あの「ノムさん」こと野村克也さんの息子である「カツノリ」こと野村克則さん。
どうしても「ノムさんの息子」というイメージが強いのですが、ID野球で席巻した頭脳を引き継いだDNAがあるのは間違いありません。
そんな野村克則さんは将来、監督になれる可能性があるのでしょうか。
野村克則の経歴・生い立ち
野村克則さんは現在歳、今は東京ヤクルトの1軍バッテリーコーチを務めています。
野村 克則(のむら かつのり)-コーチ:東京ヤクルトスワローズ (2014 – )
生年月日 | 1973年7月23日(歳) |
出身地 | 東京都目黒区(大阪府豊中市生まれ) |
身長 | 178cm |
体重 | 84kg |
ポジション | 捕手 |
投打 | 右投右打 |
プロ入り | 堀越高等学校〜明治大学〜ヤクルト1995年 ドラフト3位 |
NPB通算:8年 | 試222 率.185(356打66安打)本4 点17 盗1 |
お父さんはご存知・野村克也さん。
お母さんもご存知の「サッチー」こと野村沙知代さん。
当時愛人関係にあったサーチーとの間に生まれた複雑な家庭環境です。
やはりあの「ノムさん」を実の父に持つだけに、野球センスは十分にあるのでしょう。
幼少時代はほとんどお父さんに「お父さん」らしいことをしてもらったことはないようですが…。
堀越高校時代 東京都 – ( 1989- 1992 )
高校は、芸能人の出身で有名な東京・堀越高校。
春5回・夏5回甲子園に出場し、選抜準優勝の実績ある強豪校です。
3年時の1991年夏では主将となりベスト4を経験しています。
準々決勝・世田谷学園戦では、当時ヤクルト監督の克也さん、沙知代さんが応援にかけつけましたが惜しくも延長の末サヨナラ負け。
第73回選手権東京大会 – ( 1991 )
回戦 | 対戦校 | 勝敗 | |
三回戦 | 国分寺 | ○ | 9-8 |
四回戦 | 三鷹 | ○ | 12-0 |
五回戦 | 日大二 | ○ | 8-7 |
準々決勝 | 日大三 | ○ | 3-2 |
準決勝 | 世田谷学園 | ● | 6-8 |
明治大学時代 – ( 1992- 1996 )
1993年には、東京六大学で首位打者と打点王の二冠に輝いています。
大学打撃成績 – ( 1992 – 1995 )
年度 | 試合 | 打率 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 三振 | 四球 | 出塁率 |
92〜95 | 76 | .281 | 256/72 | 3 | 33 | – | – | – |
打撃能力も高い捕手ではあったものの、プロスカウトから注目される存在ではけしてなかったようです。
ドラフト会議 – ( 1995 )
しかし、1995年のドラフト会議で、当時父の野村克也さんが監督を務めるヤクルトが3位指名。
「ノムさん」と同じ捕手として入団することになりました。
ドラフト時、父克也さんから「プロに入ったら苦労するぞ」と諭されました。
▼その影にはお父さんを説得したという話も。
ドラフト指名選手 – ( ヤクルトスワローズ )
1位 | 三木 肇 | 内野手 | 上宮高 |
2位 | 宮出 隆自 | 投手 | 宇和島東高 |
3位 | 野村 克則 | 捕手 | 明治大学 |
4位 | 石井 弘寿 | 投手 | 東京学館高 |
何もできないまま終わった現役時代
ヤクルト時代 – ( 1996-1999 )
1996年にプロ入りした野村克則さんですが、当時ヤクルトは、不動の正捕手、古田敦也選手が君臨。
古田 敦也(ふるた あつや)- ヤクルトスワローズ (1990 – 2007)
生年月日 | 1965年8月6日(歳) |
出身地 | 兵庫県川西市 |
身長 | 180cm |
体重 | 80kg |
ポジション | 捕手 |
投打 | 右投右打 |
プロ入り | 兵庫県・川西明峰高〜立命館大〜トヨタ自動車〜ヤクルト1989年 ドラフト2位 |
キャリアハイ(1992年) | 試131 率.316(474打150安打)本30 点86 盗3 |
さらに控えには、野口寿浩選手がいました。
野口 寿浩(のぐち としひろ)-ヤクルトスワローズ (1990 – 1997)
生年月日 | 1971年6月24日(歳) |
出身地 | 千葉県習志野市 |
身長 | 183cm |
体重 | 77kg |
ポジション | 捕手 |
投打 | 右投右打 |
プロ入り | 習志野市立習志野高等学校〜ヤクルト1989年 ドラフト外 |
キャリアハイ(日ハム:2000年) | 試134 率.298(459打137安打)本9 点76 盗5 |
このメンツが揃っていれば、到底分け入るスキはありません。
「ノムさん」が指揮を執っていた時期は起用のチャンスもありましたが、監督が交代すれば、チャンスが巡ってくることはありませんでした。
野村監督時代は、1998年まで。
翌1999年若松勉監督時代は、出場機会無し。
年度別打撃成績 -(1996-1999)
1995年(22歳) ドラフト3位 契約金6,000万
年度 | 試合数 | 打率 | 打点 | 本塁打 | 盗塁 | 犠打 | 三振 | 年俸 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1996年(23) | – | – | – | – | – | – | – | 850万 |
1997年(24) | 26 | .258(31打数8安打) | 1 | 1 | 0 | 0 | 10 | 850万 |
1998年(25) | 25 | .174(23打数4安打) | 1 | 0 | 0 | 0 | 7 | 950万 |
1999年(26) | – | – | – | – | – | – | – | 950万 |
阪神時代 – ( 2000-2003 )
