今年、広島カープが25年ぶり7度目のセリーグ優勝を飾りました。
四半世紀ぶりの悲願をついに実現したのです。
ところで、さかのぼること25年前の優勝を振り返ると、圧倒的な投手力を前面に押し出しての戦いでした。
投手王国の中でエースだったのは佐々岡真司投手。
果たして佐々岡真司投手とはどのような投手だったのでしょうか。
佐々岡真司の経歴・生い立ち
佐々岡 真司(ささおか しんじ)
生年月日 | 1967年8月26日(49歳) |
出身地 | 島根県那賀郡金城町 |
身長 | 185cm |
体重 | 90kg |
ポジション | 投手 |
投打 | 右投右打 |
プロ入り | NTT中国〜1989年 ドラフト1位 |
1967年8月26日、島根県那賀郡金城町(現在・浜田市)で生まれた佐々岡真司投手は、幼少時代から母子家庭で育ちました。
母の手一つで育てられた佐々岡真司投手が野球を始めるきっかけとなったのは5歳の頃、お母さんに買ってもらったバットとボールでした。
小学5年生のときに、地元のスポーツ少年団に入り、内野を守るようになりました。
現在は185cmという長身ですが、当時は背も低い方だったようです。
高校は地元の浜田商業高校。
幼少の頃から肩の強さには自信があったようで、2年生の頃に投手としてプレーすることになりました。
島根県内では知られる投手となったようですが、残念ながら甲子園には縁がありませんでした。
浜田商業高校 全国大会の戦績
大会 | 出場回数 | 勝敗 | 優勝 | 準優勝 | ベスト4 |
春の選抜 | – | – | – | – | – |
夏の選手権 | 2回 | 1勝2敗 | 0 | 0 | 0 |
甲子園通算 | 2回 | 1勝2敗 | 0 | 0 | 0 |
卒業後は社会人のNTT中国に進み、徐々にプロでも注目される存在となったのです。
そして1989年のドラフト会議で、自身が大ファンでもあり、希望していた広島カープにドラフト1位で入団することとなりました。
1989年 ドラフト
1位 | 佐々岡 真司 | 投手 | NTT中国 |
2位 | 仁平 馨 | 外野手 | 宇都宮工 |
3位 | 前間 卓 | 投手 | 鳥栖 |
4位 | 前田 智徳 | 外野手 | 熊本工 |
5位 | 山口 晋 | 投手 | 島田商 |
6位 | 浅井 樹 | 外野手 | 富山商 |
1989年 ドラフト1位指名選手(パ・リーグ)
球団 | 選手 | ポジション | 1年目成績 | |
---|---|---|---|---|
近鉄 | 野茂英雄 | 投手 | 防2.91 | 登29 18勝8敗 投235.0 振287 |
オリックス | パンチ佐藤 | 外野手 | 率.331 | 試42 安44 本1 点8 盗3 |
西武 | 潮崎哲也 | 投手 | 防1.84 | 登43 7勝4敗8s 投102.2 振123 |
ダイエー | 元木大介 | 内野手 | 入団拒否 | – |
日ハム | 酒井光次郎 | 投手 | 防3.46 | 登27 10勝10敗 投171.2 振103 |
ロッテ | 小宮山悟 | 投手 | 防5.91 | 登30 6勝10敗2s 投170.2 振126 |
1989年 ドラフト1位指名選手(セ・リーグ)
球団 | 選手 | ポジション | 1年目成績 | |
---|---|---|---|---|
巨人 | 大森剛 | 内野手 | 率.146 | 試38 安7 本1 点6 盗0 |
広島 | 佐々岡真司 | 投手 | 防3.15 | 登44 13勝11敗17s 投151.1 振129 |
中日 | 与田剛 | 投手 | 防3.26 | 登50 4勝5敗31s 投88.1 振70 |
ヤクルト | 西村龍次 | 投手 | 防4.06 | 登31 10勝7敗1s 投177.1 振132 |
阪神 | 葛西稔 | 投手 | 防9.53 | 登4 0勝1敗 投5.2 振0 |
大洋 | 佐々木主浩 | 投手 | 防5.85 | 登16 2勝4敗2s 投47.2 振44 |
1989年ドラフトは、1位指名以外にも
巨人ドラフト3位:吉岡雄二選手
広島ドラフト4位:前田智徳選手
中日ドラフト2位:井上一樹選手
ヤクルトドラフト2位:古田敦也選手
阪神ドラフト5位:新庄剛志選手
近鉄ドラフト3位:石井浩郎選手など後にチームの主軸になる選手がたくさんいます。
佐々岡真司の現役時代は?
