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中日新監督候補ガッツ小笠原道大が高校通算本塁打0本?経歴・成績・年俸は?

中日新監督候補ガッツ小笠原道大が高校通算本塁打0本?経歴・成績・年俸は?1997年以来19年ぶりの最下位に終わった中日ドラゴンズ。

しかも4年連続Bクラスとチームは暗黒時代に突入しています。

今季は谷繁監督がシーズン途中で辞任、森繁和監督代行が采配するなど大きな荒波の中でシーズンを終えました。

そこで来季から中日の新監督の最有力候補!小笠原道大2軍監督の経歴などを振り返ってみます。

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小笠原道大の経歴・生い立ち

小笠原道大 中日監督

小笠原 道大(おがさわら みちひろ)

生年月日 1973年10月25日(42歳)
出身地 千葉県千葉市美浜区
身長 178cm
体重 84kg
ポジション 内野手
投打 右投左打
プロ入り NTT関東〜1996年 ドラフト3位

小笠原道大2軍監督は1973年10月25日、千葉市に生まれました。

7歳の頃から野球を始め、高校時代は暁星国際高校に入学し野球部に所属します。

しかし、高校時代の小笠原道大選手はまったく無名の選手。

どこの高校からも声がかからないほどの選手でした。

高校時代には内外野問わず、多くのポジションをこなすユーティリティープレーヤーでしたが、高校通算本塁打はなんと0本!?

後にプロ野球選手として本塁打王を獲得するとは思えないほど、高校時代は特に注目される存在でもありませんでした。

小笠原道大高校時代

高校時代には捕手としてもプレーした小笠原道大選手は、高校卒業後にNTT関東に進みブルペン捕手でもいい…会社側はそのくらいの感じで獲得したようです。

社会人時代では捕手として注目されるだけでなく、打撃でも徐々に注目される存在となりました。

そして1996年、社会人5年目の年、ドラフト3位として日本ハムに入団することになります。

当時は捕手として指名されましたが、俊足巧打という触れ込みで、長打力はあまり期待されていませんでした。

小笠原道大キャッチャー

1996年 ドラフト

1位 矢野 諭 投手 帝京第五高
2位 今井 圭吾 投手 近畿大学
3位 小笠原 道大 捕手 NTT関東
4位 生駒 雅紀 投手 日立製作所
5位 高橋 憲幸 投手 日本石油
6位 村上 真哉 投手 ヨークベニマル
7位 高橋 信二 捕手 津山工業高
8位 林田 堅吾 投手 アリゾナウエスタン短期大

同期入団でのちに正捕手となる高橋信二選手がいます。

髙橋 信二

髙橋 信二(たかはし しんじ)

生年月日 1978年8月7日(38歳)
出身地 岡山県津山市
身長 182cm
体重 90kg
ポジション 捕手
投打 右投右打
プロ入り 津山工〜1996年 ドラフト7位
キャリアハイ 試115 率.285 本26 点84(2004年)

ガッツ小笠原道大の現役時代は?

小笠原道大キャッチャー

年度別打撃成績

1996年 (23歳) ドラフト3位 契約金7000万円

年度 試合数 打率 打点 本塁打 盗塁 年俸
1997年(24)日ハム 44 .223 7 0 1 1200万
1998年(25) 71 .302 9 1 1 1400万
1999年(26) 135 .285 83 25 3 2000万
2000年(27) 135 .329 102 31 24 5000万
2001年(28) 140 .339 86 32 1 1億1000万
2002年(29) 135 .340 81 32 8 1億8000万
2003年(30) 128 .360 100 31 8 3億0000万
2004年(31) 101 .345 70 18 3 4億0000万
2005年(32) 133 .282 92 37 2 4億3000万
2006年(33) 135 313 100 32 4 3億8000万
2007年(34)巨人 142 .313 88 31 4 3億8000万
2008年(35) 144 .310 96 36 0 3億8000万
2009年(36) 139 .309 107 31 2 3億8000万
2010年(37) 137 .308 90 34 1 3億8000万
2011年(38) 83 .242 20 5 1 4億3000万
2012年(39) 34 .152 4 0 0 4億3000万
2013年(40) 22 .250 8 1 0 7000万
2014年(41)中日 81 .301 18 1 0 3000万
2015年(42) 53 .294 8 0 0 4500万
プロ通算:19年 1992 .310 1169 378 63

入団から2年目までは捕手も務めた小笠原道大選手。

2年目には代打中心ながら打率.302、プロ初本塁打の際、実は骨折が完治していない状態で、バットがまともに握れない中での一発でした。

日ハム在籍時からファイトあふれるプレーぶりから「ガッツ」という愛称が定着していましたがこのプレーがきっかけで小笠原道大選手が「ガッツ」というニックネームで親しまれるようになったのです。

ガッツ小笠原道大

特に注目を集めだしたのは打撃に専念するために内野手にコンバートし2番・一塁手としてレギュラーに定着した3年目の99年から。

一切バントをしないことから小笠原道大選手は「バントをしない2番打者」として旋風を起こしました。

その年、全試合出場し25本塁打をマーク。

2番バッターであったにもかかわらず、常にフルスイングをする攻撃的バッティングで、どんどん頭角を現し、4年目には31本塁打、102打点をマークするだけでなく、シーズン182安打でパリーグ最多安打となりました。

