井口資仁選手というと三拍子揃った好選手であり、元メジャーリーガーとしても知られています。
現在はロッテに在籍、精神的支柱としての今やチームには欠かせない存在になっています。
今回はそんな井口資仁選手についてご紹介させていただきましょう!
井口資仁の経歴・生い立ち
井口資仁選手は東京都田無市出身、今年で歳の大ベテランです。
小学4年の時に童話作家でもある寺村輝夫さんの次男が作った野球チームの「ビクトリー」に在籍。
その頃は捕手を務めていました。
以降、中学まで捕手を続け、中学3年の頃には全国大会にも出場しています。
井口 資仁(いぐち ただひと) -千葉ロッテマリーンズ (2009 – )
生年月日 | 1974年12月4日(歳) |
出身地 | 東京都田無市(現:東京都西東京市) |
身長 | 178cm |
体重 | 91kg |
ポジション | 内野手 |
投打 | 右投右打 |
プロ入り | 青山学院大学〜1996年ダイエードラフト1位 |
MLB通算:4年 NPB通算:16年 |
試493 率.268(1841打数494安打)本44 点205 盗48 試1850 率.271(6389打数1730安打)本249 点1002 盗176 |
国学院久我山時代 – ( 1990- 1993 )
後に国学院久我山高校で現在の本職である内野手に転向。
以降、遊撃手での出場が多くなりました。
2年の夏には3番・遊撃手での甲子園出場を果たす等、着実な成長を続けていき、卒業後には青山学院大学に進学しています。
第73回全国高校野球選手権大会 (1991年)国学院久我山・井口選手2年生時
回戦 | 対戦校 | 勝敗 | |
一回戦 | 池田(徳島) | ● | (延長10回)4-5 |
国学院久我山高 甲子園通算成績
大会 | 出場回数 | 勝敗 | 優勝 | 準優勝 | ベスト4 |
春の選抜 | 3回 | 0勝3敗 | 0 | 0 | 0 |
夏の選手権 | 2回 | 0勝2敗 | 0 | 0 | 0 |
甲子園通算 | 5回 | 0勝5敗 | 0 | 0 | 0 |
青山学院大学時代 – ( 1993- 1997 )
東都大学リーグでも史上初となる三冠王にリーグ記録にもなったシーズン8本塁打も記録。
華々しい活躍ぶりで井口選手がアマチュア時代に最も輝いていたのは大学時代だったと言って間違いはないでしょう!
青山学院大学時代 打撃成績
年度 | 試合 | 打率 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 |
1993~96年 | 101 | .281 | 366/103 | 24 | 61 | 32 |
東都大学リーグ記録
三冠王 | 打率.348 本塁打8 打点16(1994秋) |
通算本塁打 | 1位 24本 |
シーズン個人最多本塁打 | 1位 8本(1994秋) |
年間最多本塁打 | 1位 12本 (春7本・秋5本)(1995) |
連続本塁打 | 1位 4試合(1994秋) |
アトランタオリンピック – ( 1996 )
大学時には4年の頃にアトランタで開催されたオリンピックに日本代表として出場、銀メダル獲得に貢献。
代表メンバーの中には、のにちプロで活躍する三澤興一(巨人)、川村丈夫(横浜)、福留孝介(中日)、松中信彦(ダイエー)、今岡誠(阪神)、谷佳知(オリックス)らがいました。
アトランタオリンピックの戦績
回戦 | 対戦校 | 勝敗 | |
予選リーグ | オランダ | ○ | 12-2 |
予選リーグ | キューバ | ● | 7-8 |
予選リーグ | オーストラリア | ● | 6-9 |
予選リーグ | アメリカ合衆国 | ● | 5-15 |
予選リーグ | ニカラグア | ○ | 13-6 |
予選リーグ | 韓国 | ○ | 14-4 |
予選リーグ | イタリア | ○ | 12-1 |
準決勝 | アメリカ合衆国 | ○ | 11-2 |
決勝 | キューバ | ● | 9-13 |
ドラフト会議 – ( 1996 )
そうした実績を積み重ねていった井口選手はプロからの評判も高く、1996年のドラフトでは逆指名による福岡ダイエーホークス(現ソフトバンク)への入団を果たしています。
▲ ダイエー1位指名 契約金1億円、出来高払い5000万円、年俸1300万円(金額は推定)
ドラフト指名選手 – ( 福岡ダイエーホークス )
1位 | 井口 忠仁 | 内野手 | 青山学院大学 |
2位 | 松中 信彦 | 内野手 | 新日本製鐵君津 |
3位 | 柴原 洋 | 外野手 | 九州共立大学 |
4位 | 倉野 信次 | 投手 | 青山学院大学 |
5位 | 岡本 克道 | 投手 | 東芝 |
6位 | 村上 鉄也 | 投手 | 東北福祉大学 |
7位 | 新里 紹也 | 内野手 | 沖縄電力 |
顔が濃いけど井口資仁はハーフ?
