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金子誠打撃コーチ|侍ジャパンヘッドの経歴・現役時代・年俸は?

金子誠打撃コーチ|侍ジャパンヘッドの経歴・現役時代・年俸は?侍ジャパン次期監督に就任した稲葉篤紀氏。

監督が決まれば、コーチ陣がどのような人事になるかが注目されます。

監督の右腕となるヘッドコーチは要注目であり、特に重要視されるポジションでもあります。

11月に行われる「アジア プロ野球チャンピオンシップ日本代表ヘッドコーチ」を務めること決まった金子誠氏。

果たして金子誠さんはとどのような経歴の持ち主なのでしょうか。

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金子誠の経歴・生い立ち

現在北海道日本ハムの一軍打撃コーチを務めている金子誠コーチは、千葉県我孫子市出身で現在歳となります。

金子 誠(かねこ まこと)-コーチ歴:北海道日本ハムファイターズ(2015 – )

金子誠(北海道日本ハムファイターズ)日本代表ヘッドコーチ

生年月日 1975年11月8日(歳)
出身地 千葉県我孫子市
身長 185cm
体重 84kg
ポジション 内野手
投打 右投右打
プロ入り 常総学院高等学校〜日本ハム1993年ドラフト3位
NPB通算:20年 試1996 率.256(6344打1627安打)本84 点620 盗113

かつては北海道日本ハムの内野手として活躍。

金子誠(北海道日本ハムファイターズ)日本代表ヘッドコーチ

私生活では元テレビ朝日のニュースキャスターを務めていた白木清かさんと結婚。

娘さんと息子さんがいる2児の父となっています。

金子誠(北海道日本ハムファイターズ)日本代表ヘッドコーチ
▲ 金子引退試合に訪れた清か夫人(中)と、長女・暖佳さん(左)と長男・永くん

ハム金子の引退試合を清か夫人観戦 2014年10月1日
「日本ハム8‐1楽天」(1日、札幌ド)日本ハム・金子誠内野手の「引退試合」を清か夫人(元テレビ朝日キャスター)、長女、長男ら家族、親類が観戦。最後の雄姿を見届けた。金子がプロ6年目の99年に結婚。印象に残る出来事を問われた夫人は「優勝した時の北海道でパレード(12年)ができたことが一番の思い出です。弱い時の 東京時代は優勝がなかったですから。北海道に来て優勝したことが本当にうれしかった。お疲れさまでした」としみじみと振り返った。

常総学院時代 茨城県 – ( 1991- 1994 )

高校は全国屈指の強豪校で優勝経験もある茨城県の常総学院高校。

金子誠(北海道日本ハムファイターズ)茨城・常総学院

金子誠さん自身も春夏通じて3回甲子園に出場しています。

当時から打撃センスが非常に高く、3年夏の甲子園では全試合でヒットをマーク。

金子誠(北海道日本ハムファイターズ)茨城・常総学院

3年夏は、三番・ショートで主将を務め、チームプレーに徹します。

この大会では、「東の横綱・常総学院」と呼ばれ優勝候補としてベスト4へ導いています。

甲子園 打者成績 –( 1993 )

試合 打数 安打 打率 打点 本塁打
5 25 7 .280 1 0

第75回夏・甲子園  – ( 1993 )

回戦 対戦校 勝敗
一回戦 鳥栖商(佐賀) 11-1
二回戦 近大付(大阪) 4-1
三回戦 鹿児島商工(鹿児島) 1-0
準々決勝 小林西(宮崎) 延長10回 6-3
準決勝 春日部共栄(埼玉) 3-5

甲子園 通算戦績  – ( 1992 -1993 )

1992年・夏(2年生) 2回戦
1993年・春(3年生) 3回戦
1993年・夏(3年生) ベスト4

ドラフト会議 – ( 1993 )

