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千葉ロッテつなぎの四番サブロー引退!巨人トレードの謎。経歴・嫁は?

千葉ロッテつなぎの四番サブロー引退!巨人トレードの謎。経歴・嫁は?プロ野球もシーズン終了の足音がハッキリ聞こえてくる時期になると、あちらこちらの球団から「引退」の文字が浮かんできます。

千葉ロッテを長く支えた男・サブロー選手もその1人。

一時は巨人へ移籍した時期もあったサブロー選手。

しかし、すぐさま古巣に戻り、22年間にわたる現役生活にピリオドを打ちます。

そんなサブロー選手について注目してみましょう。

サブローの経歴・奥様は?

サブロー 大村三郎

サブロー(本名:大村 三郎(おおむら さぶろう)

生年月日 1976年6月1日(40歳)
出身地 岡山県岡山市北区
身長 181cm
体重 90kg
ポジション 外野手
投打 右投右打
プロ入り PL学園〜1994年 ドラフト1位

サブロー選手は1976年6月1日、岡山市に生まれました。

本名は大村三郎です。

兄弟がいるのか気になるでしょうが、実は「三郎」の名前の通り、3人兄弟の三男です。

ただ、上の2人のお兄さんは「一郎」「二郎」ではないようです。

中学までは岡山で過ごし、高校は大阪のかつての名門・PL学園高に入学しました。

高校3年のときに出場した夏の高校野球では1番打者として活躍し、完全試合を達成した投手からもヒットを放ち、チームのベスト4に貢献しました。

第66回選抜高校野球大会(1994年)サブロー選手3年生時のPL学園試合結果

回戦 対戦校 勝敗
一回戦 拓大一(千葉県) 10-0
二回戦 金沢(石川県) 4-0
準々決勝 神戸弘陵(兵庫県) 10-1
準決勝 智弁和歌山(和歌山県) 4-5

1994年ドラフト

1994年 ドラフト

1位 大村 三郎   外野手 PL学園高
2位 黒木 知宏 投手 新王子製紙春日井
3位 橋本 将 捕手 宇和島東高
4位 信原 拓人 内野手 相生高
5位 後藤 利幸 投手 三菱重工神戸
6位 岸川 登俊 投手 東京ガス
7位 後藤 利幸 捕手 富士宮北高

奥様はかつてはアイドルで歌手の中嶋ミチヨさん(デビュー当時は中嶋美智代)。

中嶋 ミチヨ(なかじま ミチヨ)

中嶋 ミチヨ(なかじま ミチヨ)

生年月日 1973年1月2日(43歳)
出身地 埼玉県志木市
身長 157cm
スリーサイズ 80 – 57 – 83 cm
血液型 A
デビュー 1991年
ジャンル タレント(乙女塾3期生 ハーベストムーン所属)

2000年8月の結婚され、2人の男の子と1人の女の子という、3人のパパでもあります。

奥様は、いきなり!黄金伝説の番組内で、1ヶ月間をわずか1万円で過ごすという企画を最初に参加しその節約ぶりが話題になるほど。

旦那さんへのお小遣いもかなり少額だったとか・・・

つなぎの四番サブローの現役時代

サブロー 大村三郎

年度別打撃成績

1994年 (18歳) ドラフト1位 契約金8000万円

年度 試合数 打率 打点 本塁打 盗塁 年俸
1995年(19)ロッテ 28 .188 2 0 1 600万
1996年(20) 9 1.000 0 0 1 840万
1997年(21) 33 .179 1 0 6 840万
1998年(22) 2 .000 0 0 8 840万
1999年(23) 108 .231 8 0 6 810万
2000年(24) 95 .270 23 5 8 1500万
2001年(25) 108 .229 25 1 5 2900万
2002年(26) 131 .286 43 9 5 2750万
2003年(27) 80 .273 46 10 1 5200万
2004年(28) 89 .256 33 5 3 4700万
2005年(29) 107 .313 50 14 4 4200万
2006年(30) 115 .218 38 9 3 8500万
2007年(31) 133 .269 68 7 4 7000万
2008年(32) 105 .289 56 6 2 7000万
2009年(33) 119 .314 68 22 1 1億0000万
2010年(34) 125 .261 71 19 0 1億3000万
2011年(35)巨人 67 .254 18 3 1 1億3000万
2012年(36)ロッテ 137 .239 52 7 3 1億3000万
2013年(37) 73 .245 24 5 3 1億3000万
2014年(38) 81 .248 25 4 0 1億3000万
2015年(39) 36 .217 4 1 65 1億3000万
2016年(40) 1 .250 0 0 0 6500万
プロ通算:22年 1782 .265 655 127 65

