小谷正勝氏と言えば、投手育成に定評のある名コーチ。
2017年の来季から巨人の投手コーチに復帰することになりました!
巡回投手コーチを担当するので1軍〜ファーム間を指導できる役割です。
投手育成のレジェンドとも呼ばれる方だけにその手腕にも期待がかかるところでしょう!
今回はそんな小谷正勝氏についてご紹介させていただきますね!
小谷正勝氏の経歴・生い立ち
小谷正勝氏は兵庫県明石市の出身で今年、71歳になります。
兵庫県立明石高校から國學院大学へ進学。
後の1967年ドラフトで大洋ホエールズに一位指名され、入団を果たしています。
小谷 正勝(こたに ただかつ) -読売ジャイアンツ (2017 – )
生年月日 | 1945年4月8日(71歳) |
出身地 | 兵庫県明石市 |
身長 | 178cm |
体重 | 88kg |
ポジション | 投手 |
投打 | 右投右打 |
プロ入り | 國學院大學〜1967年 大洋ドラフト1位 |
NPB通算:10年 | 登285 防3.07(24勝27敗6セーブ)投549.1 振391 |
明石高校〜國學院大學時代
明石高校時代は甲子園の出場経験もなく、大学時代も1年時に最下位を経験し、二部に転落。その後も一部リーグに上がることは叶いませんでした。
明石高校 甲子園通算成績
大会 | 出場回数 | 勝敗 | 優勝 | 準優勝 | ベスト4 |
春の選抜 | 8回 | 12勝8敗 | 0 | 2 | 0 |
夏の選手権 | 6回 | 9勝6敗 | 0 | 0 | 2 |
甲子園通算 | 14回 | 21勝10敗 | 0 | 2 | 2 |
國學院大學 東都リーグ成績 – (1964 -1967 )
年度 | シーズン | 部 | 順位 |
1964年 | 春 | 1部 | 6位 |
秋 | 2部 | 4位 | |
1965年 | 春 | 2部 | 5位 |
秋 | 2部 | 3位 | |
1966年 | 春 | 2部 | 4位 |
秋 | 2部 | 5位 | |
1967年 | 春 | 2部 | 3位 |
秋 | 2部 | 2位 |
それでも本格派右腕だった小谷氏への評価は高く、後に一位指名で入団していることからも実力は確かだったと言っていいでしょう!
1967年大洋ドラフト指名
1位 | 小谷 正勝 | 投手 | 國學院大學(入団) |
2位 | 中塚 政幸 | 内野手 | 中央大学(入団) |
3位 | 米田 慶三郎 | 内野手 | 電気化学工業(入団) |
4位 | 池田 重喜 | 投手 | 日本鉱業佐賀関(入団) |
5位 | 金村 東 | 内野手 | 早稲田実業高(拒否) |
6位 | 安田 泰一 | 外野手 | 宇部商業高(入団) |
7位 | 竹村 一義 | 投手 | 高知・安芸高(入団) |
8位 | 赤沢 伸雄 | 投手 | 電気化学工業(拒否) |
9位 | 引地 健二 | 投手 | 福島商業高(拒否) |
10位 | 谷木 恭平 | 外野手 | 立教大学(拒否) |
11位 | 玉井 信博 | 投手 | 松山商業高(拒否) |
小谷氏の性格についても触れておくと「グラウンドではあまり話さない」と言われていることから、寡黙なようにも取られがち。
ですがヤクルトコーチ時代には、1989年阪神との乱闘劇で危険球を投げた阪神渡辺伸彦投手を栗山英樹選手とともに外野まで追い掛け回したエピソードもあり熱血な部分もあるようです。
コーチ時代に選手の指導に関して「ここを直せば絶対に良くなると確信できるまでは口を出さない」と語っている姿からは指導者としての責任感の強さも感じさせてくれますね。
コーチ歴
1979 – 1986 | 横浜大洋ホエールズ |
1987 – 1989 | ヤクルトスワローズ |
1990 – 1995 | 横浜ベイスターズ |
1996 – 2002 | ヤクルトスワローズ |
2003 – 2004 | 横浜ベイスターズ |
2005 – 2011 | 読売ジャイアンツ |
2013 – 2016 | 千葉ロッテマリーンズ |
2017 – | 読売ジャイアンツ |
現役時代はどんな選手だったのか?
小谷氏が現役の頃、本格派右腕と言われていたのは前述の通りですが、ドラフト一位で入団した選手としてはそれほど目立つタイプではありませんでした。
主にリリーフとして活躍し、オールスターにも一度出場してはいます。
この頃は今と違ってリリーフ投手に対する評価が低かった時代。
チームに欠かせない存在であったことは間違いないとしても華々しい活躍だったとは言い難いというのが実際のところではないでしょうか?
