トリプルスリー…打率3割以上、本塁打30本以上、そして30盗塁以上。
これらをすべてシーズンの中で満たすことで得られる称号。
確実性・長打力があり尚かつ走力がある打者において非の打ち所がないオールマイティーなプレーヤーでなければ達成することができない記録。
それはどのくらい難しいものなのかを検証してみます。
歴代トルプルスリー達成者
過去にトリプルスリーを達成した歴代選手はわずか10人。
1950年代
1950年、現在は球団が存在しない松竹ロビンスの岩本義行選手と、現在の千葉ロッテの前身である毎日オリオンズの別当薫選手が達成しました。
岩本 義行(いわもと よしゆき)-松竹ロビンス在籍時 (1949 – 1951)
岩本選手は打率3割1分9厘、39本塁打、34盗塁。
別当 薫(べっとう かおる)-毎日オリオンズ在籍時 (1950 – 1957)
別当選手にいたっては打率3割3分5厘、43本塁打、34盗塁と、過去の達成者の中では唯一、「3割40本30盗塁」を記録しています。
1953年には弱冠20歳という若さで、西鉄ライオンズ(現・埼玉西武)の中西太選手が、打率3割1分4厘、36本塁打、36盗塁でトリプルスリーを決めました。
中西 太(なかにし ふとし)-西鉄ライオンズ在籍時 (1952 – 1969)
しかし、その後は長らくこの記録を達成するような選手は現れなかったのです。
1980年代
1983年に阪急ブレーブス(現・オリックス)の蓑田浩二選手が打率3割1分2厘、32本塁打、35盗塁で、久々のトリプルスリー誕生となりました。
簑田 浩二(みのだ こうじ)-阪急ブレーブス在籍時 (1976 – 1987)
1950年代は、トリプルスリーという言葉は存在せず、ファンから注目を浴びるようになったのは1980年代・蓑田浩二選手からと言われています。
秋山 幸二(あきやま こうじ)-西武ライオンズ (1981 – 1993)
その後、1989年に西武時代の秋山幸二選手が打率3割1厘、31本塁打、31盗塁で達成しました。
1990年代
1995年には広島の前監督である野村謙二郎選手が打率3割1分5厘、32本塁打、30盗塁で、セリーグでは実に45年ぶりの達成となります。
野村 謙二郎(のむら けんじろう)-広島東洋カープ (1989 – 2005)
2000年以降〜
さらに5年後には現在阪神の監督を務める金本知憲選手が広島時代に打率3割1分5厘、30本塁打、30盗塁の成績で達成しました。
金本選手の30本塁打はシーズン最終戦で放っており、滑り込みでの達成となりました。
金本 知憲(かねもと ともあき)-広島東洋カープ (1992 – 2002)
2002年には現在楽天、当時西武に在籍していた松井稼頭央選手が打率3割3分2厘、36本塁打、33盗塁で、史上初のスイッチヒッターでの達成となりました。
松井 稼頭央(まつい かずお)-西武ライオンズ (1994 – 2003)
少し年数が空き13年後、2015年には東京ヤクルトの山田哲人選手が打率3割2分9厘、38本塁打、34盗塁。
山田 哲人(やまだ てつと)-東京ヤクルトスワローズ (2011 – )
そして福岡ソフトバンクの柳田悠岐選手が打率3割6分3厘、34本塁打、32盗塁で、65年ぶりとなる1年に2人のトリプルスリー誕生となりました。
柳田 悠岐(やなぎた ゆうき)-福岡ソフトバンクホークス (2011 – )
2年連続トリプルスリー達成
2016年には山田選手が打率3割4厘、38本塁打、30盗塁で、史上初の2年連続、複数回の達成という前人未到の偉業を達成しました。
トリプルスリー達成者一覧 – (1950 – 2016)
選手 | 年度 | 試合数 | 打率 | 本塁打 | 盗塁 | 打点 | 三振 | OPS |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
岩本 義行 | 1950 | 130 | .319(552打数176安打) | 39 | 34 | 127 | 48 | .956 |
別当 薫 | 1950 | 120 | .335(477打数160安打) | 43 | 34 | 105 | 36 | 1.068 |
中西 太 | 1953 | 120 | .314(465打数146安打) | 36 | 36 | 86 | 52 | .989 |
簑田 浩二 | 1983 | 127 | .312(445打数139安打) | 32 | 35 | 92 | 49 | .988 |
秋山 幸二 | 1989 | 130 | .301(478打数144安打) | 31 | 31 | 99 | 93 | .954 |
野村 謙二郎 | 1995 | 131 | .315(550打数173安打) | 32 | 30 | 75 | 60 | .940 |
金本 知憲 | 2000 | 136 | .315(496打数156安打) | 30 | 30 | 90 | 101 | .959 |
松井 稼頭央 | 2002 | 140 | .332(582打数193安打) | 36 | 33 | 87 | 112 | 1.006 |
山田 哲人 | 2015 | 143 | .329(557打数183安打) | 38 | 34 | 100 | 111 | 1.027 |
柳田 悠岐 | 2015 | 138 | .363(502打数182安打) | 34 | 32 | 99 | 101 | 1.101 |
山田 哲人 | 2016 | 133 | .304(481打数146安打) | 38 | 30 | 102 | 101 | 1.032 |
トルプルスリーを達成した次年度の成績は?