千葉ロッテの4番といえば…この質問の回答を1つに絞ることは難しいかもしれません。

しかし、「サブロー」という名前を挙げる方はけして少なくはないでしょう。

2005年にプロで初めて4番スタメンで出場して以降、けして4番で定着することはありませんでしたが、4番を打つことが多かったサブロー選手。

4番といえば、パワーヒッターが任されるものというイメージが強いでしょう。

しかし、サブロー選手は2009年に22本塁打を放ったのが最高で、年間で10本塁打以上をマークしたのは4度だけ。

それでも4番を任されたのは、堅実で勝負強い打撃とさらに後ろへつなごうとする姿勢だったのでしょう。

4番は強打者と言うより「ただ単に4番目に打つバッター」というイメージなのかもしれません。

サブロー 大村三郎

つなぎの4番だからこそ、打率も3割に到達したのは、2度だけですが、出塁率は3割5分を超えることも多々あり、選球眼の高さをうかがわせる、新しいタイプの4番バッターでした。

サブロー 大村三郎 巨人

ところで、サブロー選手といえば、2011年のシーズン途中、巨人へトレード移籍しました。

千葉ロッテ屈指の人気選手の突然のトレードに、ファンは驚き、怒りすら感じた方も多かったようです。

高年俸から球団経営を圧迫していたためとも言われていますが、その真相の記事を見つけました。

12球団派閥と人脈[ロッテ編]、フロントと衝突して落ち目のサブロー
西村監督が就任した09年のオフ以降、ロッテの選手派閥は「2派」に分かれている。ひとつが「生え抜き組」を牽引するサブローを中心とした一派。もうひとつが「外様」をまとめる井口のグループである。
サブローが一言言えば球団は何でも動く。そんな逸話があるくらい球団内で発言力。影響力がズバ抜けていた。小林宏(阪神)ら多くの若手選手から慕われ、一時はサブロー一派が10人以上に膨れ上がったこともあった(チーム関係者)
だが、そんな「サブロー派」も最近は「井口派」に押され気味という。「09年にロッテに加入した井口は、ダイエー時代から親交が深かったロッテ・瀬戸山球 団社長、石川球団運営本部長らを後ろ盾に勢力を拡大しています。すでに球団からは『将来の監督手形』ももらっているため、人事権を掌握しつつある。井口が ロッテに加入して以降、阪神を戦力外になった今岡(井口の大学時代からの親友)、オリックスを戦力外になった川越(井口と同じ青学大出身)、ソフトバンク を戦力外になった的場、秋親ら、井口シンパが続々とロッテに拾われているのはそのためです。昨年もドラフトで小池(4位、青学大)を取ったのも井口の意向 といわれています」(前出の関係者)こうした井口の「将来に向けた動き」をナインも察知。今ではサブローの影響力は落ちてきたとか。「サブローは昨オフ、 裏方さんの待遇改善と西岡、小林宏の抜けた穴の補強を球団幹部に訴えたが、一切受け入れられず衝突。以降、両者の溝は深くなるばかり。これも井口の力を増 大させています」(球団関係者)
ロッテの顔は現在でも表向きは選手会長のサブローだが、実権を握りつつあるのはロッテ選手会で「相談役」の肩書を持つ井口なのである。

巨人へのトレードは結果的にサブロー選手を支持する千葉ロッテファンが多く、球団はファンを敵に回してしまう結果となったのです。

サブロー 大村三郎 巨人

その年のオフ、サブロー選手は千葉ロッテにFA権を行使して古巣に復帰しました。

サブロー ロッテ出戻り 巨人在籍わずか154日
シーズン終盤の10月2日にフロント陣を一新させた重光オーナー代行は「サブロー選手が出ていった後から成績が悪くなった」として、退団した瀬戸山隆三前球団社長、石川晃球団運営本部長の旧フロント陣を批判。個人名こそ伏せたが「今年出ていった人を呼び戻したい」とサブローの再獲得を示唆。巨人で登録名を本名の大村に戻したサブローも出場わずか48試合に終わり、出場機会を求めて11月22日にFAを表明した。

サブロー 大村三郎 ロッテ

それだけ、サブロー選手の存在はチーム内だけでなく、ファンにとっても大きな存在なのです。

まとめ

サブロー選手といえば、打席に立つときの場内アナウンス、「サブロ~~ッ!!」と伸ばす独特のアナウンスが特徴であり、人気でもありました。

サブロー 大村三郎 ロッテ 引退

▲場内アナウンス係の谷保さんとサブロー

命懸けコールでロッテ・サブロー送り出します
サブローの引退会見で花束贈呈役を務めた場内アナウンス係の谷保恵美さんも涙。「サブロ~~ッ!!」という独特の登場コールはQVCマリンの風物詩で「何か独特なものをお願いします」とサブローから頼まれたのは1995年の入団時だった。2005年くらいから現在のコールとなり、「年々(語尾が)伸びています」。引退試合は25日のオリックス戦。谷保さんは「(酸欠で)倒れるまで伸ばします。打席に入れません!!」と命懸け(!?)のコールを誓った。

引退によって、このアナウンスも聞けなくなることに寂しさを感じるファンも多いことでしょう。

しかし、千葉ロッテの功労者かつ絶大な人気があり、チーム内の信頼も厚い選手です。

それだけに、将来はコーチや監督として、再び千葉ロッテのユニフォームに袖を通す日がくる可能性も高いのではないでしょうか。

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