今季、西武からFAで岸孝之投手が加入しましたが、それでも楽天のエースといえば、則本昂大投手の名前を挙げる人は多いでしょう。
負けん気が強くバッタバタと三振を奪う気迫の投球が魅力の則本投手。
これまでの経歴や今までのプロ野球選手生活を見てみます。
則本昂大の経歴・生い立ち
則本昂大投手は現在[GetAge 19901217]歳、滋賀県多賀町出身の投手です。
則本 昂大(のりもと たかひろ)- 東北楽天ゴールデンイーグルス (2013 – )
生年月日 | 1990年12月17日([GetAge 19901217]歳) |
出身地 | 滋賀県犬上郡多賀町 |
身長 | 178cm |
体重 | 82kg |
ポジション | 投手 |
投打 | 右投左打 |
プロ入り | 滋賀県立八幡商業高〜三重中京大学〜楽天2012年ドラフト2位 |
5人家族で育った則本投手は、3兄弟の真ん中です。
野球を始めたきっかけは親戚のおじさんからの勧めだったようで、小学1年のときのことでした。
お父さんは地元企業で働いていましたが、則本投手が野球を始めると、毎晩のように練習に付き合い、厳しく指導したそうです。
当時のお父さんは、決して野球は詳しくなかったものの、今では地元で野球チームを立ち上げるほどになったとか。
また弟の則本佳樹さんは、2018年ドラフト候補になっている投手です。
現在は、近畿大を卒業して山岸運送入社、社会人野球の山岸ロジスターズに所属しています。
【楽天】則本、兄を追う弟・佳樹さんの学費出していた 2017年5月11日
則本がお立ち台で万雷の拍手を浴びる同時刻、4歳年下の弟・佳樹 (22)は遠く離れた静岡・島田球場でシート打撃に登板していた。この春、近大を卒業。島田市内の山岸運送に入社し、船出したクラブチーム「山岸ロジス ターズ」で投手を務める。右の本格派で最速145キロ。投球フォームはどこか兄を連想させる。佳樹が北大津高3年時、兄は三重中京大の4年で ドラフト候補だった。「兄と同時にプロに行くのが夢だったんです」。佳樹はプロのレベルには至らなかったが、名門・近大が注目してくれた。だが、私大に4 年間通うには、かなりの学費がかかる。進学は無理か…。「僕が大学に行かずに就職してプロを目指そうとしたら、兄貴が学費を出してくれることになったんで す」。近大では右肘を2度手術し、活躍はできなかったが、完治した今、プロを狙う。「大学ではいろんな勉強ができた。兄貴には恩返ししたい。学費はこれから、返していきたいと思っています」。夢は、兄弟ともにプロ。静岡の地から、兄の背中を追う。
八幡商業高 時代 滋賀県 – ( 2006- 2009 )
中学卒業後は地元・滋賀の八幡商業高校に進学。
1年夏に1度だけ出場した甲子園はベンチ外。
2年の夏から徐々にエース格のピッチャーとなりました。
当時から最速140キロの直球を持つ本格派右腕として注目されていました。
3年夏は、県大会ベスト4に導いています。
第90回夏・滋賀大会 予選 – ( 2008 )
回戦 | 対戦校 | 勝敗 | |
一回戦 | 米原 | ○ | 8-3 |
二回戦 | 大津 | ○ | 7回コールド 10-2 |
三回戦 | 堅田 | ○ | 5-4 |
準々決勝 | 八日市南 | ○ | 2-1 |
準決勝 | 綾羽 | ● | 5-2 |
三重中京大 時代 滋賀県 – ( 2009- 2013 )
高校卒業後は三重中京大に進学しました。
中央球界では無名のリーグではあるものの、2年の春からは先発に定着。
3年の時には最速154キロのストレートを計測するまでになりました。
なんとリーグ戦では37試合に登板し、27勝無敗、257奪三振を奪い、当時から三振をどんどん奪っていく力強い投球が魅力でした。
大学投手成績 – ( 2009-2012 )
年度 | 登板 | 勝敗 | 防御率 | 投球回 | 安打 | 三振 | 四死球 | 自責点 |
09秋〜12春 | 37 | 27勝0敗 | 0.65 | 234.2 | – | 257 | 45 | 17 |
ドラフト会議 – ( 2012 )
そのピッチングがプロの注目を集めるようになり、2012年のドラフト2位で楽天の指名を受けます。
背番号14、契約金7000万円、年俸1200万円で入団しました。
ドラフト指名選手 – ( 横浜DeNAベイスターズ )
1位 | 森 雄大 | 投手 | 東福岡高 |
2位 | 則本 昂大 | 投手 | 三重中京大学 |
3位 | 大塚 尚仁 | 投手 | 九州学院高 |
4位 | 下妻 貴寛 | 捕手 | 酒田南高 |
5位 | 島井 寛仁 | 外野手 | 熊本ゴールデンラークス |
