エースを務めてきた岸孝之投手がFAで東北楽天へ移籍したことで、投手陣の戦力が低下するのではと不安視されていた埼玉西武。
しかし、エースが抜けた穴を埋める活躍を見せているのがブライアン・ウルフ投手です。
日本球界では8年目と、日本の野球を知り尽くした助っ人のベテランが今季、絶好調なのはなぜなのでしょうか?
西武ブライアン・ウルフ投手の生い立ち
ブライアン・ウルフ投手は1980年11月29日生まれで、現在歳のベテラン投手です。
アメリカ・カリフォルニア州出身。
ブライアン・ウルフ -埼玉西武ライオンズ (2016 – )
生年月日 | 1980年11月29日(歳) |
出身地 | アメリカ合衆国カリフォルニア州フラートン |
身長 | 191cm |
体重 | 104kg |
ポジション | 投手 |
投打 | 右投右打 |
初出場 | MLB / 2007年5月30日 NPB / 2010年3月21日PB |
NPB成績:7年 | 登130(先発:90) 防3.21(42勝32敗3s8h)投571.1 振300 |
地元にある高校では野球部に所属し、当時からエースを任されていました。
1999年ドラフトでツインズに6位指名を受け入団し、高卒とともにプロの世界に飛び込みました。
ブライアン・ウルフの性格
ウルフ投手は性格が非常に温和で穏やかであることでも知られています。
プレー中も落ち着きがあり、たとえ相手に死球を与えても、動揺するそぶりを見せません。
一見、怖そうな風貌なのですが、内面はそれとは非常に対照的なのです。
ケンカ売られても吠えないウルフ初完投
2012年8月24日
<日本ハム7-1オリックス>◇23日◇札幌ドーム
乱闘寸前の騒ぎもなんのその! 日本ハムのブライアン・ウルフ投手(31)が、9回を3安打1失点に抑え、来日3年目で初完投勝利をマークした。5回に1死からバルディリスに死球を与えたのを機に、2度も一触即発ムードが漂ったが、本人は冷静な投球に終始。初完封がかかった9回にこそ失点したが、自己最多の9奪三振で7勝目を挙げた。ケンカを売られても、ウルフの名前とは真逆に草食系だった。5回1死。バルディリスを内角ツーシームでえぐると突如、札幌ドームのボルテージが沸点に達した。死球に激高したベネズエラ出身のラテン系助っ人を、軽々といなした。マウンドでは無表情。大仏のように固まり、嵐が過ぎるのをじっと待った。両軍の選手、ベンチが静止するのを見届けると、来日3年目で初の完投白星へギアを入れ直した。乱闘寸前の一触即発の状況にも、冷静に93球の快投劇を完成させた。「野球っていうゲームの1つ。そこは仕方ない。もちろん、わざと当てていないから」。続く赤田の二ゴロで一塁走者のバルディリスが、二塁に入った金子誠へ向かってスライディング。うまくかわして事なきを得たが、併殺崩しにしては激し過ぎる危険プレーだった。その直後、バルディリスが再び詰め寄り、またも緊迫。再沸騰した不穏ムードにも乗らずに、やり過ごした。栗山監督も「プロとして激しいスライディングと感情的なのは違う」と憤ったが、ウルフは泰然自若。9回に1点を失って完封は逃したが、来日初の完投勝利、5者連続を含む同最多9三振と奮闘した。正々堂々とプレーでは迫力十分のウルフの名前通り、剛腕で黙らせた。そりあげた頭髪に、あごヒゲのこわもてとは対照的な温和な性格が生きた。有事で忍耐強さを発揮するタイプ。新幹線の発券ミスでグリーン車を予約できなかった時には190センチ、104キロの巨体を小さくしながら、仙台-東京間の約2時間を立ったまま移動した逸話もあるほど。「完封を逃したのはガッカリはした。でも、気持ち良く投げられたよ」。最後の最後まで、ウルフはほえなかった。【高山通史】
結婚はしている?
現在奥様もお子さんもいらっしゃり、すでに日本の生活に馴染んでいるようです。
それもまたウルフ投手が日本で落ち着いた環境の中でプレーでき、結果を残していることに繋がっているのでしょう。
そして、家族思いの良い夫であり、お父さんであるようです。
米国での実績・成績は?
