潮崎哲也氏と言えば、元西武の主力として活躍した中継ぎ、抑え投手であり、生え抜きの選手の一人でもあります。
西武・田辺徳雄監督が今季限りで辞任する意思を固めた事により来季の西武監督候補にも名前が挙がる潮崎哲也氏についてご紹介させていただきます!
潮崎哲也の経歴・生い立ち
潮崎 哲也(しおざき てつや)
生年月日 | 1968年11月26日(47歳) |
出身地 | 徳島県鳴門市 |
身長 | 177cm |
体重 | 75kg |
ポジション | 投手 |
投打 | 右投右打 |
プロ入り | 松下電器〜1989年 ドラフト1位 |
潮崎哲也氏は徳島県鳴門市出身、今年で47歳になります。
出身校は、徳島の強豪鳴門高校。
鳴門時代にはプロで魔球と呼ばれたシンカーをまだ取得しておらず、決め球に苦しむ投手でした。
当時、監督の勧めもあってシンカーの習得を試みたところ、これが予想以上に落ちたことから、潮崎投手の決め球となり以降は三振が取れる投手へと変貌することになります。
その甲斐あって徳島大会決勝まで駒を進めますが、残念ながら決勝で敗れてしまい、甲子園の出場はなりませんでした。
高校卒業後は松下電器に入社して、1年目から先発として活躍、1988年に行われたソウルオリンピック日本代表にも選ばれました!
この時、まだ19歳でしたから、異例とも言える抜擢でしたね!
ソウル五輪代表メンバー
ポジション | No | 選手 | 当時所属 | 年齢 | プロ入り |
投手 | 11 | 潮崎哲也 | 松下電機 | 19 | 西武 |
12 | 渡辺智男 | NTT四国 | 21 | 西武 | |
14 | 鈴木哲 | 熊谷組 | 24 | 西武 | |
15 | 菊池総 | 東芝 | 28 | – | |
16 | 吉田修司 | 北海道拓殖銀行 | 21 | 巨人 | |
18 | 石井丈裕 | プリンスホテル | 23 | 西武 | |
19 | 野茂英雄 | 新日本製鐵堺 | 20 | 近鉄 | |
捕手 | 20 | 古田敦也 | トヨタ自動車 | 23 | ヤクルト |
22 | 應武篤良 | 新日本製鐵広畑 | 30 | – | |
内野手 | 1 | 西正文 | 大阪ガス | 27 | – |
2 | 葛城弘樹 | 東芝 | 24 | – | |
3 | 米崎薫臣 | 日本生命 | 20 | 近鉄 | |
6 | 野村謙二郎 | 駒澤大学 | 21 | 広島 | |
9 | 小川博文 | プリンスホテル | 21 | オリックス | |
10 | 筒井大助 | 住友金属 | 30 | – | |
28 | 大森剛 | 慶應義塾大学 | 21 | 巨人 | |
外野手 | 8 | 中島輝士 | プリンスホテル | 26 | 日本ハム |
21 | 前田誠 | 東芝 | 27 | – | |
25 | 松本安司 | 三菱重工名古屋 | 28 | – | |
27 | 笘篠賢治 | 中央大学 | 21 | ヤクルト |
ソウルオリンピックでは銀メダルを獲得し影のMVPと呼ばれるほどの活躍を見せ、あの野茂秀雄選手らと先発ローテーションを形成していた時期もありました。
▲左)古田敦也捕手・右)野茂英雄投手
この頃には野茂英雄選手・古田敦也選手など、後にプロやメジャーリーグで活躍する選手たちが揃っていたこともあって、確たる実績は残せませんでしたが、それでも1989年のドラフトで西武から一位指名を受けて入団しています。
当人も後にこの頃の経験があったからプロ入り後も余裕を持つことができたと語るように非常に高いレベルの選手たちの中でプレーしていたことがわかりますね!
また、家族についても触れておきますが、本人と奥さん、子供が2人の4人家族となっています。
選手・コーチの実績。監督として期待できるのか?
