中村紀洋の現在は?現役時代の成績・黒ノリ白ノリの素行

中村紀洋の現在は?現役時代の成績・黒ノリ白ノリの素行かつては近鉄の主砲として、「いてまえ打線」の中核だった中村紀洋氏。

メジャーリーグにも挑戦し日本球界でも多くの球団を渡り歩きました。

「生涯現役」にこだわり続けた中村紀洋氏は果たして現在、どうしているのでしょうか?

どのような道を歩んでいるのでしょうか?

現役時代の成績も合わせて振り返ってみましょう。

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中村紀洋の生い立ち

中村紀洋氏は1973年7月24日生まれの、現在歳。

大阪市淀川区出身です。

中村 紀洋(なかむら のりひろ)-現役 (1992 – 2014)

中村紀洋(黒ノリ・白ノリ)

生年月日 1973年7月24日(歳)
出身地 大阪府大阪市東淀川区(現・淀川区)
身長 180cm
体重 93kg
ポジション 内野手
投打 右投右打
プロ入り 渋谷高〜近鉄1991年 ドラフト4位
NPB通算:22年 試2267 率.266(7890打2101安打)本404 点1348 盗22

渋谷高校時代  – ( 1989- 1992 )

大阪の北部・池田市にある渋谷(しぶたに)高校出身。

中村紀洋(渋谷高校)

2年時はすでにチームの4番で、投手としてもプレーしていたこともあり、チームの中心選手でした。

超激戦区大阪で、渋谷高校という平凡な公立校を2年時、4番エースとして夏の甲子園へ導いています。

中村紀洋(渋谷高校)

第72回全国高校野球選手権大会 (1990年)

回戦 対戦校 勝敗
二回戦 宇部商(山口) 延長10回 4-8

主な高校生強打者の通算本塁打

名前 通算 経歴
駒田 徳広 43 桜井商-巨人-横浜
谷繁 元信 42 江の川-大洋(横浜)-中日
鈴木 尚典 39 横浜-横浜
中村 紀洋 35 渋谷-近鉄-ドジャース-オリックス-中日-楽天-DeNA
石井 浩郎 32 秋田-早大-近鉄-巨人-ロッテ-横浜
嶋 重宣 28 東北-広島-西武
元木 大介 24(甲 6) 上宮-巨人

ドラフト会議 – ( 1991 )

高校通算35本塁打というパワーも注目され、1991年のドラフト会議で、今は消滅してしまった近鉄から投手として4位指名で入団しました。

中村紀洋(近鉄バファローズ)

ドラフト指名選手 – ( 近鉄バファローズ )

1位 高村 祐 投手 法政大学
2位 江坂 政明 投手 神戸製鋼
3位 品田 操士 投手 花咲徳栄高
4位 中村 紀洋 投手 渋谷高
5位 背尾 伊洋 投手 大阪桐蔭高
6位 森山 一人 投手 邇摩高
7位 上山 勲 内野手 北嵯峨高

家族

1995年に、当時、日立でバレーボール選手だった浩子夫人と結婚されました。

中村紀洋(浩子)嫁

この浩子夫人のお兄さんが、かつて近鉄のレギュラーだった村上隆行さんであり、チームメイト同士で義兄弟となったことは有名です。

村上 隆行(むらかみ たかゆき)-大阪近鉄バファローズ (1984 – 2000)

村上隆行(近鉄バファローズ)
▲ NPB通算17年:試1380 率.258(3552打916安打)本147 点464 盗68

浩子夫人は自分で会社を立ち上げるなど、仕事でも積極的であり、その一方で2人との間には3人の娘さんがいます。

中村紀洋(浩子)嫁・子供

性格・素行

そんな3女の父である中村紀洋氏ですが、その性格には「黒ノリ」「白ノリ」の2面性があるといわれてきました。

中村紀洋(白ノリ)

日常は「白ノリ」で、後輩の面倒見が良く、きっぷがいいのですが、シーズンオフの契約更改交渉では「黒ノリ」の面が出てくるのです。

あるときは「このチームで骨をうずめる」と言ってみれば、契約交渉となると、「プライドがある」などと語り、チームを去るハメになってしまうことも度重なりました。

突如として「黒ノリ」になってしまうことが、移籍を繰り返す理由となったのかもしれません。

中村紀洋(黒ノリ)

