高校生史上最速の球速155キロをたたき出し、10年に1人の逸材とプロから大注目される存在となった福岡ソフトバンク・寺原隼人投手。
今年で16年目のシーズンを迎え、ベテランの域に入ってきました。
そんな寺原投手のこれまでの成績や年俸の推移を振り返ってみましょう。
寺原隼人投手の経歴・生い立ち
寺原隼人投手は1983年10月9日生まれの現在歳。
宮崎県宮崎市出身で、福岡ソフトバンクに所属している投手です。
寺原 隼人(てらはら はやと)- 福岡ソフトバンクホークス (2013 – )
生年月日 | 1983年10月9日(歳) |
出身地 | 宮崎県宮崎市 |
身長 | 180cm |
体重 | 83kg |
ポジション | 投手 |
投打 | 右投右打 |
プロ入り | 宮崎・日南学園高〜 ダイエー2001年 ドラフト1巡目 |
NPB通算:15年 | 登254(先発:165) 防3.84(70勝78敗23s5h)投1120.1 振804 |
野球を始めたのは小学3年のときで、野球好きのお父さんやお兄さんの影響を受けたようです。
その当時は軟式野球をしており、中学に進学しても軟式野球部に所属していました。
中学時代はエースとして全国大会に出場したこともあり、当時からその力の片鱗を見せていす。
宮崎・日南学園高校時代 – ( 1999 – 2002 )
高校は地元・宮崎県の強豪である日南学園高校に進学。
高校進学後はフォームの改造などが功を奏し、右肩上がりで成長を遂げました。
ストレートの球速は2年のときにすでに150キロに迫ろうかというほど。
2001年、3年の春の県大会でその球速は153キロまで伸び、その後、高校生史上最速となる155キロをたたき出すまでになりました。
甲子園球速ランキング – (スピードガン導入以降 )
155km/h | 佐藤 由規 | 仙台育英 | 2007夏 |
安楽 智大 | 済美 | 2013夏 | |
154km/h | 寺原 隼人 | 日南学園 | 2001夏 |
菊池 雄星 | 花巻東 | 2009夏 | |
今宮 健太 | 明豊 | 2009夏 | |
153km/h | 平生 拓也 | 宇治山田商 | 2008春 |
藤浪 晋太郎 | 大阪桐蔭 | 2012春・夏 |
高校球界でも「10年に1人の逸材」と呼ばれるほど。
プロからの注目の的となった寺原投手は、3年夏の県大会で母校を3年ぶりの甲子園進出へと導きました。
甲子園の舞台でも自慢のストレートがうなりを上げます。
大会途中、発熱するというアクシデントがありながらも、150キロを越えるストレートを次から次へと投げ込みました。
惜しくも準々決勝で敗れたものの、その球速は日本のプロ野球だけでなく、メジャースカウトにも衝撃を与えました。
日南学園・寺原158キロを記録
南国の怪物、日南学園(宮崎)の寺原隼人投手(3年)が、またとてつもない数字をはじき出した。玉野光南(岡山)戦の5回から登板。2イニング目の6回、ネット裏スカウトのスピードガンが98マイル(約157・68キロ)を計測した。今大会初めて入場券が売り切れるなど期待が集まる中、初戦で出した155キロを更新。プロ野球記録にも肉薄した。体調不良のため6回3失点と苦しんだが、打線が延長10回に勝ち越して3回戦進出。試合後、寺原は「これからはスピード記録より優勝」と、全国制覇に照準を合わせた。寺原の本能が目覚めた。6回。1点を取られ、なお2死一、二塁のピンチ。玉野光南の1番福田への4球目がうなりを上げる。カウント2-1から三振を狙った外角への直球。バットに当てられファウルになったが、米大リーグ、ブレーブスのスカウトのスピードガンが98マイル(約157・68キロ)を計測した。伊良部(ロッテ→エクスポズ)のプロ野球記録158キロに肉薄する途方もない高校最速記録が誕生した。
第83回選手権大会 -3年時 ( 2001 )
回戦・対戦校 | |||
---|---|---|---|
一回戦 | 四日市工(三重) | ○ | 8-1 |
二回戦 | 玉野光南(岡山) | ○ | (延長10回)6-4 |
三回戦 | 東洋大姫路(兵庫) | ○ | 15-0 |
準々決勝 | 横浜(神奈川) | ● | 4-2 |
ドラフト会議 – (2002 )
2001年のドラフト会議で4球団(ダイエー・中日・巨人・横浜)が1位指名。
ダイエー王監督、寺原引いた!
