今季、プロ野球選手の中で現役最年長選手となった横浜DeNA・三浦大輔投手が引退することになりました。
「ハマの番長」のニックネームでファンから愛され、リーゼントの髪型で多くの方の記憶に残る選手でもありました。
現役で唯一、横浜大洋ホエールズ時代を知る三浦大輔投手はプロ野球人生でどのような成績を残したのでしょうか。
そして将来の監督になるのか、その可能性にも迫ってみましょう。
ハマの番長!三浦大輔の経歴・生い立ち
三浦 大輔(みうら だいすけ)
生年月日 | 1973年12月25日(42歳) |
出身地 | 奈良県橿原市 |
身長 | 183cm |
体重 | 88kg |
ポジション | 投手 |
投打 | 右投右打 |
プロ入り | 高田商〜1991年 ドラフト6位 |
三浦大輔投手は1973年12月25日生まれ、現役のプロ野球選手では最年長選手でした。
プロ野球選手年齢ランキング
順位 | 選手 | 球団 | 年齢 | 生年月日 | 年数 | 守備 |
1 | 三浦 大輔 | DeNA | 42歳 | 1973/12/25 | 25年 | 投手 |
2 | 岩瀬 仁紀 | 中日 | 41歳 | 1974/11/10 | 18年 | 投手 |
3 | レイ | 楽天 | 41歳 | 1974/11/27 | 3年 | 投手 |
4 | 井口 資仁 | ロッテ | 41歳 | 1974/12/04 | 16年 | 内野手 |
5 | 黒田 博樹 | 広島 | 41歳 | 1975/02/10 | 13年 | 投手 |
6 | 倉 義和 | 広島 | 41歳 | 1975/07/27 | 19年 | 捕手 |
7 | 松井 稼頭央 | 楽天 | 40歳 | 1975/10/23 | 16年 | 外野手 |
8 | 福浦 和也 | ロッテ | 40歳 | 1975/12/14 | 23年 | 内野手 |
9 | サブロー | ロッテ | 40歳 | 1976/06/01 | 22年 | 外野手 |
10 | 相川 亮二 | 巨人 | 40歳 | 1976/07/11 | 22年 | 捕手 |
奈良県橿原市に生まれ、小学生の頃からリトルリーグに入っていました。
弟さんが2人おり、兄弟揃って同じリトルリーグでプレーしていました。
幼少の頃から野球センスは知られていたようです。
高校は地元・奈良県の高田商業高校。
甲子園を目指していたものの、いずれも県大会や地方大会の決勝で、奈良県下の強豪である天理高に敗れてしまい、結局、甲子園の土を踏むことはありませんでした。
高田商業高校 全国大会の戦績
大会 | 出場回数 | 勝敗 | 優勝 | 準優勝 | ベスト4 |
春の選抜 | 2回 | 1勝2敗 | 0 | 0 | 0 |
夏の選手権 | 1回 | 3勝1敗 | 0 | 0 | 1 |
甲子園通算 | 3回 | 1勝2敗 | 0 | 0 | 1 |
しかし、その素質はプロからも注目されていたこともあり、1991年のドラフト会議で、なんと6位という下位指名で横浜大洋ホエールズに入団しました。
1989年 ドラフト
1位 | 斎藤 隆 | 投手 | 東北福祉大学 |
2位 | 永池 恭男 | 内野手 | 福岡工業大学附属高 |
3位 | 有働 克也 | 投手 | 大阪経済大学 |
4位 | 斉藤 肇 | 投手 | 静岡・星陵高 |
5位 | 石本 豊 | 外野手 | 藤代柴水高 |
6位 | 三浦大輔 | 投手 | 奈良・高田商業高 |
7位 | 山根 善伸 | 捕手 | 新日本製鐵名古屋 |
8位 | 川北 和典 | 内野手 | 元プリンスホテル |
そんな三浦大輔投手は高校時代に先輩だった女性と結婚しています。
お子さんは息子さんと娘さんが1人ずついますが、娘さんはもうすぐ成人する年齢のようです。
奥さんは三浦大輔投手が不振に陥っているときも、ゲキを飛ばし、奮起させてきたようです。
奥さんが三浦大輔投手を全力で支えてきたという微笑ましいエピソードです。
三浦大輔の現役時代は?
