安藤優也投手といえば、阪神の中継ぎ陣を長年支える屋台骨とも言える存在です。
年齢的に見れば引退も視野に入ってくるところですが、チームとしてはまだまだ活躍してもらわないと困る選手でもあると思います。
今回はそんな安藤優也選手についてご紹介させていただきましょう!
安藤優也投手の経歴・生い立ち
安藤選手は大分県大分市出身で今年、39歳になります。
小学校の時に野球を始め、「ふじが丘少年野球団」でプレー!
ちなみに小中学校の後輩に元楽天の鉄平選手がいます。
安藤 優也(あんどう ゆうや) -阪神タイガース (2002 – )
生年月日 | 1977年12月27日(39歳) |
出身地 | 大分県大分市 |
身長 | 184cm |
体重 | 96kg |
ポジション | 投手 |
投打 | 右投右打 |
プロ入り | トヨタ自動車〜2001年 阪神自由獲得枠 |
NPB通算:15年 | 登485 防3.60(77勝65敗11セーブ76ホールド)投1120.2 振822 |
大分雄城台高校
高校は、大分雄城台高校に入学。
強豪校でなかったこともあり、最高で県大会ベスト8止まり、注目もそれほどではありませんでした。
第77回選手権大会大分予選 (1995年)
回戦 | 対戦校 | 勝敗 | |
一回戦 | 三重 | ○ | 5-3 |
二回戦 | 別府商 | ○ | 7-6 |
三回戦 | 大分工 | ○ | 6-4 |
準々決勝 | 日田 | ● | 0-3 |
法政大学時代
後に法政大学に進学しましたが、肩の故障に悩まされ成績も今一つ。
大学時代のエピソードとして高橋由伸選手(現巨人監督)には東京六大学新記録となる23本目の本塁打も打たれています。
▲ 田淵幸一の持つ東京六大学リーグ本塁打記録を更新する歴代1位となる通算23本塁打を打たれる!
▲ 慶応大学時代の高橋由伸選手
法政大学時代 投手成績
年度 | 登板 | 勝敗 | 防御率 | 投球回 | 安打 | 三振 | 四死球 | 自責点 |
96春〜00秋 | – | 7勝4敗 | – | – | – | – | – | – |
トヨタ自動車時代
卒業後、「23本目の本塁打を打たれた投手と言われ続けるのは嫌だ」と社会人のトヨタ自動車で野球を続け、150kmを超えるストレートを武器に活躍。
2001年にはIBAFワールドカップ日本代表に選出されるなど、才能を開花させ、同年のドラフト会議で自由獲得枠での阪神入団が決まり現在に至ります。
性格面は、主に中継ぎで長くやってきたこともあり、メンタル面でも強いのは確か。
元同僚でもあった中谷仁氏曰く、切り替えが上手い性格だったそうです。
加えて、社会人のトヨタ自動車に入社する際のエピソードを踏まえると負けず嫌いな一面も見られるのではないでしょうか?
2001年ドラフト会議
自由獲得枠 | 安藤 優也 | 投手 | トヨタ自動車 |
自由獲得枠 | 浅井 良 | 捕手 | 法政大学 |
4巡目 | 桜井 広大 | 内野手 | PL学園高 |
5巡目 | 中林 祐介 | 投手 | 金沢高 |
6巡目 | 藤原 通 | 内野手 | 立命館大学 |
7巡目 | 喜田 剛 | 外野手 | 福岡大学 |
8巡目 | 梶原 和隆 | 投手 | 愛知工業大学 |
9巡目 | 東 辰弥 | 捕手 | 早稲田大学 |
ご家族は?
また、ご家族に関してですが、嫁さんと2人のお子さんにご自身を含めた4人家族との事でした。
最後に、一時期話題になった新垣結衣さんとの交際についてですが・・・
これは2011年にフライデーに掲載されたことに端を発する話で、すぐに話題にも上らなくなったことや確たる証拠がなかったことから、「デマだったのでは?」という見方が妥当ですね。
プロ入り後の活躍は?