中村紀洋 「黒・白ノリ」を経た4度の歴史を今さらおさらい
近鉄からプロ人生が始まり、ちょこっとMLBのドジャースに行った後、オリックス、中日、楽天、現在の横浜と球団を渡り歩いてきた中村紀洋、41歳。この男はファンの間で「黒ノリ」と「白ノリ」の二面があるといわれてきた。そして10月3日に横浜退団が決定した。「普段は気っぷのいい関西の男」(球界関係者)という中村だが、実績を残すとビッグマウスを連発、オフには強気な条件闘争に望む「黒化」が起こる。

【 1度目 】
5億円(推定)の年俸では足りないと考えたのか、「中村紀洋というブランドを考えて近鉄で終わっていいのか」という名言を残してFA宣言(結局残留)。その後ドジャースへ移籍するも活躍できず、2006年にオリックスへ復帰する。

【 2度目 】
古巣でも条件面で揉めに揉めて、「近鉄はもう少し選手のことを思ってくれる球団だった」、「愛情がほしい」と心情を吐露。自由契約となるがどこからも声がかからず、2007年2月に中日に拾ってもらった時には、「お金じゃないですから」「中日に骨を埋めたい」とすっかり“漂白”された。

【 3度目 】
誰もが「中日に骨を埋める」と思っていたが、2008年に条件提示に納得がいかず、「僕にもここまで一線でやってきたプライドがある」とFA宣言して楽天に移籍。当初はベテランとしてチームを引っ張る「白ノリ」だったが、2年目の2010年には選手同士の決起集会で問題行動があったと夕刊紙で報じられて雲行きが怪しくなる。この年限りで戦力外に。

【 4度目 】
横浜入団。「代打でもブルペンキャッチャーでも何でもやる」と“驚きの白さ”を見せていた。ちなみに「横浜に骨を埋めたい」というどこかで聞いた言葉も発する。しかし度重なる采配批判が問題視され、今年5月以降は一軍に昇格することのないまま、9月に戦力構想外であると報道された。本人は現役続行を希望しているが……。

中村紀洋の全盛期

近鉄時代  ルーキー〜レギュラー格へ -( 1992- 1999 )

年度別打撃成績 – (1992 – 1999)

1991年(18歳) 近鉄ドラフト4位 契約金4000万円

年度 試合数 打率 打点 本塁打 盗塁 犠打 三振 年俸
1992年(19) 11 .222(27打数6安打) 5 2 0 0 8 430万
1993年(20) 8 .111(9打数1安打) 1 0 0 0 4 550万
1994年(21) 101 .281(192打数54安打) 36 8 0 2 49 660万
1995年(22) 129 .228(470打数107安打) 64 20 0 3 92 1600万
1996年(23) 110 .273(411打数112安打) 67 26 4 0 89 3190万
1997年(24) 128 .240(455打数109安打) 68 19 3 2 105 6000万
1998年(25) 132 .260(481打数125安打) 90 32 1 2 114 5600万
1999年(26) 135 .261(514打数134安打) 95 31 3 1 116 8800万

近鉄全盛期時代  -( 2000- 2002 )

中村紀洋(近鉄バファローズ)

中村紀洋氏といえば、なんと言ってもパワフルなフルスイングの打撃。

そしてホームランと確信したときの、バットを高く放り投げる姿は華麗なものでした。

特に2001年のシーズンでは、当時近鉄に在籍していたタフィ・ローズ選手が55本塁打を放ち、4番の中村紀洋選手が46本塁打をマークし二人で計101本塁打。

中村紀洋(いてまえ打線)ローズ

同一チーム2選手合計本塁打数

順位 記録 球団 年度 選手 選手
1 101 近鉄 2001年 ローズ:55 中村 紀洋:46
2 94 阪神 1985年 バース:54 掛布 雅之:40
3 93 巨人 2010年 ラミレス:49 阿部 慎之助:44
4 91 西武 2002年 カブレラ:55 松井 稼頭央:36
5 90 松竹 1950年 小鶴 誠:51 岩本 義行:39

いてまえ打線 (2001年成績)