6位 | 柿澤 貴裕 | 投手 | 神村学園高 |
結婚は、している? – ( 2015 )
現在26歳とまだ若いのですが、4年前の2013年クリスマスイブに結婚しました。
一時、タレントの東原亜希の名前が浮かんでいたようですが、あくまでも噂のようです。
お相手は高校時代の野球部のマネージャー。
そう聞くと、高校時代から付き合っていたのでは…と思われるかもしれませんが、卒業後の忘年会で再開。
交際に発展し、ゴールインしたそうです。
今では女の子も誕生し、1児の父となっています。
則本イブ婚!お相手はAKB倉持似美女 2017年5月11日
今季パ・リーグ新人王の楽天則本昂大投手(23)が結婚したことが24日、分かった。お相手は元会社員の藤本紋華(あやか)さん(22)で、クリスマスイブの24日に地元の滋賀・多賀町役場に、則本の父義孝さんを通じて婚姻届を提出した。紋華さんは同じ八幡商野球部の1学年下のマネジャーで、交際約1年半を経てゴールイン。激動の1年の最後にふさわしいお祝い事となった。
最高のクリスマスになった。リーグ優勝、日本一、新人王を勝ち取った則本のプロ1年目。その締めくくりは結婚だった。お相手の紋華さんは高校時代の野球部マネジャーで、1学年下の後輩。クリスマスイブの24日に婚姻届を提出した。則本は「これからは今まで以上に社会人、野球選手としての自覚を持ち、頑張っていきたい」と、2年目に向け気持ちを新たにした。紋華さんは身長158センチのスレンダー美人で、アイドルグループAKB48の倉持明日香や女優柴咲コウに似たキリッとした大きな瞳が印象的という。知り合ったのは約7年前。高校2年生だった則本は、入部した紋華さんの印象を「かわいらしい後輩が入ってきた」と振り返る。ただ、交際することについては「想像してなかった」。11年12月に行われた高校の野球部忘年会で再会したのがきっかけとなり、その後「毎日のように連絡をとるようになった」。電話やメールでやりとりするうちに自然と紋華さんにひかれるようになり、12年7月に交際を申し入れた。それから約1年半でゴールイン。「付き合う前から料理とかも始めていたそうで、徐々に練習したり、料理教室に通ったりして、すごく頑張ってくれた。ああ、いい子だなって」と、いちずな姿により一層、結婚への思いは強くなっていった。好きな料理は「ブリの照り焼きですね。断トツです」。出世魚を頬張り、1年目に15勝を挙げて新人王まで上り詰めた。シーズン中、「よく見に来てくれました」と球場に足を運んでくれた紋華さんに感謝の思いも強い。負けがこんだ時や、落ち込みそうになった時も、「楽天的というか、ポジティブなので。悲観的にならないし、それは大きかった」と彼女の明るさに支えられてきた。来季チームの連覇のために、則本へかかる期待も大きくなる。しっかりと足元を固めて2年目に挑む。
則本昂大のプロ入り後
ピッチングスタイル
則本昂大投手といえば、豪快なストレートのイメージが強いかもしれません。
2017年シーズンのオールスターでは自己最速の158キロをマーク。
その球威はさらに磨きがかかっています。
それだけなく、スライダー、フォーク、フォーシームを巧みに使い分け、とりわけスライダーに関しては様々な曲がり方をし、相手に的を絞らせません。
ルーキーイヤー– ( 2013 )
1年目からオープン戦で結果を残し、いきなりルーキーイヤーから開幕投手を務めました。
新人の開幕投手は、1984年ヤクルト高野光投手以来29年振りの快挙です。
高野 光(たかの ひかる)- ヤクルトスワローズ (1984 – 1993)
生年月日 | 1961年5月20日(39歳没) |
出身地 | 東京都江東区 |
身長 | 187cm |
体重 | 85kg |
ポジション | 投手 |
投打 | 右投右打 |
プロ入り | 東海大浦安高〜東海大学〜ヤクルト1983年ドラフト1位 |
NPB通算:8年 | 登182(先発:124) 防4.08(51勝55敗13s)投887.0 振642 |
則本昂大投手は、7回途中4失点で敗戦投手になりましたが、プロ初登板は大舞台となったのです。
その翌週にはプロ初勝利を飾り、その後もとんとん拍子に勝ち星を積み重ねます。
1年目から15勝を挙げ、チーム初の優勝に大きく貢献しました。
また日本シリーズでも2度先発。
特に第5戦では決勝のホームを踏む活躍も。
球団初の日本一にも貢献し、新人王を獲得しました。
ちなみに楽天ではあの「マー君」こと田中将大投手以来のことで、この年、田中投手は24勝無敗の成績を残しました。
年度別投手成績 – ( 2013 )
