江川卓の作新学院時代・大学〜プロの経歴は?選手時代の性格は?

江川卓さんと言えば、野球解説者やタレントとして活躍されていますが今夏の甲子園を制した作新学院出身で80年代の巨人のエースとして君臨した有名な選手ですね。

巨人入団の際にあった特別な経緯についても広く知られているのではないかと思います。

今回はそんな江川卓選手についてご紹介させていただきますね!

甲子園投手成績

セリーグ大学時代投手成績


年度別投手成績

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江川卓の経歴・生い立ち

江川卓さんは福島県の出身で、幼少期はいわき市に住んでいました。

家族は元客室乗務員の嫁さんと長女、長男に本人を含めた4人家族ですね。

本格的に投手として活躍するようになったのは中学の頃から。

江川 卓(えがわ すぐる)

江川 卓 巨人 ジャイアンツ

生年月日 1955年5月25日(61歳)
出身地 福島県いわき市
身長 183cm
体重 90kg
ポジション 投手
投打 右投右打
プロ入り 法政大〜1978年 ドラフト1位
プロ通算:9年 登266 防3.02 奪1366 135勝72敗3s

その後、栃木県の作新学院に入学、法政大学を経て、巨人に入団することになります。

ですが、江川卓さんはその際に様々な駆け引きがあっての入団でした有名な空白の一日で世間的にはダーティーなイメージが付いてしまい、最も嫌われた野球選手としても知られることとなりました。

空白の1日

元々、交渉権を持っていた阪神と契約し、その後、巨人との電撃トレードという結果的に周囲を振り回す形になってしまった事も良くないイメージに繋がってしまったのでしょう。

この時に当時の巨人のエースだった小林繁投手がトレード要員として選ばれたのもその後の禍根を残すことになりましたね。

ただ、そういった背景が存在することもあって性格も悪いように見られがちです。

江川と小林

小林投手との入れ替わりで入団してきた江川投手に対しての風当たりは強く、当時はチーム内でも「キャッチボールをしない」、「話しかけない」といった嫌がらせをされていました。

しかし、その中で率先して片付け等の雑用を行い、挨拶もきちんと行うといったエピソードもあり、その出来事からはイメージと真逆の礼儀正しさも感じさせます。

現在のタレント活動でも見られるように性格は言われているほど悪いと思えませんし、むしろキッチリとした良い部類に入る性格だったのではないでしょうか?

怪物江川と呼ばれる所以は?

江川卓さんが怪物と呼ばれる所以となっているのは作新学院時代から始まっている数々の偉業達成が一つ、要因として挙げられますね!

高校時代には3年春の選抜大会で通算60奪三振の大会記録を樹立。

夏の予選では登板した5試合中3試合がノーヒットノーラン、練習試合を含めて140イニング無失点という驚異的な記録を残し、甲子園でも大会史上2位となる23奪三振を記録しています。

作新学院 江川卓

作新学院 73年春甲子園投手成績 防御率0.27
対戦校・回戦・スコア 投球回数 被安打 奪三振数 与四死球数 自責点
○北陽 1回戦 2-0 9.0 4 19 2 0
○小倉南 2回戦 8-0 7.0 1 10 3 0
○今治西 準々決勝 3-0 9.0 1 20 1 0
●広島商 準決勝 1-2 8.0 2 11 8 1
通算 4試合 33.0 8 60 14 1
作新学院 73年夏甲子園投手成績 防御率0.68
対戦校・回戦・スコア 投球回数 被安打 奪三振数 与四死球数 自責点
○柳川商 1回戦 2-1 15.0 7 23 1 1
○銚子商 2回戦 0-1 11.1 11 9 1 1
通算 2試合 26.1 18 32 2 2

さらに大学に入学後も1年時にベストナインに輝くなど、勢いは衰えず、その勢いのままプロ入りを果たしました。

これらの実績も十分に怪物と称していいレベ ルですが、実は実績面で怪物級だったから怪物江川と呼ばれていたのではなく、漫画の「怪物くん」に登場する主人公に似ていたことから呼ばれるようになった と言われています。

怪物江川と怪物くん

高校生離れした投球と耳の大きな顔がそっくりだったからという理由ではありますが、顔だけでなく、高い実力を備えていたがゆえの称号ですから、文字通り怪物級の選手であったことの証とも言えるのではないでしょうか?

