青木宣親選手といえば、今や推しも推されぬメジャーリーガーです。
今年3月開催のWBC侍ジャパンのメンバーに選ばれたことでも注目を集めていますね!
しかし、そうなると近年の成績なども気になってくるのではないかと思います。
そこで、今回は青木宣親選手についてご紹介させていただきましょう!
青木宣親選手の経歴・生い立ち
青木選手は宮崎県日向市出身で、今年35歳になります。
小学1年から野球を始め、6年生の頃には投手として活躍していました。
青木 宣親(あおき のりちか) -ヒューストン・アストロズ (2017 – )
生年月日 | 1982年1月5日(35歳) |
出身地 | 宮崎県日向市 |
身長 | 175cm |
体重 | 82kg |
ポジション | 外野手 |
投打 | 右投左打 |
プロ入り | 早稲田大学〜2003年 ヤクルトドラフト4巡目 |
NPB通算:8年 MLB通算:5年 |
試985 率.329(3900打1284安打)本84 点385 盗164 試649 率.286(2380打数681安打)本28 点184 盗88 |
宮崎・日向高校時代は?
後に宮崎県立日向高校に入学、2年時からエースとなり、3年の時には春季大会で優勝も果たしています。
夏の大会は宮崎県大会、準々決勝で敗れています。
第81回全国高校野球選手権大会宮崎予選 (1999年)
回戦 | 対戦校 | 勝敗 | |
二回戦 | 日向学院 | ○ | 7-2 |
三回戦 | 佐土原 | ○ | 8-0 |
準々決勝 | 鵬翔 | ● | 2-7 |
早稲田大学時代
卒業後は早稲田大学に進学、在籍時には史上初の4連覇も経験しています。
また、3年の春の東京大学との一戦では5打数5安打5打点の大暴れを見せ、一試合6得点という六大学野球記録も作っていますね!
早稲田大学時代 打撃成績
年度 | 試合 | 打率 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 |
00春~03秋 | 58 | .322 | 190/63 | 0 | 20 | – |
その後、2003年に行われたドラフト会議にてヤクルトから4位指名を受けて入団し、皆さんもご存じだと思いますが、メジャーリーガーとなって今に至ります。
2003年ドラフト会議
自由獲得枠 | 川島 亮 | 投手 | 八戸大学 |
2巡目 | 山田 裕司 | 投手 | 小松市立高 |
4巡目 | 青木 宣親 | 投手 | 早稲田大学 |
5巡目 | 吉田 幸央 | 外野手 | 城郷高 |
6巡目 | 佐藤 賢 | 投手 | 明治大学 |
高校・大学時代のエピソード
青木選手は高校の頃、投手を主に務めていたことは前述の通りですが、大学時代には野手に専念してプレーをしています。
この要因として挙げられるのが、高校時代に肩を壊したという出来事があったからだとされています。
青木選手が元投手でありながらもプロ入り後、それほど肩が強い方ではなかったのはあるいはこの時の怪我の影響もあったのかもしれません。
早稲田大学時代についてですが、2003年。
史上初の4連覇を果たし“歴代最強”と謳われた早稲田大学。
▲ 2003年早大全勝で4連覇 36回目の優勝(左)首位打者の早大鳥谷選手(右)天皇杯を受け取る早大比嘉主将
この頃に4連覇を達成できた一番の要因は黄金時代とも言える程の選手が集まっていたことが一つ挙げられます。
現阪神の鳥谷敬選手やソフトバンクの和田毅投手、ベイスターズの田中博康選手にヤクルトの武内晋一選手など、プロ野球選手達が多く在籍していました。
▲ 左から)広島・比嘉/オリックス・由田/ヤクルト・青木/阪神・鳥谷
▲ 左から)一学年上の和田毅投手/一学年下の田中浩康選手
特にそれを象徴するものとして打線に6人ものプロ経験者が名前を連ねていたという超強力打線を組んでいたことからも当時の早稲田の強さを象徴しています。
“歴代最強”と謳われた早稲田大学
1番 | 田中 浩康 | セカンド | 2004年 ヤクルト自由獲得枠 |
2番 | 青木 宣親 | センター | 2003年 ヤクルト4巡目 |
3番 | 鳥谷 敬 | ショート | 2003年阪神自由獲得枠 |
4番 | 比嘉 寿光 | サード | 2003年 広島3巡目 |
5番 | 武内 晋一 | ファースト | 2005年 ヤクルト希望入団枠 |
6番 | 由田 慎太郎 | ライト | 2003年 オリックスドラフト8巡目 |
その打線で2番に加わっていた青木選手の実力が確かであったことを証明するエピソードでもあるのではないでしょうか?
