ソフトバンク達川光男ヘッドに就任!現役時代の成績・珍プレー

今シーズン、福岡ソフトバンクは圧倒的な優勝候補とされていましたが、終わってみれば、一時は11.5ゲームの差をつけていた北海道日本ハムに逆転され、2位に甘んじてしまいました。

3連覇を阻止された福岡ソフトバンクは、来季への巻き返しに達川光男氏をヘッドコーチに迎え入れました。

果たして達川光男氏の手腕は…過去の成績なども振り返ってみましょう。

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達川光男氏の経歴・生い立ち

広島弁丸出しのしゃべり口調が印象的な達川光男氏の出身は、言うまでもなく広島市。

1955年7月13日生まれで、今年61歳となりました。

達川 光男(たつかわ みつお)-広島東洋カープ (1978 – 1992)

達川光男(ソフトバンク)

生年月日 1955年7月13日(61歳)
出身地 広島県広島市東区
身長 177cm
体重 75kg
ポジション 捕手
投打 右投右打
プロ入り 東洋大学〜1977年 ドラフト4位
プロ通算成績 率.246(3636打数895安打)本51 点358 盗17

そんな達川光男氏は、当時全国でも屈指の強豪だった広島商業高校出身。

達川光男(広島商業)

在籍時のセンバツで準優勝、夏の甲子園で優勝した経験があります。

達川光男(高校時代)

実は高校1年のときに、その当時の同級生の捕手が食中毒になり、たまたま監督に指名されて代役の捕手を務めたところ、圧倒的な強肩が目を引き、捕手に抜擢された…

達川光男(高校時代)

それが達川光男氏の捕手としての人生のスタートでもありました。

第45回選抜高校野球大会 (1973年)達川選手3年生時の試合結果

回戦 対戦校 勝敗
一回戦 静岡商(静岡県) 3-0
二回戦 松江商(島根県) 1-0
準々決勝 日大一(東京都) 1-0
準決勝 作新学院(栃木県) 2-1
決勝 横浜(神奈川県) 延長11回 1-3

第55回全国高校野球選手権大会(1973年)達川選手3年生時の試合結果

回戦 対戦校 勝敗
一回戦 双葉(福島県) 12-0
二回戦 鳴門工(徳島県) 3-0
三回戦 日田林工(大分県) 3-2
準々決勝 高知商(高知県) 7-2
準決勝 川越工(埼玉県) 7-0
決勝 静岡(静岡県) 3-2

その後、東洋大学に進学すると、1年後輩で後に西武に入団する松沼雅之投手バッテリーを組み、東都大学リーグ優勝を経験しました。

東洋大学時代 打撃成績

試合 打率 安打 本塁打 打点 ベストナイン
90 .226 283/64 3 25 1

松沼 雅之(まつぬま まさゆき)-西武ライオンズ (1979 – 1989)

松沼雅之(西武)

生年月日 1956年7月24日(60歳)
出身地 東京都墨田区
身長 181cm
体重 74kg
ポジション 投手
投打 右投右打
プロ入り 東洋大学〜1978年 ドラフト外
プロ通算成績 防3.62(69勝51敗12セーブ)投1142.1 振625

捕手としてのリードセンスや強肩などが評価され、1977年にドラフト4位でカープに入団することになるのです。

達川光男(ドラフト)

2016年 ドラフト

1位 田辺 繁文 投手 盈進高
2位 下地 勝治 投手 豊見城高
3位 林 正毅 外野手 柳川商業高
4位 達川 光男 捕手 東洋大
5位 川中 圭三 投手 尾道高
6位 高木 真一 投手 三菱重工広島

ちなみに、達川光男氏は結婚されていましたが、奥様は2014年に大腸がんのために他界されています。

一方で、お子さんは娘さんが2人いらっしゃいます。

達川光男ヘッドコーチの現役時代は?

