抜高校野球大会 (1975年)東海大相模・原選手2年生時の試合結果

回戦 対戦校 勝敗
二回戦 倉敷工(岡山) 1-0
準々決勝 豊見城(沖縄) 2-1
準決勝 堀越島(東京) 6-2
決勝 高知(高知) (延長13回)5-10

原辰徳(東海大相模)巨人

第57回全国高校野球選手権大会 (1975年)東海大相模・原選手2年生時の試合結果

回戦 対戦校 勝敗
二回戦 松商学園(長野) 5-3
三回戦 三重(三重) 7-3
準々決勝 上尾(埼玉) 4-5

もちろん実力も折り紙付きであり高校通算44本の本塁打を放つ等、素質も十分。

主な高校生強打者の通算本塁打

名前 通算 経歴
山崎 武司 56 愛工大名電-中日-オリックス
大久保 博元 52 水戸商-西武-巨人
岸川 勝也 46 佐賀北-南海(ダイエ-)-巨人-横浜
原 辰徳 44(甲-1) 東海大相模-東海大-巨人
駒田 徳広 43 桜井商-巨人-横浜
谷繁 元信 42 江の川-大洋(横浜)-中日
石井 浩郎 32 秋田-早大-近鉄-巨人-ロッテ-横浜

当然、高校3年時にあった1976年のドラフトでも注目される存在となりました。

第58回全国高校野球選手権大会 (1976年)東海大相模・原選手3年生時の試合結果

回戦 対戦校 勝敗
一回戦 釧路江南(北海道) 5-0
二回戦 小山(栃木) 0-1

原辰徳(東海大相模)巨人

この当時はプロ入りを拒否、東海大学への進学を決めていました。

東海大相模高校時代 公式戦打撃成績

年度 試合 打率 安打 本塁打 打点 盗塁
1974~76年 57 .368 182/67 9 45

原辰徳(東海大学)巨人

東海大学時代

その後、東海大学に進学した原氏は1年時こそ思うような成績は残せなかったものの、7度のベストナインの獲得、打撃部門3冠王も2度獲得。

原辰徳(東海大学)巨人

同年代にに在籍していた法政大学の江川卓氏と対戦。

本塁打を含む4打数2安打も記録しています。

江川 卓(えがわ すぐる) -読売ジャイアンツ(1979 – 1987)

江川卓(法政大学)巨人

生年月日 1955年5月25日(61歳)
出身地 福島県石城郡好間村 (現:いわき市)
身長 183cm
体重 90kg
ポジション 投手
投打 右投右打
プロ入り 法政大学〜1978年ドラフト1位
NPB通算:9年 登266 防3.02(135勝72敗3セーブ)投1857.1 振1366

大学4年となる1980年には1試合3本塁打を放つなどの活躍も見せ、この年に行われたアマチュア野球選手権大会で大学生からは唯一の代表としても選出されていますね。

東海大学時代 リーグ戦打撃成績

年度 試合 打率 安打 本塁打 打点 盗塁
1977~80年 93 .398 362/144 21 105

原辰徳(ドラフト指名)巨人

1980年ドラフト会議

同年のドラフト会議で巨人が他球団との競合の中、指名権を獲得。

両想いが実り巨人軍の原辰徳が誕生したわけです。

原辰徳(ドラフト)巨人
▲ 藤田元司監督が4球団(巨人、広島、大洋、日本ハム)競合の末に1位クジを引き当て、巨人に入団

ドラフト指名選手

1位 原 辰徳 内野手 東海大学
2位 駒田 徳広 投手 桜井商業高
3位 小原 正行 内野手 臼杵商業高
4位 瀬戸山 満年 内野手 中京高

▲ 名球会入りした駒田徳広氏が投手として同期入団していたのは意外でした。

学生時代の先輩・後輩・同い年の選手は?

東海大相模の同期・後輩

津末英明(東海大相模-東海大学-日本ハム)

森野将彦(東海大相模-中日)

田中広輔(東海大相模-東海大学-広島)

菅野智之(東海大相模-東海大学-巨人)

大田泰示(東海大相模-巨人)

小笠原慎之介(東海大相模-中日) 他

東海大学の先輩・後輩

遠藤一彦(東海大学-横浜大洋ホエールズ )

市川和正(東海大学-横浜大洋ホエールズ )

高野光(東海大学-ヤクルト)

大塚晶則(東海大学-日本通運-近鉄)

平野恵一(東海大学-オリックス)

久保裕也(東海大学-巨人) 他

原辰徳のご家族は?