1番 大村 直之 センター 試136 率.271(590打数160安打)本16 点53 盗5
2番 水口 栄二 セカンド 試110 率.290(403打数117安打)本3 点30 盗1
3番 T・ローズ レフト 試140 率.327(550打180安打)本55 点131 盗9
4番 中村 紀洋 サード 試140 率.320(525打数168安打)本46 点132 盗3
5番 礒部 公一 ライト 試140 率.320(537打数172安打)本17 点95 盗7
6番 吉岡 雄二 ファースト 試127 率.265(456打数121安打)本26 点85 盗2
7番 川口 憲史 指名打者 試124 率.316(358打数113安打)本21 点72 盗0
8番 S・ギルバート ショート 試76 率.267(255打数68安打)本6 点24 盗3
9番 的山 哲也 キャッチャー 試101 率.177(232打数41安打)本5 点25 盗1

「いてまえ打線」と呼ばれるに破壊力抜群の打線を担っていました。

この年、中村紀洋選手は46本塁打、132打点、打率3割2分をマークし、チームの優勝に大きく貢献。

打点王のタイトルも獲得したのです。

まさにこの年が中村紀洋選手の全盛期といえるでしょう。

前年の2000年には打点と本塁打の2冠に輝いています。

年度別打撃成績 – (2000 – 2002)

年度 試合数 打率 打点 本塁打 盗塁 犠打 三振 年俸
2000年(27) 127 .277(475打数132安打) 110 39 1 0 112 1億4000万
2001年(28) 140 .320(525打数168安打) 132 46 3 0 106 3億0000万
2002年(29) 140 .294(511打数150安打) 115 42 2 0 136 5億0000万

一方で、中村紀洋選手といえば、打撃ばかりに目が行きがちですが、実はサードを中心とした守備力にも非常に定評がありました。

柔らかいグラブ捌きと、的確な送球で、ゴールデングラブ賞を7度も受賞しています。

近鉄時代だけでなく、2007年から2年間在籍した中日でも、2度受賞しています。

中村紀洋(中日)

通算7度の受賞は、三塁手としては史上最多となっており、今も記録は破られていません。

また、サードだけでなく、必要があればショートを守ることもありました。

それだけ守備力は打撃と並んで定評があったのです。

タイトル・表彰

本塁打王 1回 (2000年)
打点王 2回 (2000年、2001年)
最高出塁率 1回 (2001年)
ベストナイン 5回 (1996年、1999年 – 2002年)
ゴールデングラブ賞 7回 (1999年 – 2002年、2004年、2007年、2008年)
月間MVP 5回 (1999年8月、2000年5月、2000年9月、2001年5月、2002年5月)
JA全農Go・Go賞 1回(好捕賞:2000年6月)
月間サヨナラ賞 1回 (2012年3・4月)
日本シリーズMVP 1回 (2007年)
オールスターゲームMVP 2回 (2001年 第3戦、2012年 第1戦)
オールスターゲーム優秀選手賞 1回 (2004年 第1戦)
オールスターゲーム敢闘選手賞 1回 (2013年 第1戦)
花のパ・リーグ大賞 1回 (1996年)
ゴールデンスピリット賞 1回 (2001年)
ベスト・ファーザー イエローリボン賞
1回 (2008年)

近鉄時代 後期 – ( 2003- 2004 )

年度別打撃成績 – (2003 – 2004)

年度 試合数 打率 打点 本塁打 盗塁 犠打 三振 年俸
2003年(30) 117 .236(381打数90安打) 67 23 1 0 96 5億0000万
2004年(31) 105 .274(387打数106安打) 66 19 0 0 88 5億0000万

メジャー挑戦  – ( 2005 )

中村紀洋選手は2005年にロサンゼルス・ドジャースとマイナー契約を結びました。

メジャーへ挑戦することになったのです。

しかし、アメリカで結果を残すことはできませんでした。

中村紀洋(ドジャース)

3Aではパワーのある打撃を見せましたが、三振も多く、定評のあった守備でも乱れが随所にありました。

メジャーでは17試合に出場しましたが、打率1割2分8厘という寂しい数字に終わりました。

このメジャー挑戦によって、中村紀洋選手の全盛期は終了したというイメージが強くなりましたね。

年度別打撃成績 – (2005 )

年度 試合数 打率 打点 本塁打 盗塁 犠打 三振 年俸
2005年(32) 7 .128(39打数5安打) 3 0 0 0 7 5000万

NPB復帰時代  – ( 2006- 2014 )

中村紀洋(ベイスターズ)

年度別打撃成績 – (2006 – 2014)

