今季、西武は不振が続いたことで来季に向けた編成が行われています。
その中で次期監督候補の一人として名前が挙がっているのが、元西武でもあり黄金時代を支えた一人である秋山幸二さんですね!
今回はそんな秋山幸二氏についてご紹介させていただきたいと思います!
秋山幸二の経歴・生い立ち
秋山 幸二(あきやま こうじ)
生年月日 | 1962年4月6日(54歳) |
出身地 | 熊本県氷川町 |
身長 | 185cm |
体重 | 89kg |
ポジション | 外野手 |
投打 | 右投右打 |
プロ入り | 熊本県立八代高〜1980年 ドラフト外 |
秋山幸二氏は熊本県八代郡宮原町の出身で、今年で54歳になります。
小学校3年の時に母の勧めもあり、地元の少年野球チームに入ったのが、野球を始めたきっかけであるとされていますね。
当時からプロでも良く知られているバック転を得意としていたそうで、この頃から運動神経は優れていたことがわかります。
中学時代は主にサードやセンターを守っていたことが多く、1980年、熊本県屈指の進学校である八代高校の入学となった秋山は主将兼エース兼四番打者と、文字通り大黒柱としてチームを牽引。
3年最後の夏の甲子園は母校を創立以来の県大会決勝戦へと導くものの、伊東勤選手擁する熊本工に決勝で敗れてしまい、惜しくも甲子園出場はなりませんでした。
伊東勤さんとは、高校時代、西武時代、監督時代と常にしのぎを削った良き戦友ですね。
秋山選手は高校卒業時のドラフトでは本人の大学進学の希望もあって指名はされませんでした。
しかし、ドラフト後にプロ入りを表明、その際、最も熱心に誘ってくれた西武にドラフト外で入団しています。
性格は現役の頃、喜怒哀楽を表に出さない寡黙な選手だったとされています。
不真面目だったわけではなく、練習もしっかりしていたそうで、何でも器用にこなせる身体能力の高さはトリプルスリーを記録したヤクルトの山田選手やメジャーリーグのイチロー選手を彷彿とさせてくれますね!
秋山幸二の輝かしい現役時代
年度別打撃成績
1980年 (18歳) 1980年 ドラフト外 契約金8000万円
年度 | 試合数 | 打率 | 打点 | 本塁打 | 盗塁 | 年俸 |
1981年(19)西武 | 3 | .200 | 0 | 0 | 0 | 240万 |
1982年(20) | – | – | – | – | – | 360万 |
1983年(21) | – | – | – | – | – | 380万 |
1984年(22) | 54 | .236 | 14 | 4 | 6 | 400万 |
1985年(23) | 130 | .252 | 93 | 40 | 17 | 580万 |
1986年(24) | 130 | .268 | 115 | 41 | 21 | 1800万 |
1987年(25) | 130 | .262 | 94 | 43 | 38 | 3600万 |
1988年(26) | 130 | .292 | 103 | 38 | 20 | 5400万 |
1989年(27) | 130 | .601 | 99 | 31 | 31 | 6700万 |
1990年(28) | 130 | .256 | 91 | 35 | 51 | 8400万 |
1991年(29) | 116 | .297 | 88 | 35 | 21 | 9800万 |
1992年(30) | 130 | .296 | 89 | 31 | 13 | 1億4000万 |
1993年(31) | 127 | .247 | 72 | 30 | 9 | 1億7000万 |
1994年(32)ダイエー | 129 | .254 | 73 | 24 | 26 | 2億1000万 |
1995年(33) | 122 | .264 | 66 | 21 | 13 | 2億4000万 |
1996年(34) | 121 | .300 | 66 | 9 | 13 | 1億9200万 |
1997年(35) | 97 | .245 | 52 | 12 | 11 | 1億8000万 |
1998年(36) | 115 | .260 | 49 | 10 | 7 | 1億5000万 |
1999年(37) | 113 | .256 | 44 | 12 | 3 | 1億5000万 |
2000年(38) | 124 | .262 | 48 | 5 | 2 | 1億3500万 |
2001年(39) | 82 | .286 | 32 | 11 | 1 | 1億5000万 |
2002年(40) | 76 | .249 | 24 | 5 | 0 | 1億5000万 |
通算:22年 | 2189 | .270 | 1312 | 437 | 303 |
秋山選手が最も輝いていたのは西武黄金期(1982年から1994年)と言われていた時代でしょう!
1985年に王貞治氏に並ぶ最年少(23歳)での40本塁打にこの年から2002年までの間オールスターゲームに出続けるなど、スター街道を走っていた時代ですね!
1987年には落合選手が移籍したこともあって、3年連続となる40本以上の本塁打(43本)を放ち、本塁打王も獲得。
まさに西武黄金期を支えた中心選手として活躍していました!
1989年には当時4人しか達成していなかったトリプルスリーも記録しています。
当時トリプルスリー達成選手
達成年 | 達成者 | 当時の所属球団 | 打率 | 本塁打 | 盗塁 |
1950 | 岩本義行 | 松竹ロビンス | .319 | 39 | 34 |
1950 | 別当薫 | 毎日オリオンズ | .335 | 43 | 34 |
1953 | 中西太 | 西鉄ライオンズ | .314 | 36 | 36 |
1983 | 簑田浩二 | 阪急ブレーブス | .312 | 32 | 35 |
1989 | 秋山幸二 | 西武ライオンズ | .301 | 31 | 31 |
それから有名なエピソードでもあるバック宙ホームインについても触れておくとこのエピソードは1986年に日本シリーズ第8戦でホームインの際にバック宙をしながら行うパフォーマンスを披露。
この時を含めて日本シリーズ3回、シーズン中2回のバック宙ホームインし以降、秋山選手の代名詞になりました。
イメージでは強く残っているのでもっと多くの回数をしていると思ったのですが意外と少ないですね。
のちに球団から膝の故障を危惧して秋山選手にバック宙ホームインの禁止令が出ました。
1986年に清原和博選手が入団してからは頭文字を取って「AK砲」とも呼ばれていた時期があり、後にこの言葉は同じ頭文字を持っている選手たちの間でも使用されるようになる等、ちょっとした慣習にもなりましたね。
アベックホームラン記録
ON砲(王貞治・長嶋茂雄) | 106回 |
YK砲(山本浩二・衣笠祥雄) | 86回 |
AK砲(秋山幸二・清原和博) | 62回 |
当時のライバルは?