井口選手は顔も濃い方なので、「ハーフなのでは?」と疑問に思う人が多いようです。
実際はご両親も日本人であることがわかっていますので、ハーフではないようですね。
ご家族についても触れておきますと嫁さんと長女がいるということで、ご本人を含めると3人家族ということになります。
プライベートについても見ていくと井口選手はスケジュールが詰まっている状態でもハワイを始め、国内外様々な場所へ家族旅行に行くようです。
娘さんと一緒にマラソン大会に参加するなど忙しい中、家族との交流も怠らない辺りは家族を大事にしている方だと伝わります。
何より、仕事やプライベートを両立している姿勢は素晴らしいですね。
ロッテ・井口は大忙し!超一流プロ野球選手のオフの過ごし方
プライベートも充実している。今オフは、ハワイ(同12月10-16日)、熱海(同19、20日)、パラオ(同22-27日)、シカゴ(1月23-26日) に家族旅行。ハイライトは2年連続出場となったJALホノルルマラソン(ハワイ)だ。自身は13年にフルマラソンを完走、今回(14年)は琳王ちゃんと初 めて10キロウオーク部門に出場して、親子の絆を強めた。「まさか一緒にエントリーする日が来るとは思っていなかったので、娘の成長を感じました。野球が分かる年齢になったし、父親としてもっと活躍する姿をみせないといけないと思いました」パラオでは青い空と海に癒やされた。厳しい戦いを忘れ、家族といる時間は最高のリラックスタイム。熱海では「行かないと食べることのできない海鮮料理が待っていた」と国内旅行ならではの時間を満喫した。
ロッテ内の派閥争い
12球団派閥と人脈[ロッテ編]、フロントと衝突して落ち目のサブロー
西村監督が就任した09年のオフ以降、ロッテの選手派閥は「2派」に分かれている。ひとつが「生え抜き組」を牽引するサブローを中心とした一派。もうひとつが「外様」をまとめる井口のグループである。
サブローが一言言えば球団は何でも動く。そんな逸話があるくらい球団内で発言力。影響力がズバ抜けていた。小林宏(阪神)ら多くの若手選手から慕われ、一時はサブロー一派が10人以上に膨れ上がったこともあった(チーム関係者)
だが、そんな「サブロー派」も最近は「井口派」に押され気味という。「09年にロッテに加入した井口は、ダイエー時代から親交が深かったロッテ・瀬戸山球 団社長、石川球団運営本部長らを後ろ盾に勢力を拡大しています。すでに球団からは『将来の監督手形』ももらっているため、人事権を掌握しつつある。井口が ロッテに加入して以降、阪神を戦力外になった今岡(井口の大学時代からの親友)、オリックスを戦力外になった川越(井口と同じ青学大出身)、ソフトバンク を戦力外になった的場、秋親ら、井口シンパが続々とロッテに拾われているのはそのためです。昨年もドラフトで小池(4位、青学大)を取ったのも井口の意向 といわれています」(前出の関係者)こうした井口の「将来に向けた動き」をナインも察知。今ではサブローの影響力は落ちてきたとか。「サブローは昨オフ、 裏方さんの待遇改善と西岡、小林宏の抜けた穴の補強を球団幹部に訴えたが、一切受け入れられず衝突。以降、両者の溝は深くなるばかり。これも井口の力を増 大させています」(球団関係者)
ロッテの顔は現在でも表向きは選手会長のサブローだが、実権を握りつつあるのはロッテ選手会で「相談役」の肩書を持つ井口なのである。
今季、サブロー選手が引退した事により、派閥争いは終息するのでしょうか。
ロッテ井口、3ランで通算1000打点 サブロー引退で「自分も悔いのないように」
40歳のサブローがこの日、球場内で引退会見を行った。この日は顏は合わせておらず、労をねぎらうのは25日の引退試合になるが「同じ年代の選手が去っていくのは寂しいが、自分も遠い話ではない。悔いのないよう、チームのために、自分ができることをしっかりやっていきたい」と井口は話す。
井口資仁のプロ入り後〜現在まで
井口選手はダイエーに入団後もメジャーリーグ、ロッテと様々な球団を渡り歩いてきました。
過去の選手生活を振り返りますとダイエー時代の2001年には30本塁打、40盗塁という史上3人目の記録を成し遂げ、盗塁王のタイトルも獲得しています。
2003年にも盗塁王のタイトルを獲得しています。