そして1993年のドラフト会議で日本ハムが3位指名し、契約金5,500万円、年俸480万で入団。

金子誠(北海道日本ハムファイターズ)日本代表ヘッドコーチ

ドラフト指名選手 – ( 日本ハムファイターズ )

1位 関根 裕之 投手 東北福祉大学
2位 井出 竜也 外野手 日本通運
3位 金子 誠 内野手 常総学院高
4位 大貝 恭史 外野手 NTT四国
5位 中山 光久 捕手 所沢商業高

金子誠の現役時代

3年目で新人王 – ( 1987 – 1994 )

ルーキーイヤーの1994年1軍出場無し。

2年目も1軍出場は、わずか4試合に留まります。

金子誠さんが1軍でセカンドのレギュラーを奪ったのはプロ3年目の1996年でした。

パリーグ最多となる38個の犠打を決め、それまでの2年間での1軍の出場が4試合のみであったため、3年目で嬉しいパリーグ新人王を獲得しました。

金子誠(北海道日本ハムファイターズ)日本代表ヘッドコーチ
▲ 1996年セ・リーグの新人王は、同じ常総学院の先輩でもある巨人・仁志敏久さん。

年度別打撃成績 -(1994 – 1996)

1993年(18歳) 日本ハムドラフト3位 契約金5,500万円

年度 試合数 打率 打点 本塁打 盗塁 犠打 三振 年俸
1994年(19) 480万
1995年(20) 4 .333(6打数2安打) 0 0 0 0 0 600万
1996年(21) 117 .261(395打数103安打) 33 4 15 38 67 700万

長きに渡るレギュラー時代 – ( 1997 – 2009 )

翌1997年には12本のホームランを放ち、徐々ににパンチ力もついてきた金子選手。

金子誠(北海道日本ハムファイターズ)日本代表ヘッドコーチ

さらに持ち味の守備では、1998年、99年と二塁手として 2年連続のゴールデングラブ賞を獲得。

特に1999年にはベストナインも輝きました。

金子誠(北海道日本ハムファイターズ)日本代表ヘッドコーチ

2003年にはチーム事情もあってショートにコンバート。

2006年北海道日本ハムは日本一を達成しますが、その年は主に9番打者。

さらに日本シリーズではファインプレーを見せるなど、攻守にわたってチームに貢献しました。

金子誠(北海道日本ハムファイターズ)日本代表ヘッドコーチ

2007年にはチームリーダーとして、そして打撃でもクリーンアップを任されるなど、日本ハムの連覇に大きく貢献しました。

日本ハムの連覇(2007年)

日本ハム打線 (2007年度)

1番 森本 稀哲 センター 試144 率.300(584打数175安打)本3 点44 盗31
2番 田中 賢介 セカンド 試144 率.255(526打数134安打)本3 点31 盗27
3番 稲葉 篤紀 ライト 試137 率.334(527打数176安打)本17 点87 盗6
4番 セギノール 指名打者 試134 率.249(470打数117安打)本21 点68 盗0
5番 髙橋 信二 キャッチャー 試112 率.255(385打数98安打)本10 点43 盗2
6番 小谷野 栄一 サード 試113 率.253(328打数92安打)本5 点37 盗5
7番 坪井 智哉 レフト 試100 率.283(276打数78安打)本0 点23 盗6
8番 稲田 直人 ファースト 試83 率.275(160打数44安打)本0 点14 盗0
9番 金子 誠 ショート 試132 率.243(419打数102安打)本4 点53 盗9

2009年にはショートでも通算3度目のゴールデングラブ賞を獲得。

この年、1億円プレーヤーとなっています。

プロ17年目にして年俸1億円を突破したというのは球団史上最も遅い記録となっています。

金子誠(北海道日本ハムファイターズ)日本代表ヘッドコーチ

年度別打撃成績 -(1997 – 2009)