最後に家族についてですが、嫁さんと長男がいますので、ご本人を含む3人家族ということになります。

原辰徳(嫁:明子)巨人
▲ 奥様は原明子さん。  年齢は64歳なので、原監督より6歳年上になります。

原辰徳の巨人現役時代の活躍

原辰徳氏と言えば、やはり若大将としてのイメージが強く、巨人での活躍が未だに残っている方も多いのではないでしょうか?

原辰徳(読売ジャイアンツ)巨人

22本の本塁打と67打点を記録しての新人王に始まり、翌年にも33本に本塁打数を伸ばした上、最多勝利打点のタイトルを獲得するなどは天性の勝負強さが見て取れます。

1983年には打率3割を記録しての打点王と最多勝利打点、さらにはMVPにも選ばれました!

原辰徳(読売ジャイアンツ)巨人

また、このときは3割30本100打点という今でいえばトッププレイヤーの基準にもなる成績を残していることからも着々とスター街道を登っていたことがわかるのではないかと思います。

1986年には広島・津田選手と対戦した有名なエピソードがありますね。

津田 恒実(つだ つねみ) -広島東洋カープ (1982 – 1991)

炎のストッパー津田投手

生年月日 1960年8月1日(満32歳没)
出身地 山口県都濃郡南陽町(現:周南市)
身長 181cm
体重 79kg
ポジション 投手
投打 右投右打
プロ入り 協和発酵〜1981年広島ドラフト1位
NPB通算:10年 登286 防3.31(49勝41敗90セーブ)投693.0 振542

ファウルした際に左手首を骨折したという出来事があり、原選手本人も「事実上、バッター原辰徳はこの骨折の時に終わりました」と発言するほどの影響を与えたとされていますね。

原辰徳(津田恒実)

また1992年7月5日、神宮球場のヤクルト-巨人戦のバット投げも有名なエピソードのひとつ。

当時33歳の原さんは、故障の影響などで開幕から不調に陥っていたが、「4番・一塁」で先発。

毎度のことスランプだと騒がれ、原限界説すらも流れた程でそれに対する原辰徳さんの想いが爆発した有名なバット投げシーンです。

原辰徳(読売ジャイアンツ)巨人バット放り投げ

NPB年度別打撃成績

1980年(22歳) 巨人ドラフト1位 契約金8000万円

年度 試合数 打率 打点 本塁打 盗塁 年俸
1981年(23) 125 .268(470打数126安打) 67 22 6 840万
1982年(24) 130 .275(494打数136安打) 92 33 11 1440万
1983年(25) 130 .302(500打数151安打) 103 32 9 2700万
1984年(26) 130 .278(468打数130安打) 81 27 7 4300万
1985年(27) 124 .283(441打数125安打) 94 34 7 3870万
1986年(28) 113 .283(406打数115安打) 80 36 7 3870万
1987年(29) 123 .307(433打数133安打) 95 34 7 3870万
1988年(30) 126 .300(467打数140安打) 81 31 5 6000万
1989年(31) 114 .261(395打数103安打) 74 25 3 6600万
1990年(32) 103 .303(366打数111安打) 68 20 6 8000万
1991年(33) 127 .268(455打数122安打) 86 29 5 9400万
1992年(34) 117 .272(437打数119安打) 77 28 4 9900万
1993年(35) 98 .229(336打数77安打) 44 11 3 1億2500万
1994年(36) 67 .290(200打数58安打) 36 14 0 1億1500万
1995年(37) 70 .201(144打数29安打) 15 6 2 1億1500万
プロ通算:15年 1697 .279(6012打数1675安打) 1093 382 82

タイトル・表彰

打点王 1回 (1983年)
新人王 3回(1981年)
ベストナイン 5回 (1983年、1987年、1988年、1990年、1991年)
ゴールデングラブ賞 2回 (1987年、1988年)
月間MVP 3回 (1983年5月、1985年7月、1989年4月)
JA全農Go・Go賞 1回 (最多二・三塁打賞:1992年8月)
後楽園MVP賞 2回 (1983年、1987年)
東京ドームMVP特別賞 2回 (1995年、2014年)
セ・リーグ最優秀監督賞 7回 (2002年、2007年 – 2009年、2012年 – 2014年)
正力松太郎賞 3回 (2002年、2009年、2012年)
世界最優秀監督 1回 (2009年)
ナンバーMVP賞 1回 (2009年)
コミッショナー功労賞 1回 (2015年)
東海大学特別功労賞 1回 (2016年)

各チーム同世代の主砲は?