年度別投手成績
1989年 (22歳) ドラフト1位 契約金7800億円
年度 | 登板 | 防御率 | 勝敗 | 投球回 | 三振 | 年俸 |
1990年(23) | 43 | 1.84 | 7勝5敗8s | 102.2 | 123 | 840万 |
1991年(24) | 45 | 4.48 | 10勝3敗5s | 92.1 | 60 | 2800万 |
1992年(25) | 47 | 2.94 | 6勝2敗10s | 107.0 | 95 | 4200万 |
1993年(26) | 53 | 1.18 | 6勝3敗8s | 83.2 | 64 | 6500万 |
1994年(27) | 50 | 2.39 | 4勝2敗1s | 75.1 | 56 | 9000万 |
1995年(28) | 45 | 1.92 | 5勝6敗12s | 70.1 | 76 | 1億0000万 |
1996年(29) | 43 | 2.84 | 8勝6敗11s | 85.2 | 72 | 9000万 |
1997年(30) | 27 | 2.90 | 12勝7敗 | 174.0 | 108 | 1億0000万 |
1998年(31) | 27 | 4.05 | 7勝5敗 | 122.1 | 76 | 1億2000万 |
1999年(32) | 20 | 4.60 | 5勝3敗 | 74.1 | 54 | 1億1000万 |
2000年(33) | 24 | 2.85 | 3勝6敗 | 82.0 | 52 | 8500万 |
2001年(34) | 21 | 4.46 | 1勝0敗 | 36.1 | 29 | 7800万 |
2002年(35) | 28 | 3.89 | 6勝5敗 | 81.0 | 59 | 6000万 |
2003年(36) | 37 | 4.86 | 1勝3敗 | 50.0 | 29 | 6000万 |
2004年(37) | 13 | 6.57 | 1勝0敗 | 12.1 | 14 | 5150万 |
プロ通算:15年 | 523 | 3.16 | 82勝55敗55s | 1249.1 | 967 |
潮崎哲也氏は西武ライオンズの一軍投手コーチを務めていたこともあるなど指導者としての経験は豊富な方です。
ただ、2009年にパリーグワースト記録となる14回のサヨナラ負けを喫するなど、中継ぎ投手陣の整備が十分とは言えず、その翌年度にあたる2010年にもチーム防御率は最下位に低迷しています。
コーチ時代の実績としてはあまりよくないと言わざるを得ません。
一軍投手コーチ時代 チーム投手成績
年度 | 防御率 | 完投 | 完封 | 無四球 | 安打 | 三振 |
2009年 | 4.01 | 19 | 9 | 4 | 1299 | 987 |
2010年 | 4.19 | 13 | 10 | 10 | 1357 | 927 |
その後、2013年から2015年まで2軍監督を務め上げ、2016年の今年からは一軍ヘッド兼投手コーチを務めるようになりました。
2軍監督から1軍のヘッド兼投手コーチと言ってみれば次期監督の道を着実に歩んでいることもあり、次期監督候補とされる人の中でも最有力と言っていいかもしれませんね。
二軍監督時代 イースタン・リーグ順位
年度 | 試合 | 勝 | 負 | 引 | 勝率 | 差 |
2013年 | 108 | 41 | 63 | 4 | .394 | 20.0 |
2014年 | 108 | 49 | 57 | 2 | .462 | 15.5 |
2015年 | 108 | 53 | 49 | 6 | .520 | 3.5 |
温厚な性格で選手からの人望も厚いと言われる潮崎氏だけに一軍監督となっても問題は無いでしょう。
各選手の能力や特徴も2軍監督だった頃に受けたインタビューでサッと出てくるあたりは指導者として必要な要素を備えているように感じます。
これまでの実績として不安が残る部分はありますが、それでも監督を任せられる器は十分なのではないでしょうか?