年度 試合数 打率 打点 本塁打 盗塁 犠打 三振 年俸
1997年(22) 134 .277(513打数142安打) 53 12 13 36 91 2800万
1998年(23) 127 .263(380打数100安打) 26 4 11 20 42 4500万
1999年(24) 135 .274(416打数114安打) 29 3 4 18 65 5000万
2000年(25) 113 .231(402打数93安打) 31 3 12 15 40 6500万
2001年(26) 140 .253(501打数127安打) 56 8 9 10 65 6200万
2002年(27) 104 .285(393打数112安打) 29 6 9 17 44 7000万
2003年(28) 117 .244(373打数91安打) 33 3 8 6 61 8500万
2004年(29) 109 .256(332打数85安打) 39 3 5 6 86 7800万
2005年(30) 79 .240(208打数50安打) 24 4 2 8 33 7800万
2006年(31) 126 .254(393打数100安打) 40 6 7 15 63 7000万
2007年(32) 132 .243(419打数102安打) 53 4 9 20 78 8200万
2008年(33) 96 .216(291打数63安打) 29 2 0 13 76 9000万
2009年(34) 136 .304(454打数138安打) 66 14 6 22 88 8100万

晩年 – ( 2010 – 2014 )

2010年以降は足や股関節などの故障に苦しみ、更に若手の台頭もあり出番が徐々に減少。

そして2014年に現役を引退することを表明したのです。

金子誠(北海道日本ハムファイターズ)日本代表ヘッドコーチ

ハム金子誠 引退試合で躍動 美技に安打に打点も 2014年10月2日
パ・リーグ 日本ハム8-1楽天(10月1日 札幌D)
「9番・遊撃」で引退試合に臨んだ日本ハム・金子誠が走攻守で存在感を見せた。3回の守備では三遊間を抜けそうな当たりに飛び込むことなく足を使い、逆シングルで好捕。打席では3回にチーム初安打を放つと、7回は左犠飛で打点をマークし、足でも4回に西川の三塁打で一塁から一気に生還した。セレモニーでは子供たちから花束を受け取り、思わず涙。この日で現役としてプレーするのは最後となり、「金子誠の野球人生は21年の時を経て、今大海原へとたどり着きました」とあいさつ。遊撃の定位置付近で背番号と同じ8度宙を舞った。

年度別打撃成績 -(2010 – 2014)

年度 試合数 打率 打点 本塁打 盗塁 犠打 三振 年俸
2010年(35) 77 .261(264打数69安打) 34 5 2 15 60 1億3500万
2011年(36) 98 .234(256打数60安打) 20 3 0 12 49 1億0500万
2012年(37) 103 .227(277打数63安打) 22 0 1 17 53 9250万
2013年(38) 32 .200(50打数10安打) 1 0 0 4 18 8900万
2014年(39) 17 .143(21打数3安打) 2 0 0 0 7 6800万
通算:20年 1996 .256(6344打数1627安打) 620 84 113 292 1086

プレースタイル

そんな金子誠さんの現役時代の最大の持ち味は何と言っても守備にありました。

強肩であり、守備範囲を広く、送球も安定。

金子誠(北海道日本ハムファイターズ)日本代表ヘッドコーチ

それこそがセカンドやショートという難しいポジションでも3度のゴールデングラブ賞に輝いた理由なのでしょう。

守備力の高さを裏付けるような記録や成績も残しています。

例えば、1997年から2001年にかけて5年連続でセカンドの守備率ナンバーワンを記録。

5年連続というのはパリーグタイ記録です。

金子誠(北海道日本ハムファイターズ)日本代表ヘッドコーチ

2004年には1試合11捕殺と言う、ショートでの最多捕殺記録を持っています。

また小技もできる打撃では2009年4月に7試合連続で二塁打を放つというちょっと風変わりな記録も持っています。

金子誠(北海道日本ハムファイターズ)日本代表ヘッドコーチ

良くありそうな記録に思えますが、実はこれはプロ野球史上最多記録なのです。

これもまた金子誠選手らしい記録でしょう。

タイトル・表彰

新人王 1996年
ベストナイン 1回(二塁手・1999年)
ゴールデングラブ賞 3回(二塁手:2回、1998年・1999年、遊撃手:1回、2009年)
月間MVP 1回(2009年4月)
東京ドームMVP 1回(1997年)
札幌ドームMVP 1回(2009年)
札幌ドームMVP特別賞 1回(2006年)
札幌ドームMVP功労賞 1回(2014年)
千葉県知事賞 2004年(アテネ五輪野球日本代表・銅メダル獲得)

