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1991広島優勝メンバー天才打者前田智徳の経歴は?

1991広島優勝メンバー天才打者前田智徳の経歴は?見事、25年ぶり7回目のセリーグ優勝を決めた広島東洋カープ。

今シーズンの快進撃は目覚ましいものがありました。

中でも鈴木誠也選手の台頭は、優勝の大きな要因となりましたね。

今年からさかのぼること25年前、前回優勝当時、台頭してきた若手と言えば、後にカープの歴史を語る上でも欠かせない名選手となる前田智徳選手です。

「孤高の天才」と言われた前田智徳選手とはどのような選手だったのでしょうか。

前田智徳の経歴・生い立ち

広島カープ前田智徳

前田 智徳(まえだ とものり)

生年月日 1971年6月14日(45歳)
出身地 熊本県玉名市
身長 176cm
体重 80kg
ポジション 外野手
投打 右投左打
プロ入り 熊本工〜1989年 ドラフト4位

今では野球解説者として活躍されている前田智徳さんは1971年6月14日、現在の熊本県玉名市に生まれました。

幼少の頃から野球好きなお父さんの影響で ボールで遊び、小学生になるとソフトボールのチームに入っていました。

中学校では野球部に入り、その当時からミートセンスに優れ、鋭い打球を飛ばしていた ようです。

その後、熊本県下の名門である熊本工業高校に入学します。

前田智徳 熊本工

甲子園の出場は3度。

とりわけ3年の夏には主将として出場し、チームの中心選 手でもありました。

甲子園では相手の敬遠気味の配球に対して「勝負しろ」と怒鳴り高校野球にもかかわらず乱闘直前になったことも。

また、タイムリー ヒットを放ったにもかかわらず、その内容が気に食わずベンチで泣き崩れてしまったという、前田智徳さんらしいエピソードもあります。

第60回選抜高校野球大会(1988年)前田選手2年生時の熊本工試合結果

回戦 対戦校 勝敗
一回戦 高知商(高知県) 3-6

第70回全国高校野球選手権大会(1988年)前田選手2年生時の熊本工試合結果

回戦 対戦校 勝敗
二回戦 日大一(東京都) 4-5

第71回全国高校野球選手権大会(1989年)前田選手3年生時の熊本工試合結果

回戦 対戦校 勝敗
一回戦 日大三島(静岡県) 13-4
二回戦 吉田(山梨県) 1-3

打撃センス、俊足、強肩と3拍子揃った外野手であったため、複数の球団から注目される存在だった前田智徳さん。

1989年のドラフト地元・九州の福岡ダイエー (現・福岡ソフトバンク)が指名するのではという話があったものの、広島がドラフト4位で指名しました。

地元の球団への入団を希望していたこともあり、指名直後は拒否の姿勢だったようですが、その後、スカウトの熱意と説得により、広島入団を決めました。

前田智徳 熊本工 ドラフト会議

1989年 ドラフト

1位 佐々岡 真司 投手 NTT中国
2位 仁平 馨 外野手 宇都宮工
3位 前間 卓 投手 鳥栖
4位 前田 智徳 外野手 熊本工
5位 山口 晋 投手 島田商
6位 浅井 樹 外野手 富山商

のちに広島カープのエースとなる佐々岡真司投手との同期入団。

1989年のドラフト会議は、プロ野球全体でみても史上最高の大豊作と言われた世代です。

1989年 ドラフト1位指名選手(パ・リーグ)

球団 選手 ポジション 1年目成績
近鉄 野茂英雄 投手 防2.91 登29 18勝8敗 投235.0 振287
オリックス パンチ佐藤 外野手 率.331 試42 安44 本1 点8 盗3
西武 潮崎哲也 投手 防1.84 登43 7勝4敗8s 投102.2 振123
ダイエー 元木大介 内野手 入団拒否
日ハム 酒井光次郎 投手 防3.46 登27 10勝10敗 投171.2 振103
ロッテ 小宮山悟 投手 防5.91 登30 6勝10敗2s 投170.2 振126

1989年 ドラフト1位指名選手(セ・リーグ)

球団 選手 ポジション 1年目成績
巨人 大森剛 内野手 率.146 試38 安7 本1 点6 盗0
広島 佐々岡真司 投手 防3.15 登44 13勝11敗17s 投151.1 振129
中日 与田剛 投手 防3.26 登50 4勝5敗31s 投88.1 振70
ヤクルト 西村龍次 投手 防4.06 登31 10勝7敗1s 投177.1 振132
阪神 葛西稔 投手 防9.53 登4 0勝1敗 投5.2 振0
大洋 佐々木主浩 投手 防5.85 登16 2勝4敗2s 投47.2 振44

1989年ドラフトは、1位指名以外にも

巨人ドラフト3位:吉岡雄二選手

中日ドラフト2位:井上一樹選手

ヤクルトドラフト2位:古田敦也選手

阪神ドラフト5位:新庄剛志選手

近鉄ドラフト3位:石井浩郎選手など後にチームの主軸になる選手がたくさんいます。

天才打者・前田智徳の現役時代は?