1980年代〜90年代前半に各チームの主砲をピックアップしてみました。

掛布 雅之(かけふ まさゆき) -阪神タイガース (1974 – 1988)

掛布雅之(阪神タイガース)

生年月日 1955年5月9日(61歳)
出身地 千葉県千葉市中央区
身長 175cm
体重 77kg
ポジション 内野手
投打 右投右打
プロ入り 習志野高〜1973年阪神ドラフト6位
キャリアハイ:1979年 試122 率.327(468打数153安打)本48 点95 盗10

岡田 彰布(おかだ あきのぶ) -阪神タイガース (1980 – 1993)

岡田彰布(阪神)

生年月日 1957年11月25日(59歳)
出身地 大阪府大阪市東区(現・中央区)
身長 175cm
体重 77kg
ポジション 内野手
投打 右投右打
プロ入り 早稲田大〜1979年阪神ドラフト1位
キャリアハイ:1985年 試127 率.342(459打数157安打)本35 点101 盗7

落合 博満(おちあい ひろみつ) -中日ドラゴンズ (1987 – 1993)

落合博満 現役 中日時代

生年月日 1953年12月9日(62歳)
出身地 秋田県南秋田郡若美町(現:男鹿市)
身長 177cm
体重 82kg
ポジション 内野手
投打 右投右打
プロ入り 東芝府中〜1978年ロッテドラフト3位
キャリアハイ:1985年 試130 率.367(460打数169安打)本52 点146 盗5

宇野 勝(うの まさる) -中日ドラゴンズ (1977 – 1992)

宇野勝(中日ドラゴンズ)

生年月日 1958年5月30日(58歳)
出身地 千葉県八日市場市(現:匝瑳市)
身長 180cm
体重 75kg
ポジション 内野手
投打 右投右打
プロ入り 銚子商〜1976年中日ドラフト3位
キャリアハイ:1985年 試130 率.274(486打数133安打)本41 点91 盗5

小早川 毅彦(こばやかわ たけひこ) -広島東洋カープ (1984 – 1996)

赤ヘルの若大将小早川毅彦

生年月日 1961年11月15日(55歳)
出身地 広島県広島市安芸区
身長 183cm
体重 93kg
ポジション 内野手
投打 右投右打
プロ入り 法政大学〜1983年広島ドラフト2位
キャリアハイ:1987年 試124 率.286(420打数120安打)本24 点93 盗5

広澤 克実(ひろさわ かつみ) -ヤクルトスワローズ (1985 – 1994)

広澤克実(ヤクルト)

生年月日 1962年4月10日(54歳)
出身地 茨城県結城市
身長 185cm
体重 99kg
ポジション 内野手
投打 右投右打
プロ入り 明治大学〜1984年ヤクルトドラフト1位
キャリアハイ:1988年 試130 率.288(496打数143安打)本30 点80 盗13

田代 富雄(たしろ とみお) -大洋ホエールズ (1973 – 1991)

田代富雄(大洋)

生年月日 1954年7月9日(62歳)
出身地 神奈川県小田原市
身長 185cm
体重 88kg
ポジション 内野手
投打 右投右打
プロ入り 藤沢商〜1972年大洋ドラフト3位
キャリアイハイ:1980年 試128 率.297(472打数140安打)本36 点94 盗6

いずれも各チームの主砲をはった名立たる顔ぶれ。

中でも、阪神・ランディーバースは最強助っ人外国人と言われるだけあって、原さんにも強烈なインパクトを与えた選手だったのでないでしょうか。

ランディ・バース  -阪神タイガース (1983 – 1988)

ランディ・バース(阪神タイガース)

生年月日 1954年3月13日(62歳)
出身地 アメリカ合衆国オクラホマ州ロートン
身長 184cm
体重 95kg
ポジション 内野手
投打 右投左打
プロ入り 1972年 ドラフト7巡目
キャリアハイ:1985年 試126 率.350(497打数174安打)本54 点134 盗1

往年のプレースタイル

原辰徳(読売ジャイアンツ)巨人四番

原選手は典型的な長距離ヒッター。

打率3割も4度(83・87・88・90年)記録していることから、確実性も備えたバッターであったことがわかります。

加えて、守備にも定評があり、三塁手としての守備は安定感がありましたね。

ON時代後の巨人を支えた80年代を代表する人気・実力を替え備えたスター選手でしょう!