2002〜2004年 中継ぎ時代
安藤投手はプロ入り後、2002年ルーキーイヤーは17試合登板中8試合に先発しています。
翌年2003年には、中継ぎ投手へ転向後、2年連続して50試合以上登板。
18年ぶりに優勝した2003年、2004年共に安定した成績を収めています。
年度別投手成績 – (2002 – 2004)
2001年 (23歳) 阪神ドラフト1巡目 契約金1億
年度 | 登板 | 防御率 | 勝敗 | 投球回 | 三振 | 年俸 |
2002年(24) | 17 | 3.77 | 3勝5敗 | 59.2 | 40 | 1500万 |
2003年(25) | 51 | 1.62 | 5勝2敗5セーブ | 61.0 | 60 | 1500万 |
2004年(26) | 57 | 3.58 | 5勝8敗5セーブ | 60.1 | 72 | 4100万 |
北京オリンピック野球日本代表
2004年にはアテネオリンピック野球日本代表に選出、シーズン途中にオリンピックへ出場しました。
アテネリンピックでは初めてオールプロの布陣で望んだ大会でしたが予選・決勝トーナメント準決勝でともにオーストラリアに敗れ惨敗、銅メダルに終わっています。
アテネオリンピック最終順位
順位 | 国・地域 | 勝 | 敗 | 引分 | 得点 | 失点 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | キューバ | 8 | 1 | 0 | 55 | 24 |
2 | オールトラリア | 5 | 4 | 0 | 52 | 36 |
3 | 日本 | 7 | 2 | 0 | 60 | 23 |
4 | カナダ | 5 | 4 | 0 | 46 | 36 |
5 | 台湾(予選敗退) | 3 | 4 | 0 | 24 | 28 |
6 | オランダ(予選敗退) | 2 | 5 | 0 | 29 | 55 |
7 | ギリシャ(予選敗退) | 1 | 6 | 0 | 24 | 49 |
8 | イタリア(予選敗退) | 1 | 6 | 0 | 19 | 58 |
2005〜2012年 先発時代
2005年には岡田彰布監督の意向と安藤投手の希望から先発投手に転向します。
岡田 彰布(おかだ あきのぶ) -監督歴:阪神タイガース (2004 – 2008)
生年月日 | 1957年11月25日(59歳) |
出身地 | 大阪府大阪市東区(現・中央区) |
身長 | 175cm |
体重 | 77kg |
ポジション | 内野手 |
投打 | 右投右打 |
プロ入り | 早稲田大〜1979年阪神ドラフト1位 |
キャリアハイ:1985年 | 試127 率.342(459打数157安打)本35 点101 盗7 |
その年、11勝を挙げるなど先発投手としてもチームを支える万能選手でした。
2006年翌年も二桁勝利を記録。
さらに2008年に13勝を挙げて以降、2012年まで先発投手として活躍しています。
年度別投手成績 – (2005 – 2012)
年度 | 登板 | 防御率 | 勝敗 | 投球回 | 三振 | 年俸 |
2005年(27) | 24 | 3.39 | 11勝5敗 | 146.0 | 119 | 4600万 |
2006年(28) | 31 | 3.35 | 10勝3敗3ホールド | 129.0 | 103 | 7800万 |
2007年(29) | 8 | 4.36 | 2勝3敗1ホールド | 33.0 | 17 | 9800万 |
2008年(30) | 25 | 3.20 | 13勝9敗 | 154.2 | 111 | 7800万 |
2009年(31) | 28 | 3.90 | 8勝12敗 | 164.0 | 97 | 1億2000万 |
2010年(32) | 19 | 7.27 | 2勝3敗 | 52.0 | 31 | 1億1000万 |
2011年(33) | 1 | 16.20 | 0勝0敗 | 1.2 | 1 | 7700万 |
2012年(34) | 13 | 4.05 | 3勝7敗 | 73.1 | 42 | 5800万 |
2013〜2016年 中継ぎ時代
2013年からは主に中継ぎ投手としての登板が増え、防御率も2014年を除けば、2点台、悪くても3点台前半という安定感を見せてくれています。
何よりも2013年からの4年連続50試合以上の登板を達成した姿からは不動の中継ぎエースの座を獲得していることが窺えるでしょう!