広島カープ前田智徳

年度別打撃成績

1989年 (18歳) ドラフト4位 契約金4000万円

年度 試合数 打率 打点 本塁打 盗塁 年俸
1990年(19) 56 .256 5 0 4 480万
1991年(20) 129 .271 25 4 14 530万
1992年(21) 130 .308 89 19 18 1590万
1993年(22) 131 .317 70 27 10 4800万
1994年(23) 123 .321 66 20 4 8500万
1995年(24) 25 .256 11 4 3 1億3500万
1996年(25) 105 .313 65 19 0 1億3500万
1997年(26) 100 .304 68 15 1 1億6000万
1998年(27) 127 .335 80 24 5 1億6000万
1999年(28) 108 .301 65 12 1 1億9500万
2000年(29) 79 .237 44 13 0 2億1500万
2001年(30) 27 .296 7 0 0 1億9000万
2002年(31) 123 .308 59 20 0 1億7000万
2003年(32) 128 .290 71 21 2 1億7000万
2004年(33) 121 .312 70 21 2 1億7000万
2005年(34) 146 .319 87 32 1 1億5500万
2006年(35) 134 .314 75 23 2 1億8800万
2007年(36) 124 .285 71 15 1 2億1000万
2008年(37) 84 .270 29 4 0 1億7000万
2009年(38) 1億2000万
2010年(39) 68 .221 19 2 0 7200万
2011年(40) 52 .250 13 0 0 7000万
2012年(41) 56 .327 19 0 0 5600万
2013年(42) 12 .364 4 0 0 5600万
プロ通算:23年 2188 .302 1112 295 0

前田智徳選手は高卒であったにもかかわらず、1年目から1軍昇格を果たし56試合に出場しました。

当時、広島カープの監督を務めていた山本浩二さんは、 前田智徳選手のバッティングを見て、技術的には文句のつけようがなく、「天才」だと評価しました。

広島山本浩二監督

山本 浩二(やまもと こうじ)

生年月日 1946年10月25日(69歳)
出身地 広島県広島市
身長 183cm
体重 82kg
ポジション 外野手
投打 右投右打
プロ入り 法政大〜1968年 ドラフト1位
通算成績 試2284 率.290 本536 点1475 盗231 OPS.923

あの落合博満さん(現・中日GM)も天才打者として認め、またあの日米通算安打の世界記録を樹立したイチロー選手も、前田智徳さんの打撃を天才と語っているのは有名です。

イチロー選手の代名詞でもある背番号「51」は、前田智徳選手がカープ入団当時につけていた「51」に憧れて…という逸話もあるほど。

天才と呼ばれた打者が「天才」と語ったのが前田智徳選手なのです。

前田智徳選手の逸話が数知れず…とりわけ有名なのが、1992年9月13日の巨人戦。

先発は「精密機械」と呼ばれた通算200勝まで当時あと2勝の北別府学投手。

カープのエースが投げる試合で、センターライナーを後逸し、ランニングホームランにしてしまいましたが、その後、逆転の2ランを放ちました。

その際、強くガッツポーズしながらも、 涙を流しながら走る前田智徳選手の姿が…。

試合後、前田は「すいません。何もないです」とヒーローインタビューを拒否。

「北別府さんの勝ちを消してしまった」というのがその理由のようでした。

広島-巨人21回戦

1992年9月13日 1 2 3 4 5 6 7 8 9
○広島 0 0 0 0 1 0 0 2 0 3
●巨人 0 0 0 0 1 0 0 0 0 1

巨人 北別府-石貫-○佐々岡-大野
広島 宮本-●石毛
本塁打 川相5号(巨)、前田15号(広)

高校時代にタイムリーを放っても泣き崩れてみたり、自分のミスで先発の投球の足を引っ張ってしまったことから悔し涙を流したり・・・。

また今まで最高のバッティングは「ファウル」だったと語るなど、その独自の打撃論はまさしく「孤高の天才」と呼ばれるに相応しいものでした。

2度のアキレス腱断裂があったにもかかわらず、それでもなお打撃レベルを徹底的に維持し続け、足には最善のケアを何時間にもわたって続けてきました。

自分を追い込む姿こそが、前田智徳選手が「孤高の天才」と呼ばれた所以なのかもしれません。

前田智徳の家族・嫁・子供は?

前田智徳さんは2001年3月に、当時フリーアナウンサーをしていた西岡英美さんと結婚しました。

西岡英美

その後、2人のお子さんにも恵まれました。

お子さんはともに男の子で、次男の晃宏くんは、2015年年末に行われた「NPB12球団ジュニアトーナメント」では広島の主将を務めました。

その打撃はお父さん譲りですが右打者。

次男の晃宏

しかし、打席に入り、構える際にバットを見つめる姿はお父さんそのもの。

その様子をこっそりとスタンドから見つめる父・前田智徳 さんの姿も印象的でした。

まとめ

今、広島カープで前田智徳選手がつけていた背番号「1」は空き番号となっています。

あまりに偉大で、カリスマ性のある選手がつけていただけに、次にこの番 号をつけるほどの選手は現れるのかが注目されています。

その候補の筆頭は、2016年のカープ優勝に大きく貢献した鈴木誠也選手とも言われていますが、それでもまだ先の話なのでしょう。

それくらい「孤高の天才」・前田智徳選手の存在はカープにとって、日本球界にとって偉大なものなのです。

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