ビッグバーナー
ラージモバイルバナー

小早川毅彦の経歴・性格・家族・監督の可能性はあるのか?

小早川毅彦の経歴・性格・家族・監督の可能性はあるのか?小早川毅彦選手と言えば、現役時代、江川投手に引導を渡す本塁打を放った選手ですね!

赤ヘルの若大将とも呼ばれ、広島の一時代を築いた方でもあります。

また、小早川氏は来季の西武監督候補にも名前が挙がっていますから、今注目を集めている方でもあるでしょう!

そこで、今回は小早川氏についてご紹介させていただきたいと思います!

スポンサーリンク

小早川毅彦の経歴・生い立ち

小早川毅彦

小早川 毅彦(こばやかわ たけひこ)

生年月日 1961年11月15日(54歳)
出身地 広島県広島市安芸区
身長 183cm
体重 93kg
ポジション 内野手
投打 右投左打
プロ入り 法政大〜1983年 ドラフト2位

小早川氏は広島県広島市安芸区の出身で、今年で54歳となります。

地元の矢野中学校で野球を始め名門PL学園に進学、甲子園にも3度の出場経験を持っています!

2年時の1978年夏の選手権大会で初優勝を飾るのですが、小早川選手は膝の怪我による影響もあって欠場を余儀なくされました。

2年時に春夏に甲子園に出場、翌年の3年時は春甲子園の準決勝、夏は府大会決勝で敗れてしまったため、4番を務めた最終年は出場が叶いませんでした。

第50回選抜高校野球大会(1978年)小早川選手2年生時のPL学園試合結果

回戦 対戦校 勝敗
一回戦 印旛(千葉県) 4-0
二回戦 南宇和(愛媛県) 5-1
準々決勝 箕島(和歌山県) 0-2

 第60回全国高校野球選手権大会(1978年)小早川選手2年生時のPL学園試合結果

回戦 対戦校 勝敗
二回戦 日川(山梨県) 5-2
三回戦 熊本工大(熊本県) 2-0
準々決勝 県岐阜商(岐阜県) 1-0
準決勝 中京(愛知県) (延長12回)5-4
決勝 高知商(高知県) 3-2

第51回選抜高校野球大会(1979年)小早川選手3年生時のPL学園試合結果

回戦 対戦校 勝敗
一回戦 中京商(岐阜県) 6-4
二回戦 宇都宮商(栃木県) (延長10回)8-6
準々決勝 天理(奈良県) 7-0
準決勝 箕島(和歌山県) (延長10回)3-4

その後、PL学園高校の先輩、西田真二(広島)さん、木戸克彦(阪神)さんを追う形で法政大学に進み、東京六大学野球リーグでは4度の優勝!

一年時の春季リーグから4番を務める等、中心選手として活躍、史上最年少でのベストナインも獲得しています。

翌年の秋季リーグでは三冠王を獲得し1982年と1983年には日米大学野球選手権大会の日本代表に選ばれるなど、着実に成長を重ねていきました。

法政大打者成績

試合数 打数 安打 打率 本塁打 打点 ベストナイン
98 384 114 .297 16 72 5回

プロ入りは1983年、広島にドラフト2位で指名を受けて入団しています。

また、小早川氏の性格についても触れておくとノンビリ屋と元楽天の野村監督が評しており、どちらかと言えばマイペースな性格。

チームの中心として活躍していた選手の中では比較的珍しいタイプの選手だったのではないでしょうか?

赤ヘルの若大将小早川毅彦の現役時代

赤ヘルの若大将小早川毅彦

年度別打撃成績

1983年 (22歳) ドラフト2位 契約金8000万円

年度 試合数 打率 打点 本塁打 盗塁 年俸
1984年(23)広島 112 .280 59 16 8 480万
1985年(24) 98 .290 45 14 4 950万
1986年(25) 73 .260 24 12 1 1170万
1987年(26) 124 .286 93 24 5 1200万
1988年(27) 126 .289 69 17 8 2500万
1989年(28) 114 .301 61 12 1 3100万
1990年(29) 105 .283 61 17 2 3500万
1991年(30) 92 .259 39 7 0 3600万
1992年(31) 113 .279 55 11 0 3600万
1993年(32) 106 .269 45 17 1 4900万
1994年(33) 93 .247 18 6 2 5400万
1995年(34) 66 .239 14 2 2 5400万
1996年(35) 8 .125 0 0 0 4500万
1997年(36)ヤクルト 116 .249 33 12 0 2000万
1998年(37) 62 .173 8 3 0 3000万
1999年(38) 23 .105 2 1 0 2000万
プロ通算:16年 1431 .273 626 171 34

小早川氏の現役時代と言えば、やはり広島での話になるのですが、入団した年から勝負強さを生かしてクリーンナップの一角を担う活躍を見せていました。

その活躍が認められる形で新人王も獲得し、その頃から「赤ヘルの若大将」という名で呼ばれるようになりましたね!

