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埼玉西武ライオンズ 田辺徳雄監督 現役時代の成績・年俸推移は?

埼玉西武ライオンズ 田辺徳雄監督 現役時代の成績・年俸推移は?現役時代のあだ名は「おやじ」であった西武、田辺徳雄監督。

西武黄金時代を支えた田辺監督を調べてみました。

まずは選手プロフィール・現役時代の成績からご覧ください。

田辺徳雄監督
出典:http://photo.kahoku.co.jp/

田辺 徳雄(たなべ のりお)

生年月日 1966年5月11日(49歳)
出身地 山梨県富士吉田市
身長 178cm
体重 76kg
ポジション 内野手
投打 右投右打
プロ入り 1984年 ドラフト2位

田辺徳雄監督の現役時代の成績、プロフィール、年俸推移

1984年 (18歳) ドラフト2位 契約金3200万

年度 試合数 打率 打点 本塁打 盗塁 年俸
1985年(19)西武〜 2 .000 0 0 0 300万
1986年(20) 320万
1987年(21) 78 .224 15 7 3 400万
1988年(22) 74 .258 23 7 1 840万
1989年(23) 114 .316 68 8 18 1200万
1990年(24) 113 .239 34 6 8 2500万
1991年(25) 124 .267 54 11 3 3000万
1992年(26) 126 .302 63 13 4 5100万
1993年(27) 104 .246 32 6 4 7700万
1994年(28) 104 .338 41 8 6 7750万
1995年(29) 117 .256 40 6 8 1億0000万
1996年(30) 83 .219 19 7 1 8400万
1997年(31) 63 .213 13 3 3 7300万
1998年(32) 79 .250 30 4 0 6500万
1999年(33) 41 .186 9 1 1 6500万
2000年(34)巨人 7 .143 1 0 0 3200万
通算:16年 1229 .268 442 87 60 7億1010万

*表彰:

ベストナイン:2回(1989年、1992年)
ゴールデングラブ賞:2回(1989年、1992年)

身長 178 cm
体重 76 kg

埼玉西武ライオンズで2014年のシーズン途中から、

成績不振で休養することとなった当時の伊原春樹監督の後を継いで、

監督代行として指揮を執ることになった田辺徳雄監督

監督代行からスタートして、今季で3シーズン目の「監督」となりました。

そんな田辺徳雄監督は1984年のドラフト2位で山梨・吉田高から西武に入団しました。

現役生活は16年。

現役最終年の2000年には巨人へ金銭トレードで移籍し、1年のみプレーしています。

現役通算1229試合に出場し、926安打、87打点、打率.268の成績を残しています。

現役を引退して2年目の2002年からは2軍の打撃コーチ、

野手総合コーチ、守備走塁コーチなどを経て、

2013年からは1軍の打撃コーチに就任し、

2014年のシーズン途中から監督を務めています。

長らく2軍でのコーチを経験するなど、コーチ経験も非常に豊富です。

年俸は入団当初300万円でしたが、年を追うごとに順調にアップ。

ベストナインを獲得した1989年には2500万円、1992年には7700万円となり、

1994年にはついに1億円プレイヤーとなりました。

現役最終年は3200万円となっています。

田辺徳雄監督は現役時代はどんな選手だった!?

西武黄金時代 スタメン

1番 辻発彦 セカンド
2番 平野謙 ライト
3番 秋山幸二 センター
4番 清原和博 ファースト
5番 デストラーデ 指名打者
6番 石毛宏典 サード
7番 吉竹春樹 レフト
8番 伊東勤 キャッチャー
9番 田辺徳雄 ショート

現役時代の田辺徳雄監督がいたころの西武ライオンズはまさに黄金時代。

名将として知られる森祇晶監督の下、シーズン制覇を次々と達成。

1990年からは5連覇も達成するなど、まさに無敵でしたが、

その黄金時代のショートのレギュラーとして活躍しました。

当時の打線があまりにも強力すぎて、

レギュラーの中ではけして目立つ存在ではなかったものの、

ベストナイン、ゴールデングラブをそれぞれ2回獲得。

ショートの守備力も高く、1992年には打率.302、

1994年には規定打席に届かなかったものの、

打率.338というハイアベレージを記録するなど、

西武の黄金時代に大きく貢献しました。

地味であっても堅実な守備、打撃で大きく貢献し、

日本シリーズの大舞台でもサヨナラ打や連続本塁打などを成績を残しました。

田辺徳雄は監督として有能?性格は?

2014年に監督代行として埼玉西武の指揮を執るようになりましたが、

シーズン通じて采配することとなった最初の年は2015年。

シーズン終盤までクライマックスシリーズ争いを繰り広げましたが、

結果的に4位に終わりました。69勝69敗5分、勝率はぴったり5割でした。

性格は温厚で、試合終了後には電車で帰宅することもあるほどの庶民派です。

それが采配にも現れ、特に目立ったことはしないといったところでしょうか。

監督としては有能かどうかは非常に測りにくい側面があります。

しかし、長きに渡って2軍のコーチをしていた経験もあって、

若手を育てる能力は卓越しています。

特に今の埼玉西武打線を形成するレギュラー勢は、

監督自身が2軍で育てた選手が多く、それだけ信頼関係も強いようです。

その絆の強さ、そして選手の性格を把握しているところは、

2軍でのコーチ経験の賜物であり、

監督としてもこれから芽が出てくるのかもしれません。

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