引退後は

コーチ研修 – ( 2015 )

2014年に現役を引退した金子誠さんは、その年の11月に日本ハムのチーム統括本部特命コーチに就任しました。

これは将来のコーチを目指して、メジャーのパドレスでコーチとしての研修を受けながら、帰国時には日本ハムの選手のコーチも行うというものです。

ここでコーチとしてのノウハウを学びました。

金子誠(北海道日本ハムファイターズ)日本代表ヘッドコーチ

金子誠特命コーチ近況レポート 2015/03/19(木)
北海道日本ハムファイターズの金子誠チーム統轄本部特命コーチが 米国アリゾナ州・ピオリアで行われているサンディエゴ・パドレスのキャンプに参加し、早や1ヶ月が経過しました。真っ黒に日焼けした顔は日を追うごとに精 悍さを増し「引退発表した去年の9月から、自分の国にいてもホームシックにかかっているようなものだから」と、150人を超えるマイナーリーグ選手の動き をノックバット片手に見つめていました。「日本が大好きなので、海外生活は元来苦手」と語るものの、フィールド内では若手選手に気さくに声をかけ、他の コーチ陣との息もぴったりに積極指導をしている姿は、今の環境にすっかり馴染んでいるようにも見受けられます。「月並みな表現ですが、得がたい経験をさせ てもらっています。ここで自分が見たもの、感じたことを、今後、言葉に乗せるだけではない形で表現していけたら」。サンディエゴ・パドレスのAJプレラー GMは「マックは、パドレスの一員として本当によくやってくれている」と賞賛を惜しみません。容易ではない、通訳なしでの海外生活。言葉にしない寂しさ、 辛さは確かにあるのでしょうが、決してそれを表に出さない“あまのじゃく”な金子誠コーチに、現役時代のプレースタイルさながらの芯の強さが垣間見えま す。

日本ハム打撃コーチ – ( 2016 – )

そして2016年には日本ハムの一軍打撃コーチに就任。

金子誠(北海道日本ハムファイターズ)日本代表ヘッドコーチ

大谷翔平選手や中田翔選手レアード選手の打撃陣をまとめ、日本ハムの日本一にも大きく貢献しました。

ここで打撃コーチとしても大きな実績を手に入れたのです。

現役時代にはチームの主将を務めた金子コーチ。

主将の座を継いだのは実は侍ジャパンの次期監督・稲葉篤紀さんでした。

稲葉篤紀(日本ハム)日本代表侍ジャパン監督

稲葉篤紀・侍ジャパン監督の経歴(年俸・成績)どんな人物?
今年行われた第四回WBCは、2大会連続で準決勝で敗退し涙を飲みました。 それにともない、侍ジャパンを率いた小久保裕紀監督は契約満了。 ...

稲葉次期侍ジャパン監督と金子コーチの間にはこのような関係があったのです。

それだけお互いに人望があったのです。

まとめ

日本代表・稲葉監督からは、かつてのチームメイトだった金子誠さんが右腕となれば、コミュニケーションも非常に取りやすい環境作りが可能です。

ただ、稲葉篤紀さんは監督の経験はなく、金子誠さんもコーチ暦はけして長くはありません。

ましてやヘッドコーチという要職は経験がありません。

未経験の要素が多いからこそ、互いを良く知り、人望もある2人がどのような野球を見せるのかが注目されます。

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