ダイエー時代 (1997 – 2004 )
NPB年度別打撃成績
1996年(22歳)契約金1億円+出来高5000万円
年度 | 試合数 | 打率 | 打点 | 本塁打 | 盗塁 | 年俸 |
---|---|---|---|---|---|---|
1997年(23) | 76 | .203(217打数44安打) | 23 | 8 | 3 | 1300万 |
1998年(24) | 135 | .221(421打数93安打) | 66 | 21 | 12 | 1500万 |
1999年(25) | 116 | .224(370打数83安打) | 47 | 14 | 14 | 3300万 |
2000年(26) | 54 | .247(162打数40安打) | 23 | 7 | 5 | 4000万 |
2001年(27) | 140 | .261(552打数144安打) | 97 | 30 | 44 | 4100万 |
2002年(28) | 114 | .259(428打数111安打) | 53 | 18 | 21 | 1億0000万 |
2003年(29) | 135 | .340(515打数175安打) | 109 | 27 | 42 | 8000万 |
2004年(30) | 124 | .333(510打数170安打) | 89 | 24 | 18 | 2億4000万 |
メジャー時代は正直、思うような活躍はできていないのですが、後に所属することになるロッテでは全盛期ほどではないものの、2009、2010、2013年度の活躍はチームを牽引するほど。
ホワイトソックス時代 (2005 – 2007 )
年度 | 試合数 | 打率 | 打点 | 本塁打 | 盗塁 | 年俸 |
---|---|---|---|---|---|---|
2005年(31) | 135 | .278(511打数142安打) | 71 | 15 | 15 | $2,300,000 |
2006年(32) | 143 | .281(555打数156安打) | 67 | 18 | 11 | $2,400,000 |
2007年(33) | 90 | .251(327打数82安打) | 31 | 6 | 8 | $3,250,000 |
フィリーズ時代 (2007 )
年度 | 試合数 | 打率 | 打点 | 本塁打 | 盗塁 | 年俸 |
---|---|---|---|---|---|---|
2007年(33) | 45 | .283(138打数42安打) | 12 | 3 | 6 | $3,250,000 |
2007年計 | 135 | .281(465打数124安打) | 43 | 9 | 14 |
パドレス時代 (2008 )
年度 | 試合数 | 打率 | 打点 | 本塁打 | 盗塁 | 年俸 |
---|---|---|---|---|---|---|
2008年(34) | 81 | .231(303打数70安打) | 24 | 2 | 8 | $3,850,000 |
フィリーズ復帰 (2008 )
年度 | 試合数 | 打率 | 打点 | 本塁打 | 盗塁 | 年俸 |
---|---|---|---|---|---|---|
2008年(34) | 4 | .286(7打数2安打) | 0 | 0 | 0 | $3,850,000 |
2008年計 | 85 | .281(310打数72安打) | 24 | 2 | 8 | – |
ロッテ時代 (2009 – 2016 )
年度 | 試合数 | 打率 | 打点 | 本塁打 | 盗塁 | 年俸 |
---|---|---|---|---|---|---|
2009年(35) | 123 | .281(448打数126安打) | 65 | 19 | 4 | 1億8000万 |
2010年(36) | 143 | .294(531打数156安打) | 103 | 17 | 2 | 1億8000万 |
2011年(37) | 140 | .265(509打数135安打) | 73 | 9 | 1 | 1億8000万 |
2012年(38) | 140 | .255(505打数129安打) | 60 | 11 | 3 | 1億8000万 |