性格・家族は?
青木選手の性格についても触れさせていただくと一部で自己中心的と評されることがあるようです。
そうではなく、自分に対しても他人に対しても妥協を許したくない性格であるとされており、いわば、ストイックな性格と言えます。
そうした姿勢が自己中心的と見られてしまう原因になっているのでしょう。
ただ、ストイックな姿勢というのはプロ選手にとって必要な要素の一つでもありますし、中途半端を許したくないという気持ちは誰でも持っている感情ですので、悪いことでもないのではないかと思いますね。
最後にご家族について触れさせていただきますが、嫁さんは元テレビ東京のアナウンサーを務めていた大竹佐知さん。
青木 佐知(あおき さち、旧姓:大竹) -元テレビ東京女性アナウンサー
生年月日 | 1983年8月28日(33歳) |
出身地 | 群馬県桐生市 |
血液型 | A型 |
最終学歴 | 法政大学法学部 |
職歴 | テレビ東京(2006年 – 2010年) |
お子さんは、長男と長女がいるとのことですので、ご本人を含めると4人家族ということになります。
ヤクルトスワローズ時代はタイトルホルダー!
ルーキーイヤーである2004年は一軍の試合は、わずか10試合のとどまりますが、ファームでは打率.372でイースタン・リーグ首位打者と最高出塁率を獲得しています。
またリーグ2位の21盗塁を記録し、自慢の俊足を披露!
同年のフレッシュオールスターゲームでは見事MVPを獲得しています。
2004年 ルーキーイヤー -NPB年度別打撃成績
2003年(21歳) ヤクルトドラフト4巡目 契約金7000万円
年度 | 試合数 | 打率 | 打点 | 本塁打 | 盗塁 | 犠打 | 三振 | 年俸 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2004年(22) | 10 | .200(15打数3安打) | 0 | 0 | 1 | 0 | 6 | 1000万 |
2005〜2011年 ヤクルト時代覚醒期
2005年には当時主軸の稲葉篤紀選手が日本ハムへFA移籍して手薄になった外野手争いでレギューラーの地位を獲得!
イチロー以来史上2人目となるシーズン200安打を達成。
最終的にセリーグ記録更新の202安打を放ち首位打者を獲得して新人王にも受賞!
2007年、2010年にも首位打者獲得しNPBでは計3度獲得しています。
最多安打を2回、2006年に盗塁王を1回、最高出塁率のタイトルも2回獲得。
これらのタイトル獲得と共に日本を代表する選手として知られるようになりました!