トリプルスリーを達成した翌年、同じようにトリプルスリーを達成した選手は2015年、2016年の東京ヤクルト・山田哲人選手、ただ1人です。
2年連続でトリプルスリーがいかに難しいかを証明しています。
秋山 幸二 選手の場合
平成になってからの達成者を振り返ってみると、西武の秋山選手の場合は、翌年、31本塁打、51盗塁と2部門で好成績をあげます。
打率の方は2割5分6厘と大幅に下がってしまいました。
それでも30本50盗塁をマークするあたりさすがは、秋山選手ですね。
年度 | 試合数 | 打率 | 本塁打 | 盗塁 |
---|---|---|---|---|
1989 | 130 | .301(478打数144安打) | 31 | 31 |
年度 | 試合数 | 打率 | 本塁打 | 盗塁 |
---|---|---|---|---|
1990 | 130 | .256(476打数122安打) | 35 | 51 |
野村 謙二郎 選手の場合
広島・野村選手は達成翌年の1996年、打順が1番からクリーンナップがメインとなり、故障があったりと、どの部門も成績を下げてしまいました。
年度 | 試合数 | 打率 | 本塁打 | 盗塁 |
---|---|---|---|---|
1995 | 131 | .315(550打数173安打) | 30 | 30 |
年度 | 試合数 | 打率 | 本塁打 | 盗塁 |
---|---|---|---|---|
1996 | 124 | .292(514打数150安打) | 12 | 8 |
金本 知憲 選手の場合
当時広島・金本選手の場合は、達成翌年の2001年、打率こそ3割1分4厘でクリアしましたが、本塁打と盗塁では基準を満たしませんでした。
年度 | 試合数 | 打率 | 本塁打 | 盗塁 |
---|---|---|---|---|
2000 | 136 | .315(496打数156安打) | 30 | 30 |
年度 | 試合数 | 打率 | 本塁打 | 盗塁 |
---|---|---|---|---|
2001 | 140 | .314(472打数148安打) | 25 | 19 |
松井 稼頭央 選手の場合
西武・松井選手の場合は、達成翌年のシーズンで33本塁打、打率3割5厘をマークしましたが、盗塁は13個と大幅ダウン。
年度 | 試合数 | 打率 | 本塁打 | 盗塁 |
---|---|---|---|---|
2002 | 140 | .332(582打数193安打) | 36 | 33 |
年度 | 試合数 | 打率 | 本塁打 | 盗塁 |
---|---|---|---|---|
2003 | 140 | .305(587打数179安打) | 33 | 13 |
柳田 悠岐 選手の場合
福岡ソフトバンク・柳田選手は、昨年、打率3割6厘をマークするも、本塁打は18、盗塁は23と、基準には届きませんでした。
年度 | 試合数 | 打率 | 本塁打 | 盗塁 |
---|---|---|---|---|
2015 | 138 | .363(502打数182安打) | 34 | 32 |
年度 | 試合数 | 打率 | 本塁打 | 盗塁 |
---|---|---|---|---|
2016 | 120 | .306(428打数131安打) | 18 | 23 |
そもそもトリプルスリーはアベレージヒッターが多いために、翌年も打率3割を越えるケースは多くあるようです。
その反面で2年続けて30本を越えることが難しいようです。
また、長打力を活かすために、打順がクリーンアップに変わるなどで、盗塁の機会が減少する傾向もありますね。
惜しくも逃した選手達
本塁打と盗塁をともに30以上決めるというのが非常に難しく、球史に名を残したバッターであれトリプルスリーを達成できなかったケースもあります。