高校NO・1の日南学園・寺原隼人投手を、巨人、中日、横浜、ダイエーの4球団が指名。最初に中日の山田監督、2番目に横浜大堀社長、3番目にダイエー王監督、最後に巨人原監督がクジを引き、王監督が交渉権確定のクジを引き当てた。この年から逆指名権に代わり、自由獲得枠が導入された。高校生以外の選手を1球団最大2人まで自由競争で獲得できる。オリックスと阪神が2人、ヤクルトと西武が1人にこの枠を使った。
抽選の末に地元九州、当時の福岡ダイエーホークスへの入団が決まったのです。
ドラフト指名選手 – ( 福岡ダイエーホークス )
1巡目 | 寺原 隼人 | 投手 | 日南学園高 |
3巡目 | 杉内 俊哉 | 投手 | 三菱重工長崎 |
4巡目 | 神内 靖 | 投手 | 延岡学園高 |
5巡目 | 北野 良栄 | 捕手 | 星稜高 |
6巡目 | 飯島 一彦 | 投手 | 新日本製鐵君津 |
7巡目 | 養父 鉄 | 投手 | 元日産自動車 |
8巡目 | 井手 正太郎 | 内野手 | 日南学園高 |
結婚は?– (2014 )
そんな寺原投手ですが、すでにご結婚されています。
突然ですが、結婚します!/寺原日記 03年12月2日
久しぶりに日記を書いています。今日はみなさんに報告がありまして。突然ですが、今月8日に入籍します。相手は杉原由記といいまして、日南学園の1学後輩です。結婚式や披露宴は来年のオフに行う予定ですが、僕も心機一転、来季に臨みたいと思い、入籍することに決めました。1年目が6勝で、2年目の今年が7勝。この2年間、目標だった2ケタ勝利を挙げることができず、本当に悔しかったです。日本シリーズでも斉藤さん、和田さん、杉内さんらが頑張っている姿を見て、自分は何をしてきたんだという思いになりました。来年は馬原さんが入団し、また、先発投手の争いが激しくなります。15勝するくらいの活躍じゃないと、1軍に生き残れないという危機感でいっぱいです。だから、来年はこれまで以上に野球に取り組めるよう、入籍することにしました。
由記に「ファンを大事にして」とよく言われます。僕もみなさんの声援をとても心強く感じているし、その応援があったから、ここまでやって来れたと感謝しています。その気持ちは今後も変わらないし、もう、みなさんの期待を裏切ることはできないとも思っています。12月は福岡で練習を続け、来年1月は和田さんとフィジーで自主トレを行います。来年こそ、先発ローテーションを1年間守れるように頑張りますので、温かく見守ってください。【ダイエーホークス・寺原隼人】
プロで活躍している選手といえば、どうしても有名人との結婚を連想しがちですが、寺原投手は2003年に高校時代から付き合っていた彼女と結婚しました。
一途で真面目な性格なんでしょうね。そしてすでにお子さんもいらっしゃいます。
プロ入り後の寺原隼人投手は?