年度別打撃成績 -2005〜2011年
年度 | 試合数 | 打率 | 打点 | 本塁打 | 盗塁 | 犠打 | 三振 | 年俸 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2005年(23) | 144 | .344(588打数202安打) | 28 | 3 | 29 | 18 | 113 | 1000万 |
2006年(24) | 146 | .321(599打数192安打) | 62 | 13 | 41 | 4 | 78 | 7000万 |
2007年(25) | 143 | .346(557打数193安打) | 58 | 20 | 17 | 4 | 66 | 1億4000万 |
2008年(26) | 112 | .347(444打数154安打) | 64 | 14 | 31 | 1 | 47 | 2億2000万 |
2009年(27) | 142 | .303(531打数161安打) | 66 | 16 | 18 | 1 | 65 | 2億6000万 |
2010年(28) | 144 | .358(583打数209安打) | 63 | 14 | 19 | 0 | 61 | 2億8000万 |
2011年(29) | 144 | .292(583打数170安打) | 44 | 4 | 8 | 0 | 55 | 3億3000万 |
NPB通算:8年 | 985 | .329(3900打数664安打) | 385 | 84 | 164 | 28 | 491 |
タイトル・表彰
首位打者 | 3回 (2005年、2007年、2010年) |
最多安打 | 2回 (2005年、2006年) |
盗塁王 | 1回 (2006年) |
最高出塁率 | 2回 (2007年、2009年) |
新人王 | 2005年 |
ベストナイン | 7回 (外野手部門:2005年 – 2011年) |
ゴールデングラブ賞 | 6回 (外野手部門:2006年 – 2011年) |
月間MVP | 3回 (野手部門:2005年8月、2007年4月、2010年9月) |
優秀JCB・MEP賞 | 1回 (2005年) |
オールスターゲームMVP | 2回 (2006年第1戦、2009年第1戦) |
オールスターゲーム・ベストプレー賞 | 1回 (2010年第2戦) |
フレッシュオールスターゲームMVP | 1回 (2004年) |
連盟特別賞 | 1回 (2010年)※シーズン209安打のセ・リーグ新記録 |
セ・リーグ会長特別賞 | 1回 (2005年) |
WBCベストナイン | 1回 (外野手部門:2009年) |
日向市民栄誉賞第1号 | 2008年 ※黒木知宏と同時受賞 |
当初、パワー不足が指摘されていたものの、2006年には前年度から本塁打数が10本も増加する長打力を身に付け、対左打者を苦にしていた欠点も克服するといったように年々進化を続けていきました。
ヤクルト時代エピソード
何通りかのバッティングフォームを使い分けていたという話があります。
基本的に打撃というのは一つのフォームを固めていくのがいいとされていて、複数のフォームを持つのは好ましくないとされています。
その為、仮に複数のフォームを有しているとしてもそのすべてを使いこなすことができる選手は少なく、その意味では青木選手の様に優れた打撃センスが無ければ不可能な事だとも言えるでしょう!
選手間のエピソードも紹介しておきますと青木選手が盗塁王を獲得した際、それまで盗塁王は元阪神の赤星選手で2005年まで5年連続で獲得していたました。
この偉大な連続盗塁王記録を阻止した選手が実は青木選手だったということがありました。
盗塁王はこの一度きりだったわけですが、獲得までの経緯とライバルだった赤星選手の技量を考えるとこのタイトル獲得が如何に凄いことであるかわかります。
打撃だけでなく、走塁面でも高い技量を誇っていることも窺えますよね?
セ・リーグ歴代盗塁王 -2001〜2006年
年度 | 選手 | 盗塁数 |
---|---|---|
2001年 | 赤星憲広 | 39 |
2002年 | 赤星憲広 | 26 |
2003年 | 赤星憲広 | 61 |
2004年 | 赤星憲広 | 64 |
2005年 | 赤星憲広 | 60 |
2006年 | 青木宣親 | 41 |
メジャーリーグ挑戦!
ご紹介したように日本で数々の実績を積み重ねてきた青木選手はその後、2011年にメジャーリーグへの挑戦を表明します。
ブルワーズへの入団が決まり、メジャーリーガーとなった後も5年間メジャーリーグに在籍を続け、2017年の今季アストロズでのプレーも確定しました!