今やスーパースターであるイチロー選手はオリックスに在籍していた1995年、打率3割4分2厘、49盗塁と、申し分ない成績でしたが、本塁打は25と、あと5本届きませんでした。
トリプルスリーに最も近づいたのですが、達成には本塁打が最もネックとなりました。
イチロー(すずき いちろう)-オリックス・ブルーウェーブ (1992 – 2000)
イチローは、アベレージ ヒッターですが1995年の本塁打王・小久保裕紀選手の28本にあと3本と肉薄。
もしトリプルスリーを達成していたら、史上初となる三冠王との同時達成という偉業を成し遂げていました。
打率 | 本塁打 | 盗塁 |
---|---|---|
.342 | 25 | 49 |
また、「ミスター」でお馴染みの巨人・長嶋茂雄選手もルーキーだった1958年に打率3割5厘、37盗塁を決めましたが、本塁打はなんと29。
あと1本が届きませんでした。
その1本、実は放っているのですが、ベースを踏み忘れてアウトになってしまったという「幻の本塁打」でした。
長嶋茂雄(ながしま しげお)-読売ジャイアンツ (1958 – 1974)
打率 | 本塁打 | 盗塁 |
---|---|---|
.305 | 29 | 37 |
きちんとベースを踏んでいれば、ルーキーイヤーでのトリプルスリー達成となっていたのですが…。
松永 浩美(まつなが ひろみ)-阪急ブレーブス〜(1978 – 1992)
現役時代、史上最高のスイッチヒッターと呼ばれた松永浩美選手。
1985年阪急時代に打率、盗塁と2部門達成しましたが本塁打があと4本足りませんでした。
現役生活ではこの年26本が最多で本塁打30本以上は未到達。
打率 | 本塁打 | 盗塁 |
---|---|---|
.320 | 26 | 38 |
井口 資仁(いぐち ただひと)-福岡ダイエーホークス (1997 – 2004)
現ロッテの井口資仁選手も2003年ダイエー時代に本塁打あと3本で逃しています。
打率 | 本塁打 | 盗塁 |
---|---|---|
.340 | 27 | 42 |
本塁打30本は、2001年に一度達成しています。
2001年シーズンは、本塁打30、盗塁44、打率.261と打率が足りませんでした。
どんなに能力のある名選手でも、ちょっとした巡り合わせで達成を逃すほどに、トリプルスリーの前には”見えない壁”があるようですね!
山田哲人 3年連続トリプルスリーへの可能性は
東京ヤクルト・山田哲人選手は昨年、前人未到の2年連続トリプルスリーという快挙を達成しました。
年度 | 試合数 | 打率 | 本塁打 | 盗塁 |
---|---|---|---|---|
2015 | 143 | .329(557打数183安打) | 38 | 34 |
年度 | 試合数 | 打率 | 本塁打 | 盗塁 |
---|---|---|---|---|
2016 | 133 | .304(481打数146安打) | 38 | 30 |
メジャーでは3度受賞の当時サンフランシスコ・ジャイアンツのバリー・ボンズ選手が達成しています。
バリー・ボンズ)-現役年数 (1986 – 2007)
年度 | 試合数 | 打率 | 本塁打 | 盗塁 |
---|---|---|---|---|
1990 | 151 | .301(519打数156安打) | 33 | 52 |
1992 | 140 | .311(473打数147安打) | 34 | 39 |
1996 | 158 | .308(517打数159安打) | 42 | 40 |
3年連続となると、メジャーリーグでも達成者はいません。
その難易度は計り知れないのです。
山田選手の場合、シーズン開幕前にWBCに出場していました。
今シーズンはWBCに参加していた選手の多くが、なかなか調子が上がってこないことが話題となっていますが、山田選手もその1人。
だからこそ、今季のトリプルスリーは、昨年、一昨年とは比べ物にならないくらい、非常に難しいのではないでしょうか。