プレースタイル
ルーキー時代の寺原投手と、現在の寺原投手とでは、まるで別人のようなプレースタイルとなりました。
入団直後は150キロを越えるストレートでどんどん押していくパワーピッチングが魅力。
横浜に移籍した2007年ごろからシュートを習得。
フォークやスライダー、さらに従来のストレートも微妙に動かすようになり、どちらかといえば技巧的なピッチングへと変貌を遂げました。
福岡ダイエー時代 – ( 2002 – 2006 )
そんな寺原投手は2002年から2006年まで福岡ダイエー(ソフトバンク)に在籍。
入団直後こそは、2年目に7勝を挙げましたが、期待された次世代エース候補は、伸び悩みました。
年度別投手成績 – (2002 – 2006)
2001年 (18歳) ダイエードラフト1位 契約金1億円
年度 | 登板 | 防御率 | 勝敗 | 投球回 | 三振 | 年俸 |
2002年(19) | 14(先発7) | 3.59 | 6勝2敗1s | 57.2 | 41 | 1500万 |
2003年(20) | 18(先発16) | 5.48 | 7勝5敗 | 92.0 | 60 | 3000万 |
2004年(21) | 6(先発1) | 7.56 | 0勝0敗 | 8.1 | 7 | 3600万 |
2005年(22) | 2(先発1) | 9.00 | 0勝0敗 | 4.0 | 2 | 2800万 |
2006年(23) | 16(先発15) | 4.23 | 3勝7敗 | 76.2 | 35 | 2200万 |
横浜時代 – ( 2007 – 2010 )
2007年からの4年間在籍した横浜ベイスターズ。
2007年には自身初の2ケタ勝利となる12勝を挙げ、翌年には守護神に回り、22セーブをマークしました。
しかし、その後はなかなか結果が残せないシーズンが続きました。
年度別投手成績 – (2007 – 2010)
年度 | 登板 | 防御率 | 勝敗 | 投球回 | 三振 | 年俸 |
2007年(24) | 27(先発27) | 3.36 | 12勝12敗 | 184.2 | 163 | 2500万 |
2008年(25) | 41(先発4) | 3.29 | 3勝9敗22s1h | 71.0 | 66 | 6000万 |
2009年(26) | 13(先発13) | 3.90 | 2勝7敗 | 83.0 | 77 | 8000万 |
2010年(27) | 20(先発7) | 3.67 | 4勝3敗 | 54.0 | 72 | 6400万 |
オリックス時代 – ( 2011 – 2012 )
2011年からはオリックスに移籍し、1年目は12勝を挙げ、4年ぶりの2ケタ勝利。
どうも移籍1年目でその活躍がとどまってしまう傾向にあるようです。
年度別投手成績 – (2011 – 2012)
年度 | 登板 | 防御率 | 勝敗 | 投球回 | 三振 | 年俸 |
2011年(28) | 25(先発25) | 3.06 | 12勝10敗 | 170.1 | 112 | 6400万 |
2012年(29) | 16(先発16) | 3.92 | 6勝8敗 | 101.0 | 61 | 8500万 |
ソフトバンク時代 – ( 2013 – 2016 )
2013年に福岡ソフトバンク移籍後も、良かったり悪かったりを繰り返しています。
2011年を最後に2ケタ勝利に届いていないのも現状です。
年俸面で見ても、22セーブをマークした年に8000万円。
福岡ソフトバンクに移籍した2013年に8500万円。
この当たりがピークでしたが、今年は5200万円となっており、徐々に右肩下がりとなっています。
何かと西武に入団した松坂大輔投手と比較されましたが、年俸1億円に到達できなかったことを考えても、大成したとは言いにくい面はあるかもしれませんね。
年度別投手成績 – (2013 – 2016)
年度 | 登板 | 防御率 | 勝敗 | 投球回 | 三振 | 年俸 |
2013年(30) | 16(先発16) | 4.65 | 4勝7敗 | 93.0 | 56 | 8500万 |
2014年(31) | 5(先発5) | 4.88 | 1勝4敗 | 27.2 | 14 | 8500万 |
2015年(32) | 21(先発12) | 3.44 | 8勝3敗2h | 83.2 | 58 | 4500万 |
2016年(33) | 14(先発0) | 4.05 | 2勝1敗2h | 13.1 | 10 | 6500万 |
NPB通算:15年 | 254(先発165) | 3.87 | 70勝78敗23s5h | 1120.1 | 804 | 5200万 |
今季の寺原隼人投手は?