年度 試合数 打率 打点 本塁打 盗塁 三振 年俸
2006年(33)(オリックス) 85 .232(328打数144安打) 45 12 0 70 2億0000万
2007年(34)(中日) 130 .293(457打数111安打) 79 20 2 87 600万
2008年(35)(中日) 140 .274(493打数126安打) 72 24 0 119 5000万
2009年(36)(楽天) 77 .221(263打数160安打) 26 2 0 41 1億5000万
2010年(37)(楽天) 129 .266(473打数161安打) 64 13 0 84 1億5000万
2011年(38)(DeNA) 62 .209(115打数173安打) 14 1 0 27 500万
2012年(39)(DeNA) 126 .274(442打数158安打) 61 11 1 72 1500万
2013年(40)(DeNA) 122 .281(431打数168安打) 61 14 1 66 3000万
2014年(41)(DeNA) 13 .245(49打数12安打) 10 0 0 10 5000万
NPB通算:22年 2267 .266(7890/2101) 1348 404 22 1691

ノリの現在は?

中村紀洋氏は事実上、引退のような状態になっていますが、実はまだ現役引退を表明したわけではありません。

中村紀洋(黒ノリ・白ノリ)

2015年には野球教室の臨時コーチを務めるなど、打撃指導を行うこともしばしば。

このような様子を見ていると現役は引退しているのも同然ですが、あくまでも野球の世界で勝負し続けることが現役であるという事のようです。

一生勝負し続けるから、生涯現役なのだと語っています。

そんな中村紀洋氏は新たな勝負の舞台として高校の指導者の道を選びました。

中村紀洋(コーチ)

静岡にある浜松開誠館高の野球部の打撃コーチに就任する事になったのです。

元々、女子高だったこの浜松開誠館高ですが、1998年に共学になったことを受けて、野球部が創設されました。

現在は元中日の選手だった佐野心監督が指揮をしており、同じ中日のOBであることもあって、打撃コーチを依頼されたそうです。

まだ甲子園出場経験のない高校ですが、2000本安打を放った球史に残るスラッガーだった中村紀洋氏の打撃コーチ就任で、甲子園に出場できるのかが注目されます。

中村紀洋氏、浜松開誠館のコーチ就任へ ホームランバッター育成に意欲
中村氏は14年にDeNAを退団後、正式な現役引退表明はしていない。現在は兵庫・西宮市でスポーツスタジオ「N’s method」(エヌズ メソッド)を運営している。同スタジオ前で本紙の取材に応じた中村氏は「正式に決まったわけではないです。今度、理事長と会って話すので、そこでしっかり(皆さんに)話せばいいのかなと思っています」とし、明言は避けた。16年2月には学生野球資格を回復しており、関係者によると「自分がこれまでやってきたことを(高校球児に)教えたい。ホームランバッターを育てたい」と熱意を持っている。浜松開誠館高は1924年、誠心高等女学校として創立した私立校。98年の共学化に伴い現校名に変更された。文武両道で知られ、女子バスケットボール部は昨年全国高校選抜(ウィンターカップ)で8強入りしたほか、男子サッカー部は昨年県選手権で準優勝している。野球部は共学化に伴い創部され、02年に野球場が完成。03年秋季大会で春秋通じて初の県大会進出を決めた。13年には、78年センバツで浜松商を優勝に導き、04年春に常葉学園菊川(現常葉大菊川)監督として甲子園出場した磯部修三前監督を招へいした。磯部監督が左足の古傷のため勇退し、今年3月から元中日選手の佐野心氏(50)が監督に就任。佐野監督との縁で中村氏のコーチ就任が実現する見込みとなった。甲子園は春夏ともに未出場。夏は昨年の県大会4回戦が最高成績だ。同校を初の甲子園に導くことが、中村氏の新たな夢となりそうだ。

まとめ

高校野球部打撃コーチと言う新しい道に進むことになった中村紀洋氏。

それは野球という舞台での新たな挑戦であり、また野球の中で勝負し続けることになります。

プロのユニフォームを着て、プレーすることはないでしょうが、本人の中ではそればかりが現役ではないようです。

新たな舞台で、希望にあふれる高校生を指導し、甲子園出場の夢をかなえることで、あくまでも生涯現役で勝負し続けていくことになるのでしょう。

中村紀洋氏の中では、勝負し続けることに終わりはないということなのでしょう。

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