マイナー時代 – (1999 – 2006)
ウルフ投手は1999年にツインズに入団。
その後、2005年にブリュワーズに移籍。
マイナー年度別投手成績 – (1999 – 2006)
年度 | 階級 | 登板(先発) | 防御率 | 勝敗 | 投球回 |
1999年(18) | RK級 | 9(5) | 2.84 | 4勝0敗 | 38.0 |
2000年(19) | A級 | 31(18) | 4.74 | 5勝9敗 | 123.1 |
2001年(20) | A級 | 28(23) | 2.81 | 13勝8敗 | 160.0 |
2002年(21) | A級 | 25(23) | 4.64 | 6勝9敗 | 132.0 |
2003年(22) | A級 AA級 |
7(7) 30(10) |
2.53 6.42 |
2勝1敗 5勝7敗 |
46.1 82.2 |
2004年(23) | AA級 | 7(0) | 8.18 | 1勝1敗 | 11.0 |
2005年(24) | AA級 | 16(0) | 3.38 | 3勝1敗 | 24.0 |
2006年(25) | AA級 | 24(2) | 5.74 | 1勝3敗 | 42.1 |
メジャー時代 – (2006 – 2009)
2006年にトレードでブルージェイズに移籍すると、翌2007年にはメジャーデビュー。
主に中継ぎとして38試合に登板し、メジャー初勝利を含め3勝をマークしました。
2008年、2009年とメジャーで登板する機会はありましたが、右肩などの故障にも悩まされた年が続きました。
MLB年度別投手成績 – (2007 – 2009)
年度 | 登板/先発 | 防御率 | 勝敗 | 投球回 | 三振 |
2007年(26) | 38(0) | 2.98 | 3勝1敗6h | 45.1 | 22 |
2008年(27) | 20(0) | 2.45 | 0勝2敗3s | 22.0 | 14 |
2009年(28) | 14(0) | 8.22 | 2勝2敗 | 15.1 | 11 |
MLB通算:3年 | 72(0) | 3.81 | 5勝5敗9s | 82.2 | 47 |
それでもメジャーでの中継ぎとしての実績、そして中継ぎ投手の補強を目指していた日本ハムが獲得することになったのです。
ピッチングスタイル
ウルフ投手といえば、来日当初はスピードを生かした速球派投手でした。
アメリカ時代は最速161キロを投げていたこともあるようですが、現在は先発で技巧派に転身。
ストレートの球速を抑えながらも、カーブやカットボール、チェンジアップなど多彩な変化球を上手く織り交ぜながら、相手打者を抑えていくというのがピッチングスタイルとなっています。
日本球界での活躍
日本ハム時代 – (2010 – 2013)
ウルフ投手は日本球界で8年目を迎えるベテラン助っ人です。
そんなウルフ投手が最初に在籍したのは日本ハムでした。
入団当初は中継ぎや抑えで起用されるも、なかなか結果が残すことをできませんでした。
豪速球に頼るあまり、コントロールを乱したことが原因でした。
シーズン終盤に先発に転向してからは、月間MVPを獲得するほどの安定感を見せ、さらなる契約更新も決まったのです。
来日1年目に4勝を挙げたウルフ投手は、翌年には12勝をマーク。
それ以降も先発として安定した成績を残しました。
しかし、2013年のオフに自らチームを去る決意をし、福岡ソフトバンクへ移籍することになったのです。
年度別投手成績 – (2010 – 2013)
年度 | 登板 | 防御率 | 勝敗 | 投球回 | 三振 | 年俸 |
2010年(29) | 42(先発4) | 3.03 | 4勝3敗3s8h | 62.1 | 24 | 4000万 |
2011年(30) | 26(先発26) | 3.60 | 12勝11敗 | 150.0 | 90 | 5600万 |
2012年(31) | 26(先発25) | 2.66 | 10勝9敗 | 149.0 | 83 | 1億1000万 |
2013年(32) | 22(先発22) | 3.05 | 9勝6敗 | 130.0 | 60 | 1億0500万 |
ソフトバンク時代 – (2014 – 2015)
福岡ソフトバンクでの2年間はウルフ投手にとって苦しいものでした。
スタートこそ素晴らしかったのですが、シーズン中盤に右肘のじん帯を損傷する大きな故障に見舞われ、トミージョン手術をすることに。
結局、2年契約の満了とともにチームを去ることとなりました。
年度別投手成績 – (2014 – 2015)
年度 | 登板 | 防御率 | 勝敗 | 投球回 | 三振 | 年俸 |
2014年(33) | 8(先発8) | 3.04 | 4勝2敗 | 47.1 | 32 | 1億5000万 |
2015年(34) | 2(先発2) | 11.00 | 0勝1敗 | 9.0 | 3 | 1億5000万 |
西武時代 – (2016)
そして2016年。
ウルフ投手はシーズン中盤の7月、日本球界に復帰し、西武に入団することになりました。
その後、全盛期をほうふつとさせるピッチングで4試合に投げて、4勝負けなしの成績を残したのです。
年度別投手成績 – (2016)
年度 | 登板 | 防御率 | 勝敗 | 投球回 | 三振 | 年俸 |
2016年(36) | 4(先発4) | 3.04 | 4勝0敗 | 23.2 | 8 | 1500万 |
NPB通算:7年 | 130(先発90) | 3.21 | 42勝32敗3s8h | 571.1 | 300 | 5000万 |
2017年
オープン投手成績 – (2017)
年度 | 登板 | 防御率 | 勝敗 | 投球回 | 三振 | 四死球 |
2017年(36) | 3(先発3) | 1.80 | 0勝0敗 | 10.0 | 4 | 4 |
今シーズンは開幕から好調で、4月には月間4勝をマーク。
右肘の不安も一掃され、自分の持ち味である緩急をつけたコントロールあるピッチングが出来ているのでしょう。
このまま好調キープすれば、2桁勝利、さらには最多勝も狙えるはずです。
弱点があるとすれば、過去の傾向からスタートは非常に良いのですが、好調と不調の波が激しく、シーズン終盤に息切れしてしまうこと。
36歳という年齢もその弱点に拍車をかける可能性もあります。
日本球界で8年目を迎え、先発も数多くこなした経験と実績でどこまでカバーし、弱点を克服するかが注目されます。