2000年に阪神に移籍しますが、その時の阪神監督も「ノムさん」。
またしてもお父さんの下でプレーすることになりました。
ヤクルトとは異なり捕手層が薄い阪神にあって、控え捕手として1軍に定着することは出来ました。
それでも監督が交代すれば、またチャンスが減っていきました。
野村監督時代は、2001年まで。
翌2002年星野仙一監督時代は、出場試合数が前年52から11へ激減。
2003年は、出場機会無し。
年度別打撃成績 -(2000-2002)
年度 | 試合数 | 打率 | 打点 | 本塁打 | 盗塁 | 犠打 | 三振 | 年俸 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2000年(27) | 43 | .265(49打数13安打) | 3 | 2 | 0 | 0 | 11 | 950万 |
2001年(28) | 52 | .211(95打数20安打) | 6 | 1 | 0 | 1 | 28 | 1500万 |
2002年(29) | 11 | .188(16打数3安打) | 0 | 0 | 0 | 0 | 5 | 1800万 |
2003年(30) | – | – | – | – | – | – | – | 1600万 |
巨人時代 – ( 2004 )
その後、2004年に巨人へ金銭トレード。
一軍出場は僅か3試合に留まり、同年オフに戦力外通告。
年度別打撃成績 -(2004)
年度 | 試合数 | 打率 | 打点 | 本塁打 | 盗塁 | 犠打 | 三振 | 年俸 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2004年(31) | 3 | .333(3打数1安打) | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 1400万 |
楽天時代 – ( 2005-2006 )
そして翌年には誕生したての東北楽天に12球団合同トライアウトで入団しました。
2006年には、田尾安志監督から三たび、父野村克也監督が就任。
自己最多の56試合に出場しましたが、打率は1割2分4厘と地を這うような成績。
その年限りで引退を表明しました。
プロ通算で、4球団を渡り歩き、222試合に出場、打率は1割8分5厘、4本塁打、17打点。
目立つような成績を収めることはできませんでした。
年度別打撃成績 -(2005-2006)
年度 | 試合数 | 打率 | 打点 | 本塁打 | 盗塁 | 犠打 | 三振 | 年俸 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2005年(32) | 6 | .100(10打数1安打) | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 800万 |
2006年(33) | 56 | .124(129打16安打) | 5 | 0 | 1 | 1 | 26 | 750万 |
NPB通算:8年 | 222 | .185(19打数4安打) | 17 | 4 | 1 | 2 | 90 | – |
野村克則の奥さんは?
そんな野村克則さんですが、2001年に結婚されています。
お相手は、堀越高校時代から付き合っていた野村有紀子さんです。
カツノリさんといえば、どうしても頭に思い浮かべてしまうのが「サッチー」こと野村沙知代さん。
歯に衣着せぬ毒舌で、一時はテレビでも見ない日はないくらいでした。
そんな「サッチー」が義母となると、何かと奥さんも大変だろうと思うところ。
これは誰もが気にかけることでしょう。
実はサッチーと奥さんは結構仲が良いようで、嫁・姑の関係は良好であるようです。
▼こちらは、引退時のお子さん。
引退後は
引退した翌年の2007年から現在までコーチとしてプロ野球界に携わります。
楽天コーチ時代 – ( 2007-2009 )
現役引退後も楽天に留まり二軍育成コーチとして身を置きます。
2008年一軍バッテリーコーチへ昇格、またも父である「ノムさん」監督の下でコーチを務めることも。
親子の縁は切っても切れないようで、2009年、野村監督退任後と同時に楽天を去ります。
2007年カツノリ・岩隈事件
岩隈VS野村(元カツノリ)コーチ 2007年08月24日
楽天の岩隈と野村(元カツノリ)コーチがつかみ合いの喧嘩!
山崎(武)が止めに入ったらしいのですが、CS放送で生中継していたのでこの模様が見事中継されてしまいました(笑)。4回途中でKOされた岩隈が長い時間ロッカールームにいたらしく、それに対し野村(元カツノリ)コーチが先発も試合を観る義務があると注意したのが発端らしいです。
巨人コーチ時代 – ( 2010-2013 )
2010年から3年間、読売ジャイアンツの二軍バッテリーコーチに。
ヤクルトコーチ時代 – ( 2014- )
そして2014年からは古巣のヤクルトのバッテリーコーチを務め、現在は1軍にバッテリーコーチとなっています。
けして現役時代は結果を残したわけではありませんが、今でもコーチとして活躍している野村克則さん。
親譲りの「ID野球」頭脳を持っているよう。
これは長年「ノムさん」の元でプレーし、指導を受けてきたお陰もあるのでしょう。
ID野球のDNAを持っているだけでなく、実際にその頭脳は高く評価され、選手からの人望も厚いようです。
そんなヤクルトでの人望の厚さもあり、1軍のバッテリーコーチという主要な役割を担っていいます。
低迷するチームの次期監督候補にも挙がってくるかもしれません。
まとめ
あのID野球を生み出した、球界のご意見番である「ノムさん」の息子「カツノリ」。
ID野球のDNAを持っているならば、将来の監督候補にと注目されるのは当然でしょう。
球界もその野球頭脳を認め一目置おき、人望も厚いだけに、今後、どのような動きをみせるかが注目されます。