達川光男氏はルーキーイヤーである1978年から1軍で12試合に出場しましたが、実際に1軍定着し、正捕手の座を射止め始めたのは1983年ごろから。

達川光男(広島現役時代)

けして打率は高くはありませんでしたが、捕手としてのリード力、洞察力などに長けており、正捕手として1984年、1986年、1991年とチームを優勝へ導く原動力ともなりました。

広島カープ(1991)

プロ通算では895安打を放ち、打率.246、51本塁打、358打点となっています。

達川光男(広島東洋カープ)

NPB年度別打撃成績

1977年 (22歳) ドラフト4位

年度 試合数 打率 打点 本塁打 盗塁 年俸
1978年(23) 12 .214 1 0 0
1979年(24) 49 .222 3 0 0
1980年(25) 9 .200 0 0 0 360万
1981年(26) 49 .221 10 1 1 360万
1982年(27) 77 .210 13 3 0 580万
1983年(28) 116 .252 41 5 1 660万
1984年(29) 117 .244 33 7 1 1060万
1985年(30) 95 .230 31 4 0 2000万
1986年(31) 128 .274 46 9 1 1070万
1987年(32) 130 .256 34 8 2 3060万
1988年(33) 122 .261 38 6 2 3700万
1989年(34) 109 .227 22 4 1 4400万
1990年(35) 101 .265 33 3 3 4100万
1991年(36) 120 .237 39 1 3 4350万
1992年(37) 100 .233 14 0 2 6600万
プロ通算:15年 1334 .246 358 51 17

表彰

ベストナイン 3回 (1984年、1986年、1988年)
ゴールデングラブ賞 3回 (1984年、1986年、1988年)
最優秀バッテリー賞 1回 (1992年)
JA全農Go・Go賞 1回 (1992年9月)
日本シリーズ敢闘賞 1回 (1986年)

ところで、達川光男氏といえば、現役時代には「珍プレー」を紹介する番組では欠かせない存在でした。

達川光男(珍プレー)

打席に立ち、デッドボールでもないのに「当たった」などと言い出し、最後には自分の爪で引っかいて、「ここが赤くなっとる」などとアピールし、1塁へ進んだということもありました。

達川光男(広島)C2-5S(神宮)、デッドボールを主張する

また、ときには試合中にコンタクトレンズを落とし、選手たちが本塁の近くで、グラウンドにはいつくばって探すと言うエピソードもありました。

達川光男(珍プレー)

現役時代のリード力は長けていた達川光男氏ですが、選手を動揺させる「ささやき」もまた魅力。

打席に立つ選手に向かって「今夜飲みに行くん?」とか「初球はストレートじゃけぇ」などボソボソとささやくことで、相手の集中力をそいだり、相手を疑心暗鬼にさせたりと言った、何とも達川氏らしいエピソードもあります。

達川光男(キャッチャー)

それもまた総合して、捕手として魅力のある選手だったといえるでしょう。

達川光男の指導者としての実績は?

1992年に現役を引退した達川光男氏は、その後、フジテレビや広島のローカル局であるテレビ新広島の野球解説者を務めましたが、1995年に当時の福岡ダイエーのバッテリーコーチに就任。

達川光男(解説者)
▲ちゅぴcom(広島二軍戦中継)解説者

達川光男(ソフトバンクヘッドコーチ)
▲1995年福岡ダイエーホークス 一軍バッテリーコーチ時代

1年で退団しましたが、その3年後には広島の二軍監督を経て、その翌年に監督に就任。

達川光男(広島監督)
▲1999年広島東洋カープ 監督時代

しかし、その当時の広島はとりわけ投手陣が圧倒的な戦力不足ということもあり、2年連続で5位に低迷し、わずか2年でチームを去りました。

広島時代監督成績

年度 順位 試合 勝利 敗戦 引分 勝率
1999年(44) 5位 135 57 78 0 .422
2000年(45) 5位 136 65 70 1 .481
監督通算:2年 Bクラス2回 271 122 148 1 .452

その後2003年には阪神のバッテリーコーチを1年、2014年からは中日のバッテリーコーチを2年務め、来季から福岡ソフトバンクのヘッドコーチに就任することになりました。