この言葉が使われるようになった頃は当然、チームメイトだった清原選手もライバル関係にあたるかと思いますが、どちらかと言うならば当時、他チームに在籍していた落合選手がそれにあたるのではないでしょうか?
事実、落合選手が移籍するとともに本塁打王のタイトルを獲得するといった出来事もありましたから、常に競い合う状況にあったのは間違いなく、それは見方を変えればライバルといっていいでしょう!
この二人の間にはちょっとしたエピソードもあって、落合選手が秋山選手についてのコメントを求められたときに「秋山はライバルじゃない」と発言して秋山選手の神経を逆撫でするといったこともありました。
意識していたかどうかは定かではありませんが、今にして思えばライバルだからこその発言だったのかもしれませんね。
1992年西武ライオンズ打線
1番 | 辻発彦 | セカンド | 率.285(474-135) 本6打48盗23 |
2番 | 平野謙 | ライト | 率.280(436-122) 本4打45盗15 |
3番 | 秋山幸二 | センター | 率.296(480-142) 本31打89盗13 |
4番 | 清原和博 | ファースト | 率.289(464-134) 本36打96盗5 |
5番 | デストラーデ | 指名打者 | 率.266(448-119) 本41打87盗12 |
6番 | 石毛宏典 | サード | 率.297(438-130) 本8打52盗11 |
7番 | 安部理 | レフト | 率.245(220-54) 本7打25盗0 |
8番 | 伊東勤 | キャッチャー | 率.263(365-96) 本4打49盗10 |
9番 | 田辺徳雄 | ショート | 率.302(401-121) 本13打63盗4 |
それとダイエーに移籍した当初、秋山選手はダイエーの選手たちの勝ちに対する意識の薄さに愕然としたというエピソードもあります。
この頃のダイエーは弱小球団でしたが、秋山選手が背中でチームを引っ張っていく姿勢を示し続けたこともあって、小久保選手や松中選手ら後輩の信頼も厚かったそうですね。
現在のソフトバンクが常に上位争いができるようになった背景には秋山選手の存在が少なからず、あるのではないでしょうか?
秋山幸二の家族・嫁は?
秋山氏は奥さんの千晶さんと長女の真凛さんの3人家族だったのですが、2014年の12月に千晶さんが病気の為、他界されてしまい、現在は2人家族です。
秋山氏は自身が子供の頃にもお兄さんが他界、お姉さんも白血病で亡くしているという過去を持っていて、千晶さんと結婚した後もご長男が生後間もなく他界するといった不幸に見舞われてきました。
2014年に監督を突然退任する意向を示した時も実は奥さんの病気という背景があったのではないかと言われていますね。
ソフトバンク監督時代の手腕は?有能か?
ご存じの方も多いでしょうが、秋山氏はダイエーの監督を2008年から2014年までの6年間務め上げ、前述の理由から2014年に退任しています。
この間リーグ優勝3回、日本一を2回経験しているのですから、十分名将と言っていい実績でしょう!
二軍監督時代には松田宣浩選手や本田雄一選手を育てている育成面での実績も高く評価できるところですね!
2011年にはコーチ陣も監督経験者であり、守備力向上に定評のある大石ヘッドコーチを始めとした布陣でリーグ制覇、初の日本一も経験しています。
選手からの信頼も厚い監督であったことでも有名で、どちらかと言えばあれだけの巨大戦力をまとめ上げることができた手腕を評価する声も少なくありません。
歴代監督の通算成績
監督 | 年数 | 試合 | 勝利 | 敗戦 | 引分 | 勝率 | 優勝 | 日本一 |
王貞治 ホークスのみ | 14 | 1913 | 998 | 877 | 38 | .532 | 3 | 2 |
秋山幸二 | 7 | 865 | 456 | 369 | 40 | .553 | 3 | 2 |
工藤公康 2年目前半戦迄 | 2 | 229 | 145 | 75 | 9 | .659 | 1 | 1 |
年度別成績
年度 | CS順位 | リーグ順位 | リーグ勝敗 |
---|---|---|---|
2008 | — | 6位 | 64勝77敗3分 |
2009 | 3位 | 3位 | 74勝65敗5分 |
2010 | 2位 | 1位 | 76勝63敗5分 |
2011 | 1位 | 1位 | 88勝46敗10分 |
2012 | 2位 | 3位 | 67勝65敗12分 |
2013 | — | 4位 | 73勝69敗2分 |
2014 | 1位 | 1位 | 78勝60敗6分 |
まとめ
以上、秋山幸二氏についてとなります。
選手としても素晴らしい方ですが、ダイエーに移籍してからの選手たちの意識改革を成した方だと考えると監督としての素養も非常に高いとみていいのではないでしょうか?
まだ、次期監督については決まっていませんが、秋山さんが指揮を執る古巣の西武ライオンズ監督というのも個人的には見てみたいですね!