ミスター赤ヘルと呼ばれた山本浩二さんが引退した後は4番に定着。

1987年には江川卓選手に引退を決意させたという2打席連続の本塁打を放ち、リーグ最多となる勝利打点16を記録する辺り、勝負強さが数字にも表れる選手だったことも分かります。

江川と小早川

広島-巨人21回戦

1987年9月20日 1 2 3 4 5 6 7 8 9
●巨人 0 0 0 1 0 0 0 1 0 2
○広島 0 0 0 0 0 0 1 0 2 3

巨人 ●江川(12勝5敗)-山倉
広島 金石、清川、○白武(4勝3敗1S)-達川
本塁打 小早川20、21号(広)

しかしYK砲と言われた先輩の山本浩二さん、衣笠祥雄さんと比べるとパワー不足は否めません。

衣笠祥雄 山本浩二 YK砲

山本・衣笠選手のようなホームランバッターではなく俊足巧打の中距離ヒッタータイプでチームに貢献する役割が主でした。

1991年になると野村謙二郎選手や前田智徳選手 などの若手選手が台頭してきた関係もあって出場機会が減っていき、1996年のオフにヤクルトに移籍。

1997年からヤクルトの5番打者として再起を図り、巨人エースの斉藤雅樹投手から伝説の開幕3打席連続本塁打を放ちます!

小早川開幕3連発

当時の野村再生工場の下でみごと復活を果たしリーグ優勝に貢献しましたが1999年の若松監督就任一年目に引退を表明しました。

小早川開幕3連発

巨人-ヤクルト1回戦

1997年4月4日 1 2 3 4 5 6 7 8 9
○ヤクルト 0 1 0 1 0 2 1 0 1 6
●巨人 0 0 2 0 0 0 1 0 2 3

ヤクルト ○ブロス(1勝)、野中、広田、S加藤(1S)-古田
巨人 ●斎藤雅(1敗)、川口、岡田-村田真、柳沢
本塁打 小早川1~3号、稲葉1号(ヤ)松井1号(巨)

PL学園の先輩・後輩は?

PL学園の先輩は、1学年上に西田真二(広島)さん、木戸克彦(阪神)さん金石昭人(広島)さん。

後輩に2学年下の吉村禎章(巨人)さんがいます。

法政大学に進学したのはPL時代の西田先輩・木戸先輩2人を追っての事だと聞いていますから、小早川選手にとっては信頼できる先輩方だったのではないかと思いますね!

ちなみに大学の先輩は、6学年差はありますが江川卓さん。

引退の引導を渡したとはいえ因縁を感じますね。

広島チーム内のライバルは?

同チームで同ポジションだった一塁手の長内孝選手が切磋琢磨した関係ではないでしょうか。

長内孝 小早川

この二人は広島在籍時、一塁手としての出場を巡って度々争い続けてきた経緯があります。

小早川さんを将来4番打者として担ってもらう球団の思惑と広島県出身ということもあり、カープファンからは「長内より小早川を使え」という風潮があったようです。

そういった経緯から小早川選手が主にスタメン出場していたのですが、怪我などがあった時は長内選手が代わりに出場する等、常に意識し合う関係にあったと言っていいでしょう!

成績を見る限り長内孝さんが控えとは少しもったいない気もしますが。

キャリアハイ
年度 試合数 打率 打点 本塁打 盗塁 OPS
小早川毅彦(1987) 124 .286 93 24 5 .853
長内孝(1986) 118 .254 58 19 5 .808

小早川毅彦の性格・奥さん・子供は?

小早川さんの性格は周囲が言うようにマイペースなところがあるのですが、そのせいなのか過去に離婚歴があります。

元アナウンサーの赤間裕子さんが前妻だった過去があり、その方とのお子さんが一人います。

現在は元スチュワーデスの方と再婚されており、その間にも子供を一人設けています。

選手としてだけではなく、私生活でもマイペースぶりを発揮している小早川さんですが、選手時代にも赤痢に罹って大騒動に発展したこともありました。

幸いシーズンには影響しなかったものの、当時は隔離病棟に移される等、大きな話題として取り上げられていました。

本人も不本意だったと後に語っていますが、確かに野球選手として野球以外で話題になるのは当人としても避けたかったことではなかったかと思います。

監督として有能か?無能か?コーチ時代の実績

このようなエピソードがあると監督として不安になってくる方もいらっしゃるのではないかと思います。

広島打撃コーチ時代は、チーム打撃成績は、まずますといったところ。

広島チーム打撃成績

年度 試合数 打率 安打 打点 本塁打 盗塁
2006 146 .266 1318 526 127 54
2007 144 .263 1287 528 132 65
2008 144 .271 1330 506 100 69
2009 144 .245 1163 499 101 77

その後、解説者としての観察眼には定評があり様々なチームで臨時コーチを務めるといったエピソードを見ると解説者としての経験が生きているように思えます。

小早川 NHK解説

打撃コーチ時代、チーム事情もあって監督代行を務めた経験もありますから、監督をやれるだけの能力は持っていると思いますね。

また、打撃コーチ時代の人望や評判についても触れておくと確かに成績は芳しくありませんでしたが、その観察眼は当時から健在であったはずです。

見る力があるということは指導力も優れているということですから、確かな指導ができる小早川さんに対する人望も必然的にあったのではないかと思われます。

コーチの仕事は選手を生かすことなので、それができる人に対して悪い印象は抱かないでしょう。

まとめ

以上、小早川氏についてでした。

西武の次期監督として見た時、他の候補と比べると少し弱い感があるのは否めません。

しかし観察眼を生かした分析能力が高く評価されいます。

能力、人望、話題性で十分に監督をやれる器と言っていいのではないでしょうか?

スポンサーリンク

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

スポンサーリンク