年度別投手成績
1991年 (18歳) ドラフト6位 契約金3000万円
年度 | 登板 | 防御率 | 勝敗 | 投球回 | 三振 | 年俸 |
1992年(19) | 1 | 0.00 | 0勝0敗0s | 2.0 | 1 | 400万 |
1993年(20) | 15 | 3.43 | 3勝3敗 | 60.1 | 61 | 450万 |
1994年(21) | 17 | 4.34 | 2勝2敗 | 47.2 | 35 | 900万 |
1995年(22) | 25 | 3.90 | 8勝8敗 | 147.2 | 107 | 900万 |
1996年(23) | 34 | 4.93 | 5勝10敗 | 131.1 | 101 | 3000万 |
1997年(24) | 26 | 3.35 | 10勝3敗 | 142.1 | 129 | 2800万 |
1998年(25) | 25 | 3.18 | 12勝7敗 | 158.2 | 119 | 5600万 |
1999年(26) | 30 | 4.27 | 9勝10敗 | 175.0 | 130 | 8800万 |
2000年(27) | 24 | 3.22 | 11勝6敗 | 164.2 | 122 | 8600万 |
2001年(28) | 26 | 2.88 | 11勝6敗 | 168.2 | 135 | 1億0500万 |
2002年(29) | 19 | 3.23 | 4勝10敗 | 119.2 | 100 | 1億4000万 |
2003年(30) | 15 | 4.09 | 5勝5敗 | 101.1 | 82 | 1億4000万 |
2004年(31) | 22 | 4.25 | 6勝8敗 | 144.0 | 135 | 2億2000万 |
2005年(32) | 28 | 2.52 | 12勝9敗 | 214.2 | 177 | 2億2000万 |
2006年(33) | 30 | 3.44 | 8勝12敗 | 216.2 | 160 | 2億2000万 |
2007年(34) | 28 | 3.06 | 11勝13敗 | 185.1 | 159 | 1億5000万 |
2008年(35) | 21 | 3.56 | 7勝10敗 | 144.0 | 111 | 1億5000万 |
2009年(36) | 28 | 3.32 | 11勝11敗 | 195.1 | 138 | 3億0000万 |
2010年(37) | 16 | 7.23 | 3勝8敗 | 79.2 | 58 | 2億5000万 |
2011年(38) | 18 | 2.91 | 5勝6敗 | 111.1 | 74 | 3億0000万 |
2012年(39) | 25 | 2.86 | 9勝9敗 | 182.2 | 107 | 1億5000万 |
2013年(40) | 27 | 3.94 | 9勝13敗 | 175.2 | 109 | 1億8000万 |
2014年(41) | 15 | 3.04 | 5勝6敗 | 94.2 | 55 | 1億8000万 |
2015年(42) | 17 | 4.13 | 6勝6敗 | 98.0 | 62 | 1億3500万 |
2016年(43)9/26 | 2 | 8.64 | 0勝2敗 | 8.1 | 6 | 1億2500万 |
プロ通算:25年 | 534 | 3.58 | 172勝183敗 | 3269.2 | 2473 |
高卒でドラフト6位という下位指名で入団した三浦大輔投手は当時、背番号46。
1年目から1軍登板の機会を与えられました。
当時、横浜大洋ホエールズとしてのシーズン最後の試合に登板し、2イニングをぴしゃりと抑える好投でした。
翌年の9月には広島戦でプロ初勝利を挙げ、順調にプロ野球選手として成長を遂げました。
1997年には自身初の2ケタ勝利となる10勝をマークすると、オフに背番号が18へと変わり、いよいよエースとしての道を踏み出したのです。
1998年には12勝をマークし、チームの実に38年ぶりの優勝に貢献しました。
1998年優勝時主力投手
役割 | 選手 | 防御率 | 勝 | 敗 | セーブ |
先発 | 斎藤 隆 | 2.94 | 13 | 5 | 1 |
先発 | 三浦 大輔 | 3.18 | 12 | 7 | 0 |
先発 | 川村 丈夫 | 3.32 | 8 | 6 | 0 |
先発 | 野村 弘樹 | 3.34 | 13 | 8 | 0 |
先発 | 戸叶 尚 | 5.17 | 7 | 8 | 0 |
抑え | 佐々木 主浩 | 0.64 | 1 | 1 | 45 |
完投能力の高さは折り紙つきで、これまで78試合で完投し、そのうち23試合で完封しています。
先発投手として1イニングでも長く投げるスタミナも抜群であり、さらにはフィールディングも素晴らしく、投手も内野手の1人というほど、抜群の守備力で自身の投球を何度となく助けるプレーを見せました。
そして三浦大輔投手といえば、何といっても正確なコントロールにあります。
ルーキーイヤーに当時の小谷正勝投手コーチから「コントロールを磨け」と言われ、それを徹底的に追求してきました。
小谷 正勝(こたに ただかつ)
生年月日 | 1945年4月8日(71歳) |
出身地 | 兵庫県明石市 |
身長 | 178cm |
体重 | 88kg |
ポジション | 投手 |
投打 | 右投右打 |
プロ入り | 國學院大學〜1967年 ドラフト1位 |
その結果。プロ通算でも1試合平均の四球は2.5以下という素晴らしいコントロールが数字にも表れています。
けして速いストレートがあるわけではありません。
140キロ弱のストレートでも、相手を抑える熟練の技、そして長くプロ生活を一線で過ごすことができたのは、小谷投手コーチの教え、そしてコントロールにあったのは間違いありません。
ハマの番長!三浦監督の可能性は?
横浜DeNAの大きな功労者でもある三浦大輔投手は、2014年シーズンから投手コーチも兼務しています。
今季、横浜DeNAは球団史上初のCS進出を決める躍進の年でしたが、その原動力となったのは石田健大投手や今永昇太投手、山崎康晃投手ら投手陣の安定感にありました。
投手コーチは三浦大輔投手を含めて3名体制ではありましたが、今季のチームの躍進にコーチとしても貢献したといえるでしょう。
球団の功労者であるため、もちろん将来の監督候補であることは間違いないでしょう。
しかし、ラミレス監督がチームとして結果を残しただけに、すぐにというわけではなく、しばらくは投手コーチを専任しながら、ゆくゆくは監督にという流れになるのではないでしょうか。
また、三浦大輔投手が引退した後の背番号18の行方も気になるところですが、やはり次世代のエースに託すことになるでしょう。
それは来季以降の新戦力かもしれませんし、投手のリーダーとしてチームを引っ張ってほしいであろう山口俊投手や井納翔一投手あたりも候補に挙がってくるかもしれません。
まとめ
長年にわたって横浜を、そしてプロ野球で大きな功績を残した三浦大輔投手。
正確無比なコントロールを武器に打者を抑えるリーゼントがトレードマークの投手が引退するのは、ファンならずとも寂しいものです。
引退後は引き続きコーチとして今までと違う番号のユニフォームを着るかどうかは分かりませんが、コーチとして、そしてゆくゆくは監督としての活躍が期待されます。