2013年(39) | 135 | .297(485打数144安打) | 83 | 23 | 3 | 1億8000万 |
2014年(40) | 109 | .238(357打数85安打) | 49 | 10 | 4 | 1億8000万 |
2015年(41) | 87 | .247(227打数56安打) | 28 | 6 | 1 | 1億8000万 |
2016年(42) | 79 | .257(152打数39安打) | 34 | 5 | 1 | 1億8000万 |
MLB通算:4年 | 493 | .268(1841打数494安打) | 205 | 44 | 48 | – |
NPB通算:16年 | 1850 | .271(6389打数1730安打) | 1002 | 249 | 176 | – |
NPBタイトル・表彰
盗塁王 | 2回 (2001年、2003年) |
ベストナイン | 3回 (二塁手部門:2001年、2003年、2004年) |
月間MVP | 3回 (野手部門:2004年8月、2011年5月、2013年5月) |
スカパー! ドラマティック・サヨナラ賞 | 年間大賞:1回 (2009年) |
スカパー! ドラマティック・サヨナラ賞 | 月間大賞:1回 (2016年5月) |
日本シリーズ優秀選手賞 | 1回 (2003年) |
MLB表彰
Topps ルーキーオールスターチーム | 1回 (二塁手部門:2005年) |
Baseball Digest ルーキーオールスターチーム | 1回 (二塁手部門:2005年) |
要所要所で勝負強い打撃はロッテ移籍後も健在でしたね!
さすがに今は盗塁数が減ってきたことからも衰えが見え始めてはいますが、まだまだチームに必要な戦力であることも確か。
近年は若手の台頭もあって出場機会も昔に比べると確実に減ってきています。
それでも本人は若手の台頭を喜んでいます。
むしろ、自分が頑張ることで若手の成長に繋がればという考え方からはチームの中心としての自覚と精神的主柱と呼ばれる理由が垣間見えるところではないでしょうか?
2017年の来季についてですが、立場的には控えとしての出場が多くなることが予想されます。
打線の中心としての活躍は正直、期待し辛い面があるものの、現状の井口選手に求められているのは成績よりも精神的な柱としての役割だと思います。
来季もこれまで同様、試合でも練習でもお手本となってチームを引っ張ってほしいと思いますね!
千葉ロッテ打線 (2016年度)
1番 | 岡田 幸文 | センター | 試121 率.275(327打数90安打)本0 点18 盗14 |
2番 | 細谷 圭 | ファースト | 試116 率.275(371打数102安打)本3 点40 盗9 |
3番 | 角中 勝也 | レフト | 試143 率.339(525打数178安打)本8 点69 盗12 |
4番 | デスパイネ | 指名打者 | 試134 率.280(496打数139安打)本24 点92 盗0 |
5番 | ナバーロ | セカンド | 試82 率.217(286打数62安打)本10 点44 盗0 |
6番 | 鈴木 大地 | ショート | 試143 率.285(501打数143安打)本6 点61 盗3 |
7番 | 清田 育宏 | ライト | 試106 率.225(365打数82安打)本6 点38 盗5 |
8番 | 田村 龍弘 | キャッチャー | 試130 率.256(371打数95安打)本2 点38 盗6 |
9番 | 中村 奨吾 | サード | 試108 率.201(278打数56安打)本6 点25 盗4 |
まとめ
以上、井口資仁選手についてでした。
年齢的に以前と同様の活躍を求めるのは酷な部分が多いですが、それでも重宝される背景には井口選手の持つ人間的な魅力も少なからずあるのではないでしょうか?
複数の球団を渡り歩き、メジャーも経験してきたことで経験は豊富と言っていいですし、ロッテを引っ張っている姿からは将来の監督としても十分に器であると感じました。
人間性、経験の豊富さなどから考えれば、将来的な指導者・監督の道も可能性は十分ですよね!