年度別投手成績
1989年 (22歳) ドラフト1位
年度 | 登板 | 防御率 | 勝敗 | 投球回 | 三振 | 年俸 |
1990年(23) | 44 | 3.15 | 13勝11敗17s | 151.1 | 129 | 600万 |
1991年(24) | 33 | 2.44 | 17勝9敗 | 240.0 | 213 | 1800万 |
1992年(25) | 29 | 3.38 | 12勝8敗 | 197.0 | 161 | 5000万 |
1993年(26) | 30 | 4.33 | 5勝17敗 | 183.0 | 124 | 5500万 |
1994年(27) | 41 | 3.31 | 7勝9敗6s | 130.2 | 93 | 5500万 |
1995年(28) | 44 | 3.05 | 7勝7敗17s | 127.0 | 110 | 6300万 |
1996年(29) | 49 | 1.70 | 5勝7敗23s | 69.0 | 71 | 6800万 |
1997年(30) | 39 | 2.65 | 5勝5敗21s | 57.2 | 64 | 9300万 |
1998年(31) | 29 | 3.79 | 5勝11敗6s | 121.0 | 96 | 1億0500万 |
1999年(32) | 26 | 3.27 | 15勝8敗 | 190.0 | 150 | 1億0000万 |
2000年(33) | 21 | 3.97 | 10勝6敗 | 142.2 | 94 | 1億6000万 |
2001年(34) | 32 | 3.59 | 7勝10敗7s | 140.1 | 92 | 1億7000万 |
2002年(35) | 25 | 3.46 | 8勝9敗 | 153.2 | 127 | 1億7000万 |
2003年(36) | 29 | 4.89 | 8勝8敗6s | 110.1 | 81 | 1億6000万 |
2004年(37) | 30 | 3.87 | 3勝7敗3s | 81.1 | 61 | 1億4000万 |
2005年(38) | 30 | 6.33 | 1勝6敗 | 54.0 | 37 | 1億3000万 |
2006年(39) | 27 | 4.09 | 8勝8敗 | 149.2 | 82 | 7000万 |
2007年(40) | 12 | 6.50 | 2勝7敗 | 45.2 | 21 | 7500万 |
通算:18年 | 570 | 3.58 | 138勝153敗106s | 2344.1 | 1806 |
入団当初の佐々岡真司投手の大きな武器は150キロを越えるストレートと、抜群の切れ味を誇るスライダーでした。
即戦力として入団し、いきなり1年目から44試合に登板、13勝11敗17セーブと、先発・抑えにフル回転しました。
1991年は先発ローテーションの柱として、33試合に登板し17勝9敗、防御率2.44の好成績で、チームの優勝に大きく貢献するとともに、最多勝・最優秀防御率・ベストナイン・MVP・沢村賞などなど多くのタイトルを獲得しました。
1991年優勝時主力投手
役割 | 選手 | 防御率 | 勝 | 敗 | セーブ |
先発 | 佐々岡 真司 | 2.44 | 17 | 9 | 0 |
先発 | 川口 和久 | 2.90 | 12 | 8 | 0 |
先発 | 北別府 学 | 3.38 | 11 | 4 | 0 |
中継 | 石貫 宏臣 | 1.98 | 5 | 1 | 1 |
中継 | 川端 順 | 2.36 | 5 | 1 | 1 |