ブルワーズ時代 -2012年-2013年
年度別打撃成績 -ミルウォーキー・ブルワーズ (2012 – 2013)
年度 | 試合数 | 打率 | 打点 | 本塁打 | 盗塁 | 犠打 | 三振 | 年俸 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2012年(30) | 151 | .288(520打数150安打) | 50 | 10 | 30 | 7 | 53 | $100万 |
2013年(31) | 155 | .286(597打数171安打) | 37 | 8 | 20 | 8 | 40 | $125万 |
ロイヤルズ時代 -2014年
年度別打撃成績 -カンザスシティ・ロイヤルズ (2014)
年度 | 試合数 | 打率 | 打点 | 本塁打 | 盗塁 | 犠打 | 三振 | 年俸 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2014年(32) | 132 | .285(491打数63安打) | 43 | 1 | 17 | 8 | 49 | $195万 |
ジャイアンツ時代 -2015年
年度別打撃成績 -サンフランシスコ・ジャイアンツ (2015)
年度 | 試合数 | 打率 | 打点 | 本塁打 | 盗塁 | 犠打 | 三振 | 年俸 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2014年(33) | 93 | .287(355打数102安打) | 26 | 5 | 14 | 1 | 25 | $400万 |
マリナーズ時代 -2016年
年度別打撃成績 -シアトル・マリナーズ (2016)
年度 | 試合数 | 打率 | 打点 | 本塁打 | 盗塁 | 犠打 | 三振 | 年俸 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2016年(34) | 118 | .283(417打数118安打) | 28 | 4 | 7 | 5 | 45 | $550万 |
MLB通算:5年 | 649 | .286(2380打数681安打) | 184 | 28 | 88 | 29 | 214 | (17年)$550万 |
アストロズへ移籍 -2017年
2016年11月に1年550万ドルで契約しヒューストン・アストロズに移籍。
メジャーリーグ・エピソード
マリナーズに在籍していた頃、同僚となった岩隈選手とロッカーが隣り合わせになるという話があり、「今までチームメイトに日本人がいなかったから変な感じがする」と笑っていたそうです。
昔はメジャーリーグに日本人選手は少なく、青木選手が移籍した際もその点は同じだったのですが、同年代でもあり、仲も良い選手が身近にいるというのは嬉しい反面、不思議な感じもしたのでしょうね。
岩隈 久志(いわくま ひさし) -アトル・マリナーズ (2012 – )
生年月日 | 1981年4月12日(35歳) |
出身地 | 東京都東大和市 |
身長 | 191cm |
体重 | 95kg |
ポジション | 投手 |
投打 | 右投右打 |
プロ入り | 堀越高等学校〜1999年 近鉄ドラフト5位 |
NPB通算:11年 MLB通算:5年 |
登222 防3.25(107勝69敗)投1541.0 振1175 登144 防3.39(63勝37敗2セーブ)投852.2 振698 |
WBCで求められる事とは?
WBCで青木選手が求められる事は、戦力としてはもちろん、メジャーリーグでの経験を生かした国際大会での戦い方の伝授でしょう!
WBC打撃成績
年度 | 試合数 | 打率 | 打点 | 本塁打 | 盗塁 | 犠打 | 三振 | 出塁率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2006年(24) | 6 | .200(5打数1安打) | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .333 |
2009年(27) | 9 | .324(37打数12安打) | 7 | 0 | 1 | 1 | 4 | .381 |
北京五輪打撃成績
年度 | 試合数 | 打率 | 打点 | 本塁打 | 盗塁 | 犠打 | 三振 | 年俸 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2008年(25) | 9 | .294(34打数10安打) | 7 | 1 | 1 | 1 | 5 | .412 |
また年齢を考慮するとキャプテンとしての役割も求められるかと思います。
日本代表の小久保監督はキャプテンを置かない方針であるようですが、短い期間でのチームとなるだけにシーズンを戦う時のまとめ役である強いキャプテンシーを持つ人の存在は不可欠ですよね?
小久保 裕紀(こくぼ ひろき) -侍ジャパン代表監督 (2013 – )
その意味でもキャプテンは必要になってきますし、第二回大会で連覇を果たした時のキャプテンだったイチロー選手の存在は精神的にも大きかったですね!
キャプテン不在の状態で大会を迎えるのはあまりにもリスクが高いと言わざるを得ません。
現状で一番キャプテンの立場に近いのは青木選手なのではないでしょうか?
それだけに監督がキャプテンにしたいと思わせるような姿を青木選手には見せてもらいたいと思います。
まとめ
以上、青木宣親選手についてでした。
メジャーでの実績も豊富で、イチロー選手の出場がない状況を踏まえるとチームの精神的支柱としての役割も必然的に期待されます。
その意味でも今回の大会におけるキーマンの一人であることはまず間違いありませんから、是非とも活躍に期待したいですね!