巨人四番在籍の成績

試合数:1066試合 歴代4位
本塁打:255本 歴代3位
安打:1099安打 歴代4位
打点:729打点 歴代4位

監督時代の手腕は?

原辰徳氏は監督としても長く務められましたから、監督のイメージが強い方も多いのではないでしょうか?

年度別監督成績 -リーグ公式戦

年度 球団 順位 試合 勝利 敗戦 引分 勝率 ゲーム差 本塁打 打率 防御率
2002年(44) 巨人 1 140 86 52 2 .623 186 .272 3.04
2003年(45) 巨人 3 140 71 66 3 .518 15.5 205 .262 4.43
2006年(48) 巨人 4 146 65 79 2 .451 23.5 134 .251 3.65
2007年(49) 巨人 1 144 80 63 1 .559 191 .276 3.58
2008年(50) 巨人 1 144 84 57 3 .596 177 .266 3.37
2009年(51) 巨人 1 144 89 46 9 .659 182 .275 2.94
2010年(52) 巨人 3 144 79 64 1 .552 1.0 226 .266 3.89
2011年(53) 巨人 3 144 71 62 11 .534 3.5 108 .243 2.61
2012年(54) 巨人 1 144 86 43 15 .667 94 .256 2.16
2013年(55) 巨人 1 144 84 53 7 .613 145 .262 3.21
2014年(56) 巨人 1 144 82 61 1 .573 144 .257 3.58
2015年(57) 巨人 2 143 75 67 1 .528 1.5 98 .243 2.78
監督通算:12年 7 1715 947 712 56 .571

監督としての実績は7度のリーグ優勝と3度の日本一から十分に見て取れるものの、気になるのは「指導者としてどうだったか?」という点にもあると思います。

その上で考えてみると原氏の監督としての特徴は指導法というよりも人を惹きつける魅力にあるように感じますね。

原監督

名監督として知られている藤田元司さんや王監督、長嶋監督にアドバイスを貰いそれを生かした起用法も評価が高いのですが、

長嶋茂雄・王貞治・藤田監督
▲ 長嶋茂雄監督歴:読売ジャイアンツ (1972 – 1980, 1993 – 2001)
▲ 王 貞治監督歴:読売ジャイアンツ(1976 – 1988)

▲ 藤田元司監督歴:読売ジャイアンツ (1981 – 1983, 1989 – 1992)

それだけではなく、選手に自信を持たせるような起用や発言も幾度となく行っています。

WBCの優勝の裏にはそういったアドバイスが背景にあるという逸話も存在するぐらいです。

wbc優勝 原監督

2009年 第2回WBC 日本代表成績

第1ラウンド 2009年3月5日
日本

4

0

中国
第1ラウンド 2009年3月7日
日本

14

2

韓国
第1ラウンド 2009年3月9日
日本

0

1

韓国
第2ラウンド 2009年3月15日
日本

6

0

キューバ
第2ラウンド 2009年3月17日
日本

1

4

韓国
第2ラウンド 2009年3月18日
日本

5

0

キューバ
第2ラウンド 2009年3月19日
日本

6

2

韓国
準決勝 2009年3月22日
日本

9

4

アメリカ
決勝 2009年3月23日
日本

5

3

韓国

実際に他球団から巨人に移籍してきた選手たちからは指導を受けてみたいという声も多く寄せられていました。

その一方で主軸打者でもバントをさせるなどの采配でも知られており、チームは自己犠牲によって成り立つというチームを優先させる意識を持たせる監督でもありましたね。

まとめ

以上、原辰徳氏についてでした。

選手の頃は若大将と呼ばれる等、華やかなエピソードに事欠かなかった原辰徳さん。

指導者となってからはチームの輪を大事にするといったようにスター性を持ちながらも全体に目を行き届かせることのできる人だったと言えるでしょう!

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