怪物という異名は高校時代から言われ始めたということですので、「怪物江川」と呼ばれるようになったのは高校の頃からということになりますね!

また、江川投手は高校時代がピークであるともされていて、全盛期もこの頃だとされています。

言い換えればこれ以降の大幅な進化は無いとも表現できますが、見方を変えればすでに完成されていた投手であったとも言えるでしょう!

法政大 4年間投手成績
試合数 完投 完封 奪三振 防御率
71 51 17 47 12 433 1.16

若くしてプロ野球選手を辞めたのか?

江川と小早川

年度別投手成績

1978年 (22歳) ドラフト1位

年度 登板 防御率 勝敗 投球回 三振 年俸
1979年(23) 27 2.80 9勝10敗 161.0 138 720万
1980年(24) 34 2.48 16勝12敗 261.1 219 960万
1981年(25) 31 2.29 20勝6敗 240.1 221 1560万
1982年(26) 31 2.36 19勝12敗 263.1 196 3000万
1983年(27) 33 3.27 16勝9敗3s 217.2 131 4400万
1984年(28) 28 3.48 15勝5敗 186.0 112 4400万
1985年(29) 30 5.28 11勝7敗 167.0 117 4800万
1986年(30) 26 2.69 16勝6敗 194.0 119 4300万
1987年(31) 26 3.51 13勝5敗 166.2 113 6120万
通算:9年 266 3.02 135勝72敗3s 1857.1 1366 3億260万

タイトル:
最多勝:2回 (1980年、1981年)
最優秀防御率:1回 (1981年)
最多奪三振:3回 (1980年、1981年、1982年)
最高勝率:2回 (1981年、1984年)

江川卓さんは1987年に引退を表明したのですが、この時まだ32歳という若さでした。

何故、早々と引退したのかは当時、多くの人が疑問に思われたのと思います。

江川卓さんは引退までの現役生活の中で何度か肩を痛めており、引退した年にはそれが限界に達していたというのが一番大きな理由だと思います。

ただ、それだけではなく、引退した年に対広島戦の4番を務めていた小早川選手に2打席連続で本塁打を打たれたことも理由として挙げられますね。

赤ヘルの若大将小早川毅彦

小早川 毅彦(こばやかわ たけひこ)

生年月日 1961年11月15日(54歳)
出身地 広島県広島市安芸区
身長 183cm
体重 93kg
ポジション 内野手
投打 右投左打
プロ入り 法政大〜1983年 ドラフト2位

肩を痛めるとどうしてもボールの勢いは落ちてきてしまうものですが、一級品のストレートを持つ江川投手だっただけにそれを打たれてしまった事は力の衰えを自覚し、引退を決意する上での大きな要因となったのでしょう。

江川 小早川

それから、入団時こそ空白の一日などによる江川事件のダーティーなイメージがありましたが、巨人での活躍もあり、徐々にそうした声も少なくなっていきました。

経緯が経緯だけに未だ嫌われている印象も強いですが、当時の風当たりの強さを踏まえると昔ほどは嫌われていないように感じます。

現在は解説者、としての評価も高く、タレントとしても好感が持てます。

まとめ

以上、江川卓さんについてでした。

速球派の投手に多いのが肩の怪我。

江川卓さんも例外ではなかったのは前述の通りです。

それでもストレートで相手を牛耳るピッチングには打者でいうところの本塁打のような爽快さがあります。

この先、こうした投球ができる投手の出現が待ち遠しいところです。

先日、夏の甲子園で優勝した作新学院今井達也投手に是非とも期待したいですね!

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