実績を見ればわかるように先発、中継ぎ共にチームの中心選手の一人であったことは疑いようもありません!
年度別投手成績 – (2013 – 2016)
年度 | 登板 | 防御率 | 勝敗 | 投球回 | 三振 | 年俸 |
2013年(35) | 58 | 2.28 | 4勝2敗1セーブ23ホールド | 51.1 | 32 | 5000万 |
2014年(36) | 53 | 3.80 | 6勝2敗23ホールド | 47.1 | 41 | 7500万 |
2015年(37) | 50 | 3.02 | 5勝4敗15ホールド | 44.2 | 32 | 8500万 |
2016年(38) | 50 | 2.53 | 0勝1敗11ホールド | 42.2 | 24 | 8200万 |
NPB通算:15年 | 485 | 3.60 | 77勝65敗11セーブ76ホールド | 1120.2 | 822 | (17年)8800万 |
復活の鍵はタクシー運転手?
2010〜2012年 低迷期
安藤投手は2010年のシーズン終盤に肩を故障してしまったことの影響から2011年は殆ど登板できない状態が続き、調子も上がることなく苦しいシーズンを送っていました。
そんな時にたまたま乗ったタクシー運転手が阪神ファンの方で話も弾んでいたものの、会話の中で「安藤はもうダメですね」と本人とは知らずに発言してしまったというエピソードがあり、安藤投手自身、相当ショックを受けたそうです。
その言葉を発奮材料として2012年には復活の勝利を挙げ、2013年からの4年連続50試合登板達成や好成績に繋げたという話ですね!
もちろん、このタクシーの運転手の方には悪意があったわけではないのですが、今現在も第一線で活躍を続けている背景にはこうした出来事も少なからず影響していることを示しているのではないでしょうか?
大歓声のシャワーにこらえられるはずがなかった。頭に浮かぶ595日の歳月が簡単に涙腺を決壊させた。安藤が求め続けた勝利をつかんで、男泣きだ。無数のフラッシュに輝く瞳から止めどなく涙がこぼれ落ちた。「…感無量です。久しぶりの感触だったので、うれしかった。えー、あの…いろんな人に支えられて感謝し ています」おえつが漏れたヒーローインタビュー。守護神・藤川から手渡されたウイニングボールは1度、和田監督に持っていったが、受け取りを固辞され、そ のまま安藤の右手に握りしめられていた。グラブに「辛抱」と刺しゅうを刻む。「辛抱して粘り強く投げるのが僕の信条」。毎回走者を背負っても三塁を許したのは1度だけ。7回6安打無失点。直球は最速146キロを計測。内野ゴロは約半数を数え、スライダーで2併殺を奪った。昨季は右肩の故障などで登板1試合のみ。2010年8月19日の横浜(現DeNA)戦(横浜)以来の白星は格別だった。07年から3年連続開幕星を飾った元エースが苦しみ抜いた日々。忘れられない言葉がある。けがに泣かされ、結果も出ない。投球フォームを見失い、自信をなくしかけた頃。タクシーに乗ると、虎党という運転手と阪神の話題で会話が弾んだ。だが、思いがけないフレーズに凍り付いた。「それにしても、安藤はもうダメですね」安藤を安藤と気づいていなかった運転手のファンの本音が心に突き刺さった。そこから自宅までの10分間。己に対する罵声が続いた。しかし、何も言えなかった。バックミラーに映らないように体を窓際にそらした。うつむき加減でお金を払うしかなかった。
NPB表彰
月間MVP | 1回 (2006年9月) |
JA全農Go・Go賞 | 1回 (救援賞:2003年7月) |
まとめ
以上、安藤優也投手についてでした。
去年の成績を踏まえると来季も同様の中継ぎとしての活躍が求められるのは当然。
年齢や実績を見ていくと投手陣を引っ張っていくリーダー的な役割も求められます。
その意味で自分の事だけではなく、チームの事も視野に入れていく必要があり、立場的にはより大変になることが予想されます。
それだけの役目を任される能力は十分ある選手ですから、これまで通りの安定感と共にリーダーシップも見せてもらいたいですね!