2012年 (22歳) 楽天ドラフト2位 契約金7000万円
年度 | 登板 | 防御率 | 勝敗 | 投球回 | 三振 | 年俸 |
2013年(23) | 27(先発25) | 3.34 | 15勝8敗 | 170.0 | 134 | 1200万 |
楽天エースに – ( 2014 – 2018 )
2014年にはエースの田中投手が大リーグに移籍したことで、早くも2年目にして則本投手がエースの役割を担うことに。
自身初の200イニングを超えるイニングを投げ、14勝をマーク。
204奪三振で初の奪三振王のタイトルを獲得す。
3年目は10勝11敗と負け越したものの、215奪三振。
さらに4年目の2016年も216奪三振で3年連続の奪三振王に輝きました。
開幕投手に関しても2016年まで4年連続で務めています。
年度別投手成績 – (2014 – 2017)
年度 | 登板 | 防御率 | 勝敗 | 投球回 | 三振 | 年俸 |
2014年(24) | 30(先発28) | 3.02 | 14勝10敗 | 202.2 | 204 | 6000万 |
2015年(25) | 28(先発28) | 2.91 | 10勝11敗 | 194.2 | 215 | 1億2000万 |
2016年(26) | 28(先発28) | 2.91 | 11勝11敗 | 195.0 | 216 | 1億5000万 |
2017年(27) | 25(先発25) | 2.57 | 15勝7敗 | 185.2 | 222 | 2億0000万 |
2018年(28) | 27(先発26) | 3.67 | 10勝11敗 | 180.1 | 187 | 2億5000万 |
通算:6年 | 165(先発160) | 3.06 | 75勝58敗 | 1128.1 | 1178 | (19)2億5000万 |
日本代表 – ( 2016 )
2015年11月に第1回WBSCプレミア12に出場。
自身では初めてとなる侍ジャパンのユニフォームに袖を通すことになりました。
二番手でリリーフ登板し、当時自身最速の157km/hを計測。
WBSCプレミア12 投手成績 – (2015)
年度 | 登板 | 防御率 | 勝敗 | 投球回 | 三振 | 自責点 |
2015年(25) | 4(先発0) | 6.00 | 1勝1敗 | 13.0 | 8 | 4 |
2017年はWBCにも出場しました。
中継ぎで2試合に登板し、防御率9.82と、国際舞台では思うような投球が出来ませんでした。
WBCで 投手成績 – (2017)
年度 | 登板 | 防御率 | 勝敗 | 投球回 | 三振 | 自責点 |
2017年(27) | 2(先発0) | 9.82 | 0勝0敗 | 3.2 | 3 | 4 |
目標の投手
憧れのピッチャーが、かつて「炎のストッパー」の異名を取った広島の伝説の守護神・津田恒実投手です。
津田 恒実(つだ つねみ)- 広島東洋カープ (1982 – 1991)
生年月日 | 1960年8月1日(32歳没) |
出身地 | 山口県都濃郡南陽町(現:周南市) |
身長 | 181m |
体重 | 79kg |
ポジション | 投手 |
投打 | 右投右打 |
プロ入り | 山口県立南陽工業高〜協和醱酵〜広島1981年ドラフト1位 |
NPB通算:10年 | 登286(先発:58) 防3.31(49勝41敗90s)投693.0 振628 |
32歳という若さで脳腫瘍のためにこの世を去りましたが、気迫を前面に押し出したピッチングは数多くの伝説を作りました。
津田恒実という男 南陽工(山口)では145キロの速球を誇り、81年ドラフト1位で広島入団。82年に11勝6敗、防御率3・88の成績で球団初の新人 王。翌年に右肩痛、3年目の84年には右手の血行障害を患った。86年から守護神として復活。150キロ台の速球を全力で投げ込む姿から「炎のストッ パー」と呼ばれ、同年は4勝6敗22セーブ、防御率2・08でリーグ優勝に貢献。89年は28セーブで、最優秀救援投手のタイトル。91年5月に脳腫瘍が 判明し同年11月、闘病生活を理由に現役引退。93年7月20日に32歳で生涯を終えた。
則本投手は小学4年の時、津田恒美投手をテーマにしたドラマを見て、大きな影響を受けました。
どんなにキャッチャーが変化球を要求しても、強気にストレートで攻め続けるその気迫あふれるピッチングに、則本投手は影響を受け、今のピッチングスタイルにも繋がっています。
津田恒美投手の座右の銘ともなっていた「弱気は最大の敵」。
則本投手はグラブにもこの言葉を刻み、憧れの津田投手と同じ背番号14を背負ってマウンドに登っています。