しかし、現役時代にたいしたことがなかったということでは決してありません。
▲ 小谷正勝投手から三振を喫し、グラウンドにバットをたたきつけて悔しがる長嶋茂雄選手
1970年とその翌年にあたる1971年には50試合以上の登板と防御率2点台の前半を記録しているなど選手成績の実績も素晴らしいものを持っています。
年度別投手成績
1967年 (22歳) 大洋ホエールズドラフト1位
年度 | 登板 | 防御率 | 勝敗 | 投球回 | 三振 | 自責点 |
1968年(23) | 5 | 3.46 | 1勝0敗 | 13.1 | 8 | 5 |
1969年(24) | 10 | 3.60 | 2勝1敗 | 20.1 | 18 | 8 |
1970年(25) | 53 | 2.11 | 4勝4敗 | 115.0 | 85 | 27 |
1971年(26) | 58 | 2.13 | 11勝9敗 | 148.0 | 110 | 35 |
1972年(27) | 18 | 5.00 | 0勝1敗 | 27.0 | 22 | 15 |
1973年(28) | 37 | 3.23 | 0勝3敗 | 64.0 | 43 | 23 |
1974年(29) | 33 | 4.67 | 0勝4敗 | 54.1 | 37 | 28 |
1975年(30) | 36 | 2.85 | 3勝4敗2セーブ | 59.2 | 44 | 19 |
1976年(31) | 17 | 5.04 | 2勝0敗2セーブ | 25.0 | 10 | 14 |
1977年(32) | 18 | 5.09 | 1勝1敗2セーブ | 22.2 | 14 | 13 |
NPB通算:10年目 | 285 | 3.07 | 24勝28敗6セーブ | 549.1 | 391 | 187 |
投手育成の達人!最大の補強?
現役時代も確かな足跡を残している小谷氏ですが、やはりコーチとしての能力の高さの方が評価は高いですね。
セ・リーグ3チーム(大洋→横浜、ヤクルト、巨人)すべてでコーチを務めた抜群の指導力を誇る名コーチです。
大洋ホエールズ、ヤクルト時代の2球団で育成に貢献した主な投手は名だたるエース級投手ばかり。
大洋ホエールズ〜ベイスターズ時代 – (1979 – 86 )(1990-95)(2003-04)
元横浜のエース三浦大輔投手。
元メジャーリーガーの大魔神・佐々木主浩投手。
ヤクルト時代 – (1987 – 1989 )(1996-2002)
第一期ヤクルト投手コーチ時代には、内藤尚行投手、川崎憲次郎投手など。
第二期投手コーチ時代には石川雅規投手、五十嵐亮太投手など。
主力選手の多くを育て上げた手腕は確かなものを感じさせてくれます。
巨人でも内海哲也投手の復活のサポート。
内海 哲也(うつみ てつや) -読売ジャイアンツ (2004 – )
生年月日 | 1982年4月29日(34歳) |
出身地 | 京都府城陽市 |
身長 | 186cm |
体重 | 95kg |
ポジション | 投手 |
投打 | 左投左打 |
プロ入り | 東京ガス〜2003年 巨人自由獲得枠 |
NPB通算:12年 | 登297 防3.09(126勝89敗2ホールド)投1829.1 振1406 |
中継ぎエースの山口鉄也投手が入団テストを受けに来た際、獲得を進言。
さらには宮國椋丞投手も6勝を挙げた年のきっかけは小谷コーチの手腕によるところが大きいと言われていますね!
それだけに来季の2017年にも巨人若手投手の育成に期待がかかります!
若手ホープである田口麗斗選手を筆頭として、
田口 麗斗(たぐち かずと) -読売ジャイアンツ (2014 – )
生年月日 | 1995年9月14日(21歳) |
出身地 | 広島県広島市佐伯区 |
身長 | 171cm |
体重 | 80kg |
ポジション | 投手 |
投打 | 左投左打 |
プロ入り | 広島新庄高〜2013年巨人ドラフト3位 |
NPB通算:3年 | 登39 防2.72(13勝15敗)投228.1 振19 |
伸び悩んでいる高木勇人投手や今村信貴投手、桜井俊貴投手といった素質豊かな投手が多く在籍しています。
高木 勇人(たかぎ はやと) -読売ジャイアンツ (2015 – )
今村 信貴(いまむら のぶたか) -読売ジャイアンツ (2012 – )
桜井 俊貴(さくらい としき) -読売ジャイアンツ (2016 – )
ある意味では大型補強の続く巨人の中でも最大の補強は小谷氏なのかもしれません。
まとめ
以上、小谷正勝氏についてでした。
現役引退後に指導者として有名になった方は多いですが、その中でも指導力が高く評価されている内の一人であることは疑いようもないでしょう!
大型補強も大事ですが、チームの基盤を作っていくのは若手選手の力が大きいのも事実です。
その意味でも小谷氏の復帰は来季2017年の巨人にとって多いにプラスになりますね!