コーチ歴も豊富ですが、やはり軽快な語り口調で野球解説者としても人気があり、コーチに就任していないシーズンではフジテレビ系列の野球解説者などを務めています。

達川光男(プロ野球ニュース)
▲2016年プロ野球ニュース解説

達川光男(タレント)
広島ローカル番組tss解説

そんな達川光男氏が福岡ソフトバンクのヘッドコーチに就任しました。

その熱血指導が見込まれての就任となったのでしょう。

指導者歴

1995年 福岡ダイエーホークス 一軍バッテリーコーチ
1998年 広島東洋カープ 二軍監督
1999年-2000年 広島東洋カープ 監督
2003年 阪神タイガース 一軍バッテリーコーチ
2014年 中日ドラゴンズ 一軍バッテリーコーチ
2015年 中日ドラゴンズ 一軍チーフバッテリーコーチ
2017年 ソフトバンク 一軍ヘッドコーチ

評論歴

1993年-2013年 フジテレビ・ニッポン放送・テレビ新広島解説者
2004年-2009年 MBSラジオ解説者
2004年-2016年 J SPORTS(広島戦中継)解説者
2013年,2016年 CBCラジオゲスト解説者
2016年 フジテレビ解説者・フジテレビ系列局ゲスト解説者
2016年 RCCラジオ・ニッポン放送ゲスト解説者
2016年 ちゅぴcom(広島二軍戦中継)解説者

広島時代には「胃から汗をかくほど」の練習を課したことでも知られています。

また、今季は逆転優勝を喫したその悔しさを晴らすべく、達川氏自身の明るさもプラス材料になると判断したのでしょう。

一方で、工藤監督とはどうかと言えば、初めての出会いである1986年の広島と西武での日本シリーズで、達川氏は当時選手だった工藤監督に対してけしてイメージは良くなかったそう。

工藤 公康(くどう きみやす)-西武ライオンズ (1982 – )

西武工藤

生年月日 1963年5月5日(53歳)
出身地 愛知県豊明市
身長 176cm
体重 80kg
ポジション 投手
投打 左投左打
プロ入り 名古屋電気高〜1981年 ドラフト6位
プロ通算成績 防3.45(224勝142敗3セーブ10ホールド)投3336.2 振2859

しかし、1995年に福岡ダイエーのバッテリーコーチに就任した際に、徐々に心の距離を縮めることができたそうです。

今回、21年ぶりに同じチームに所属し、監督とコーチと言う立場になることで、「忠誠を誓う」と宣言しています。

ソフトB 達川氏がHC就任「おい、工藤!なめんなよ」から急接近
ソ フトバンクは31日、新ヘッドコーチに達川光男氏(61)の就任を発表し、キャンプ地の宮崎・生目の杜運動公園で記者会見を行った。背番号は79。 1986年に西武―広島の日本シリーズで初めて交わした言葉は「おい、工藤!なめんなよ」だったと明かした達川ヘッドだが、その後、野球観が近いこともあ り、急接近。今回、参謀役を任され「今日をもって“おい、工藤!なめんなよ”と言いません。終生、忠誠を誓います」と黒子役を全うすると語った。
「一番、不安があるのは捕手」と細川の抜けた扇の要の強化をテーマとした上で「私がいなくともV奪回はできる。私が来て負けたということは、足を引っ 張ったということ。この(隣にいる)三笠さん(球団統括本部副本部長)とともに退団する」とまさかの編成責任者も巻き込んだ「達川節」に会見場は爆笑に包 まれていた。

今のところ、工藤監督と達川新ヘッドコーチとのそりは上手くっているようです。

達川光男(工藤監督)

まとめ

今シーズンは悔しい思いをした福岡ソフトバンク。

また細川捕手が戦力外で抜け、捕手の育成は急務!

そこに、底抜けに明るい達川光男氏のヘッドコーチ就任は、チームに新しい風を吹き込んでくることでしょう。

達川光男(ソフトバンク柳田)

果たして、達川氏の加入でチームはどう変わっていくのか、来季の巻き返しのきっかけとなるのか、要注目です。

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