背番号14のキズナ…楽天 則本 津田魂4勝、直球押しまくった 2013年5月26日
則まるで炎のストッパーのように。広島・マツダスタジアムのマウンドで、背番号14が躍動した。楽天・則本が直球で押しまくる。150、150、150…。8回1死、梵に対して3ボール1ストライクから7球連続ファウル。うち5球が直球だった。1球ごとに球場がどよめきに包まれる。最後は12球目、136 キロスライダーを左中間二塁打された。ルーキーは天を仰いだ。「これで1点、取られるだろうな。完封はなくなったな…」。胸の中で、そう思った。
「何としても抑えたかった。勝負どころの変化球が甘い。完封したかったけど…。“まだ早いよ”って言われた感じですね」。8回3安打1失点。悪い予感は 的中し、直後に代打・松山に同点打を浴びた。それでも最高気温29度の中、8回の98球目に最速151キロをマークした。力で押す。炎のような直球で相手 を牛耳る。則本が心酔する、元広島の津田恒実さんのような投球だった。
「好きな言葉は2つ。漢字一文字なら“魂”。あとはやっぱり、津田さんの“弱気は最大の敵”ですね」。小4の時、津田さんのテレビ番組「炎のストライ ク」を見て心が震えた。プロの世界に入り、同じ14番を背負い「うれしい」と喜んだ。「魂」の文字は、父・義孝さん(56)にプレゼントした帽子のつばの 裏に書き込んだ。そして「弱気は最大の敵」――。その言葉を心に刻んでマウンドに上がった。
「広島で勝てたのがうれしいですね」。試合後の則本は笑顔を輝かせた。3試合ぶりの白星でパ・リーグ新人単独トップの4勝目。チームもパ首位のロッテと 2差をキープし、交流戦ではオリックスと並んで首位に浮上した。7月20日。津田さんが32歳の若さで亡くなってから、ちょうど20年がたつ。その魂は、 いつの時代にも受け継がれる。
奪三振記録保持者
2017年シーズンの則本昂大投手といえば、最も話題になったのが8試合連続二桁奪三振という日本記録の樹立です。
4月19日の西武戦から6試合連続2桁奪三振を記録し、あのメジャーでも活躍した野茂英雄さんと肩を並べたのです。
その記録は8試合連続まで更新。
世界新記録まで視野に入ってきたところで、惜しくも途絶えてしまいましたが、それまでも野茂英雄さんの記録を2試合も更新する素晴らしい記録となりました。
8試合連続二桁奪三振 – (NPB記録・世界記録タイ)
登板日 | 登板 | 対戦 | 投球回 | 三振 |
2017年 4月19日 | 先発 | 西武 | 8.0 | 10 |
2017年 4月26日 | 先発 | ロッテ | 7.0 | 10 |
2017年 5月3日 | 先発 | オリックス | 8.0 | 12 |
2017年 5月10日 | 先発 | ロッテ | 9.0 | 12 |
2017年 5月17日 | 先発 | 日本ハム | 7.0 | 12 |
2017年 5月25日 | 先発 | オリックス | 8.0 | 10 |
2017年 6月1日 | 先発 | 巨人 | 8.0 | 12 |
2017年 6月8日 | 先発 | DeNA | 9.0 | 12 |
これだけでなく奪三振の記録もいくつかあります。
3年連続奪三振王をもさることながら、2014年には史上16人目となる出場選手から全員三振を奪う記録を樹立。
2013年に出場した日本シリーズでは史上2人目となるルーキーでの二桁奪三振を記録しました。
そんな様々な奪三振に関する記録を持っている則本投手。
8試合連続2桁奪三振の日本記録を作ったように、楽天のエースとしてチームを引っ張っています。
すでにルーキーから続いている5年連続2桁勝利も達成。
好調楽天の原動力となっています。
タイトル・表彰
最多奪三振 | 4回(2014年 – 2017年) |
新人王 | 2013年 |
ゴールデン・ルーキー賞 | 2013年 |
セ・パ交流戦優秀選手 | 2014年 |
月間MVP | 2回(投手部門:2014年6月、2017年5月) |
「ジョージア魂」賞 | 2回 (2013年度第7回、2014年度第1回) |
報知プロスポーツ大賞フレッシュ賞 | 2013年 |
滋賀県民スポーツ大賞特別賞 | 2013年 |
まとめ
福岡ソフトバンクと熾烈な優勝争いを繰り広げた楽天。
その好調の要因の1つが、エース則本投手の気迫みなぎるピッチングにあります。
5年連続2桁勝利を達成していますが、これから先どこまで勝ち星を伸ばしていくか。
2013年以来の優勝、そして日本一を達成出来るでしょうか。
則本投手の魂のピッチングから目が離せません。