潮崎哲也の同期!黄金ドラフト89年組
潮崎選手の同期として知名度抜群の選手としては野茂選手が筆頭として挙げられます。
どうしてもこの年、新人王を獲得した野茂選手の方が注目度はありましたが、潮崎選手も新人の頃から数々の記録を残しています。
潮崎選手も魔球と呼ばれるシンカーを武器に新人の頃から8連続奪三振を記録。
セットアッパーを主に務め、リーグ優勝の胴上げ投手、さらに日本シリーズでも胴上げ投手になるという過去に一度しか前例がない史上二人目の記録も達成しました!
また先発でもリリーフでも起用できる貴重な存在として西武の黄金時代を支えていた一人です。
チームへの貢献度という意味においては野茂選手と比較しても見劣りはしないでしょう!
野茂投手も日米通算200勝を達成するなど、日本のみならず、世界で活躍する選手になりましたから、潮崎選手がいた時代が豊作の年だったのは、まず間違いありませんね!
1989年 ドラフト1位指名選手(パ・リーグ)
球団 | 選手 | ポジション | 1年目成績 | |
---|---|---|---|---|
近鉄 | 野茂英雄 | 投手 | 防2.91 | 登29 18勝8敗 投235.0 振287 |
オリックス | パンチ佐藤 | 外野手 | 率.331 | 試42 安44 本1 点8 盗3 |
西武 | 潮崎哲也 | 投手 | 防1.84 | 登43 7勝4敗8s 投102.2 振123 |
ダイエー | 元木大介 | 内野手 | 入団拒否 | – |
日ハム | 酒井光次郎 | 投手 | 防3.46 | 登27 10勝10敗 投171.2 振103 |
ロッテ | 小宮山悟 | 投手 | 防5.91 | 登30 6勝10敗2s 投170.2 振126 |
1989年 ドラフト1位指名選手(セ・リーグ)
球団 | 選手 | ポジション | 1年目成績 | |
---|---|---|---|---|
巨人 | 大森剛 | 内野手 | 率.146 | 試38 安7 本1 点6 盗0 |
広島 | 佐々岡真司 | 投手 | 防3.15 | 登44 13勝11敗17s 投151.1 振129 |
中日 | 与田剛 | 投手 | 防3.26 | 登50 4勝5敗31s 投88.1 振70 |
ヤクルト | 西村龍次 | 投手 | 防4.06 | 登31 10勝7敗1s 投177.1 振132 |
阪神 | 葛西稔 | 投手 | 防9.53 | 登4 0勝1敗 投5.2 振0 |
大洋 | 佐々木主浩 | 投手 | 防5.85 | 登16 2勝4敗2s 投47.2 振44 |
1989年ドラフトは、1位指名以外にも
巨人ドラフト3位:吉岡雄二選手
広島ドラフト4位:前田智徳選手
中日ドラフト2位:井上一樹選手
ヤクルトドラフト2位:古田敦也選手
阪神ドラフト5位:新庄剛志選手
近鉄ドラフト3位:石井浩郎選手など後にチームの主軸になる選手がたくさんいます。
優勝から遠のく西武の再建ポイントは?
西武ライオンズが今後、パリーグ上位に上がっていくためのチーム再建として挙げられるのは近年、弱点と言われ続けているリリーフ陣がポイントになるでしょう!
先発陣は駒が揃っているだけに中継ぎ投手陣の整備がカギを握ってくるのは間違いないかと思います。
加えて、主砲の中村剛也選手の怪我が多くなっている現状を踏まえると大砲の出現も待たれるところですね。
新監督が誰になるのかはまだ決まっていませんが、仮に潮崎氏がなるのであれば、その役割はウイークポイントの改善と温厚な性格からくる仲良し体質にならないようにすることの2点になってくるのではないでしょうか?
まとめ
以上、潮崎哲也氏についてでした。
監督には様々な事が求められますが、チームの方針として潮崎氏が監督になる土壌を作ろうとしているのは確かだと思います。
実際問題として現場を良く知る人物が監督になればチームが安定するのは間違いないですね。
今後、この流れは変わってくる可能性も十分に考えられますが、有力候補の一人であるのは間違いないでしょう!