2017年
オープン戦投手成績 – (2017)
年度 | 登板 | 防御率 | 勝敗 | 投球回 | 三振 | 四死球 |
2017年(33) | 7(先発0) | 3.52 | 0勝0敗 | 7.2 | 3 | 4 |
今シーズンの寺原投手は当初は中継ぎの起用。
和田毅投手や武田翔太投手の離脱を受けて、4月23日の東北楽天戦から先発を任されました。
和田 毅(わだ つよし)- 福岡ソフトバンクホークス(2016 – )
武田 翔太(たけだ しょうた)- 福岡ソフトバンクホークス (2012 – )
その先発として勝利を挙げた試合もありましたが、とにかく投手陣の層が厚い福岡ソフトバンク。
結果が残せなければ先発ローテーションから外される可能性も高くなります。
今後も先発ローテーションに空きが出た時に先発に回るという起用が中心になってくるのではないでしょうか。
長いシーズンを戦うに当たって寺原投手の存在は貴重であるのは間違いありません。
寺原投手成績 – (2017.05.25)
年度 | 登板 | 防御率 | 勝敗 | 投球回 | 三振 | 四死球 |
2017年(33) | 10(先発5) | 5.33 | 1勝2敗 | 25.1 | 12 | 15 |
2017年先発投手陣 – ( 2016年成績 )
選手 | 登板 | 防御率 | 勝 | 敗 | 投球回 | 三振 | WHIP |
和田 毅 | 24(先発24) | 3.04 | 15 | 5 | 163.0 | 157 | 1.08 |
武田 翔太 | 27(先発27) | 2.95 | 14 | 8 | 183.0 | 144 | 1.28 |
千賀 滉大 | 25(先発25) | 2.61 | 12 | 3 | 169.0 | 181 | 1.05 |
バンデンハーク | 13(先発13) | 3.84 | 7 | 3 | 82.0 | 92 | 0.96 |
中田 賢一 | 17(先発16) | 3.01 | 7 | 3 | 89.2 | 67 | 1.26 |
攝津 正 | 7(先発7) | 5.59 | 2 | 2 | 37.0 | 21 | 1.49 |
東浜 巨 | 23(先発20) | 3.00 | 9 | 6 | 135.0 | 100 | 1.11 |
天然エピソード
ところで寺原投手といえば、今シーズン、5月7日の千葉ロッテ戦で先発をし、3回1アウト1塁という場面だったにも関わらず、セカンドに牽制球を投げてしまうというハプニング。
ボークをとられてしまい、ランナーは2塁へと進みました。
その直後の打者がセカンドライナーで、飛び出した2塁ランナーをセカンドでアウト。
ボークがなければ成立しなかったゲッツー。
しかも約2年ぶりとなる先発での勝利というおまけ付き。
結果オーライとはいえ、寺原投手の運の強さを物語るエピソードでもありました。
621日ぶり先発星 寺原
■5回2/3 2失点
今季初白星の味に苦みも交じった。先発勝利は2015年8月25日ロッテ戦以来、621日ぶり。故障者続出を受けて急きょ先発に回った身だ。6回途中2失点は十分な仕事ながら、寺原の言葉には先発出身の気概が満ちた。「1勝するのは気持ちいいけど、欲を言えば6回を投げ切りたかった」。2死三塁から初めて四球を出し、福浦の右前適時打で失点。五十嵐の救援を仰ぐ形になっていた。
そこまで淡々と回をこなした。球数77がリズムを物語る。最速151キロを計測したが、剛腕スタイルも今は昔。「余裕というか、幅が広がる。練習しといて良かった」という今季の新球シュートも交え、打たせて取った。バックの好守が続く。先制直後の2回、三遊間深くへの当たりに追い付き遊ゴロとした今宮。「テンポが良かったんで」の言葉に相関関係がうかがえた。運も呼んだか。3回1死一塁、なぜか二塁けん制のそぶり。気づいてやめたがボークで「めっちゃ恥ずかしかった。頭では二塁走者が…」。直後、二直で二走が飛び出し併殺。「ツイてるとしか言えない。ああいうミスはやっちゃいけない」。即ベンチでつっこんだ川崎は「和ませてくれたね」。笑い話に変わった。
まとめ
高校時代は高校球界を席巻した人気投手だった寺原隼人投手も今年でもう16年目。
横浜、オリックスを渡り歩き、現在は古巣でプレーし、何かと比較された松坂大輔投手ともチームメイトです。
時折見せる全盛期の輝き、そして先発や抑えをこなしてきた経験の豊富さで、果たして今シーズンはどのような活躍を見せるでしょうか。
年齢を重ねてピッチングにどのような味が加わるのか、これからも注目されます。