小笠原道大日本ハム

打撃三部門の初タイトルは入団6年目の2002年。

打率.340で首位打者を獲得すると翌年も打率.360で2年連続の首位打者に輝きました。

この頃から毎シーズン高打率を記録し日本人トップの通算打率.319を誇る元ヤクルト・若松勉氏を抜くのではと通算打率にも注目が集まりだします。

最終的には、通算打率.310で終わりましたが歴代8位の立派な数字ですね。

歴代通算打率

順位 選手 打率 実働年数 打数 安打
1 リー .320 1977-1987 4934 1579
2 若松 勉 .31918 1971-1989 6808 2173
3 張本 勲 .31915 1959-1981 9666 3085
4 ブーマー .317 1983-1992 4451 1413
5 川上 哲治 .313 1938-1958 7500 2351
6 与那嶺 要 .3110 1951-1962 4298 1337
7 落合 博満 .3108 1979-1998 7627 2371
8 小笠原 道大 .3104 1997-2015 6828 2120
9 内川 聖一 現役 .308 2001-2016 4467 1436
10 レオン .308 1978-1987 4116 1262

着実に実績を積み重ねる小笠原道大選手は2004年アテネオリンピック日本代表として出場。

2006年第1回WBC・2009年第2回WBCにも日本代表として出場。

第1回WBC王ジャパン・第2回WBC原ジャパン感動の優勝に貢献をしました。

小笠原道大WBC

WBC打撃成績

開催年 試合数 打率 打点 本塁打 盗塁 安打
2006年 第1回WBC 8 231 7 0 1 6
2009年 第2回WBC 9 .250 3 0 0 8
通算 17 .241 10 0 1 14

また2006年にチームのリーグ優勝、日本一に。

自身は32本塁打、100打点で本塁打王と打点王の二冠に輝きその年のオフ、巨人へFA移籍します。

2006年時の日本シリーズは、セ首位打者の中日・福留孝介選手とパ二冠小笠原道大選手のセ・パMVP、チーム3番打者対決も注目されました。

中日・福留孝介と小笠原道大の2006年成績

福留孝介 項目 小笠原道大
130 試合数 135
.351 打率 .313
174 安打 155
31 本塁打 32
104 打点 100
11 盗塁 4
94 三振 85
.653 長打率 .573
1.091 OPS .970

※タイトル獲得

ガッツ小笠原道大巨人

巨人時代も4年連続で30本塁打以上をマークしていましたが、2011年には2000本安打を達成したものの、統一級導入により成績が下降と故障の影響で出場機会は徐々に減少し、2013年オフに戦力外の状況ながら、FA宣言し、中日に移籍しました。

中日在籍はわずか2年でしたが、代打を中心に3割前後の打率を残し、2015年を最後に現役を引退。

高校時代は1本も本塁打を打てなかった打者が、プロで積み重ねた本塁打は378本・2120安打・通算打率.310をマーク。

ガッツの指導者としての素質?

そんな小笠原道大選手は、中日引退後に同球団の2軍監督に就任します。

それまで中日2軍は下位に低迷することが続いていました。

2012年〜2014年は最下位。昨年の2015年は下から2番目。

しかし、今季の中日2軍は福岡ソフトバンクと優勝争いをするまでに、チームとして奮闘しました。

2016年度 ウエスタン・リーグ順位

チーム 試合数 勝率
ソフトバンク 120 72 42 6 .632
中日 111 61 43 7 .587 6.0
阪神 118 57 54 7 .514 13.5
広島 109 40 58 11 .408 24.0
オリックス 116 40 68 8 .370 29.0

そこにはコーチとの綿密なコミュニケーションや采配以外でもチームとしてまとめていく手腕がありました。

それは指導者として十分な資質を持ち合わせていることの証明でもあるでしょう。

小笠原道大中日監督

1軍の中日はセリーグで19年ぶりの最下位となりましたが、唯一の希望の光は2軍が好調だったことでしょう。

2軍では若手が結果を出し「小笠原イズム」が浸透してきているということなのでしょう。

チーム再建に向けて、1軍は多くの課題が山積していますが、2軍のチーム状況を把握し、1年であっても2軍で監督をしたという経験を活かせるのではないでしょうか。

その点では監督としての素質は十分にあると思われます。

まとめ

中日ドラゴズは落合監督時代に黄金時代を築きました。

しかし当時、チームを支えたベテラン選手がチームを去ったり、引退したことで、世代交代が上手く進みませんでした。

なかなか若手が育っていない、そして今のチーム状況に適した若手を獲得できていないという現状の課題がある中で、まず2軍からその成長の兆しを見せています。

小笠原道大2軍監督は、その2軍を率いていただけに、再建の土台を自分自身で築きました。

それゆえに、1軍監督としても十分に期待できるでしょう。

森繁和監督代行の来季続投の可能性もありますが、小笠原道大2軍監督は強い中日復活へのカギを握る存在でもあります。

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