抑え | 大野 豊 | 1.17 | 6 | 2 | 26 |
1991年優勝時投手タイトル
タイトル | 選手 | 成績 |
MVP | 佐々岡 真司 | – |
沢村賞 | 佐々岡 真司 | – |
最優秀防御率 | 佐々岡 真司 | 2.44 |
最優秀勝率 | 北別府学 | .733 |
最多勝利 | 佐々岡 真司 | 17 |
最多奪三振 | 川口和久 | 230 |
最多セーブ | 大野 豊 | 26 |
ベストナイン投手 | 佐々岡 真司 | – |
しかし、1991年の優勝の後、佐々岡真司投手は先発に抑えにとその役割を機用に使い分けながらも、1993年には5勝17敗という大敗を喫することもあり、1993年から6年間、2ケタ勝利から遠ざかりました。
しかし、1999年に先発として15勝をマークして復活を遂げ、先発投手不足のチームを救う投球を見せました。
佐々岡真司投手といえば、天下一品のスライダーと抜群の球威を持つストレートが大きな武器でしたが、2000年に入った頃からシュートを覚えたことで、バンバン三振を奪っていくパワーピッチングから、技巧的なピッチングへと上手く切り替えたことでも知られています。
ストレートの球威は年齢とともに徐々に落ちていくも、技術でカバーしたことで、投手生命を延ばした大きな要因だったのでしょう。
通算18年間のプロ野球生活で138勝153敗106Sの成績。
100勝100セーブを達成した、長いプロ野球史上で現在迄8人しかいない記録保持者の1人です。
100勝100セーブ達成者
選手 | 勝 | セーブ |
江夏 豊 | 206 | 193 |
大野 豊 | 148 | 138 |
斉藤 明夫 | 128 | 133 |
斎藤 隆(日米) | 112 | 139 |
山本 和行 | 116 | 130 |
郭 源治 | 106 | 116 |
佐々岡 真司 | 138 | 106 |
上原 浩治(日米)15迄 | 129 | 119 |
佐々岡真司投手は2007年にユニフォームを脱ぎました。
その年の引退試合は旧広島市民球場での横浜戦。
現役最後の対戦となった当時横浜の村田修一選手にホームランを打たれたことは、ファンの記憶に鮮明に残っていることでしょう。
引退試合で一発を浴びてしまう…村田選手はしんと静まった旧広島市民球場のダイヤモンドを一周したのですが、その後、佐々岡投手は謝りにきた村田選手に「これは真剣勝負。打ってくれたから吹っ切れたよ」と語ったそうです。
そんな心温まる、それでいてプロ魂を感じさせるエピソードもあります。
佐々岡真司の家族・嫁・子供は?
佐々岡真司さんはすでにご結婚されており、2人のお子さんもいらっしゃいます。
妻の佐々岡優子さんと知り合ったのは、カープが優勝した1991年のオフに行われたゴルフコンペの打ち上げだったようです。
たまたま座席が隣り合わせとなり、そこから交際が始まりました。
当時の佐々岡真司投手は、広島市内を歩けば、もうそれはスター選手。
並んでデートすることも難しかったようですが、愛をはぐくみ、交際4年で結婚しました。
まとめ
広島カープの一時代を築き、Bクラスが続いた暗黒時代も、背番号「18」のエースとして支えてきた佐々岡真司さんは、現在、広島カープの2軍投手コーチを務めています。
今季、広島カープ優勝の陰には、若手投手を育てては1軍に送り込んだ、佐々岡真司コーチの手腕もありました。
将来の監督候補という噂もありますが、今、投手コーチとして、前田健太投手が抜けてぽっかり空いた、かつて自身も背負っていた背番号「18」の後継者を早く育ててほしいものです。