セリーグ連覇を果たした広島東洋カープ。
昨年は、惜しくも日本一は逃しましたが、悲願の優勝に選手もファンも歓喜しました。
そして連覇を目指してスタートした2017年シーズンも見事セ・リーグ優勝を飾りました。
そんな広島を率いる緒方孝市監督の経歴、そしてこれまでの采配について振り返ってみます。
緒方孝市の経歴・生い立ち
広島・緒方孝市監督は現在歳。佐賀県鳥栖市出身です。
緒方 孝市(おがた こういち)-監督:広島東洋カープ (2015 – )
生年月日 | 1968年12月25日(歳) |
出身地 | 佐賀県鳥栖市 |
身長 | 181cm |
体重 | 80kg |
ポジション | 外野手 |
投打 | 右投右打 |
プロ入り | 佐賀県立鳥栖高等学校〜広島1986年ドラフト3位 |
NPB通算:22年 | 試1808 率.282(5342打1506安打)本241 点725 盗268 |
幼少時代 佐賀県
3人兄弟の長男であり、実家は鳥栖市内で鮮魚店を営んでいました。
幼少時代の緒方監督は近所の公園で夜遅くまで素振りの練習をしていたそうです。
鳥栖高校時代 佐賀県 – ( 1984- 1987 )
高校は地元の鳥栖高校に進学、甲子園の出場経験はありません。
夏・甲子園 予選 – ( 1986)
回戦 | 対戦校 | 勝敗 | |
二回戦 | 神埼農 | ○ | 4-0 |
三回戦 | 唐津東 | ○ | 7-0 |
準々決勝 | 伊万里学園 | ○ | 7-3 |
準決勝 | 有田工 | ● | 1-2 |
ドラフト会議 – ( 1986 )
俊足で守備力もあり、3拍子揃った選手として広島のスカウトがその能力に注目。
1986年のドラフト3位で指名し契約金3000万円、年俸360万円で入団しました。
ドラフト指名選手 – ( 広島東洋カープ )
1位 | 栗田 聡 | 投手 | 三菱重工神戸 |
2位 | 小野 一也 | 投手 | 福岡・常磐高 |
3位 | 緒方 孝市 | 内野手 | 鳥栖高 |
4位 | 望月 一 | 投手 | 静岡高 |
奥さん・子供は?
緒方監督は現役時代の1996年のオフに、当時アイドルとして人気があった中條かな子さんと結婚しました。
緒方 かな子(おがた かなこ)-タレント
生年月日 | 1973年3月4日(歳) |
出身地 | 広島県広島市中区 |
身長 | 162cm 公称サイズ(1991時点) |
体重 | 48kg 公称サイズ(1991時点) |
スリーサイズ | 89 – 59 – 87 cm 公称サイズ(1991時点) |
その後、子宝にも恵まれ、3人のお子さんがいらっしゃいます。
一番上のお姉さんはお母さん譲りの美人として一時、話題となったほどです。
プロ入り後の野球人生は?
俊足で守備範囲も非常に広く、打撃でもミート力がある3拍子揃った選手だった緒方孝市監督の現役時代。
下積み時代 – ( 1987 – 1994 )
高校時代は内野手でしたが、強肩を生かして外野手に転向。
2年目の1988年には1軍デビュー。
いきなりプロ初安打が本塁打となりました。
入団以降、毎年のように怪我に泣かされますが、入団5年目の1991年には102試合に出場。
打率は1割8分5厘と低いものでしたが、チームのリーグ優勝にも貢献。
球団から将来の主力選手としての期待も大きなものでした。
年度別打撃成績 -(1987 – 1994)
1986年(17歳) 広島ドラフト3位 契約金3,500万円
年度 | 試合数 | 打率 | 打点 | 本塁打 | 盗塁 | 犠打 | 三振 | 年俸 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1987年(18) | 0 | – | – | – | – | – | – | 360万 |
1988年(19) | 1 | .200(5打数1安打) | 1 | 1 | 0 | 0 | 2 | 360万 |
1989年(20) | 2 | –(0打数0安打) | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 380万 |
1990年(21) | 32 | .357(14打数5安打) | 4 | 2 | 2 | 0 | 3 | 400万 |
1991年(22) | 102 | .185(200打数37安打) | 11 | 5 | 12 | 8 | 37 | 410万 |
1992年(23) | 86 | .226(115打数26安打) | 10 | 3 | 18 | 3 | 21 | 1000万 |
1993年(24) | 93 | .240(150打数36安打) | 21 | 4 | 14 | 8 | 36 | 1300万 |
1994年(25) | 57 | .278(126打数35安打) | 14 | 5 | 12 | 2 | 25 | 1850万 |
レギュラー時代 – ( 1995 – 1999 )
相次ぐ故障にも見舞われますが、1995年には主力選手として徐々に頭角を現します。
47盗塁で初の盗塁王に輝くと、そこから3年連続で盗塁王のタイトルを手にしました。
それとともに、1997年には23本塁打をマークし長打力も備わります。
先頭打者ホームランがNPB歴代5位の通算28本。
通算初回先頭打者本塁打
順位 | 選手(主な所属球団) | 記録 | 内訳 |
---|---|---|---|
1位 | 福本 豊(阪急) | 合計 43 本 | (表回:24本 裏回:19本) |
2位 | 真弓明信(阪神) | 合計 41 本 | (表回:24本 裏回:17本) |
3位 | 高橋 慶彦(広島) | 合計 34 本 | (表回:13本 裏回:21本) |
4位 | 石毛 宏典(西武) | 合計 30 本 | (表回:18本 裏回:12本) |
5位 | 緒方 孝市(広島) | 合計 28 本 | (表回:22本 裏回:6本) |
6位 | 柴田 勲(巨人) | 合計 25 本 | (表回:9本 裏回:16本) |
7位 | 仁志 敏久(巨人) | 合計 24 本 | (表回:9本 裏回:15本) |
8位 | 山崎 裕之(西武) | 合計 22 本 | (表回:9本 裏回:13本) |
守備は、主にセンターを守っていましたが、その守備力も非常に高く、1995年から5年連続でゴールデングラブ賞にも輝いています。
1999年には打率3割5厘、36本塁打という成績を残し中軸として活躍。
盗塁が18にとどまったために、惜しくもトリプルスリーは逃しました。
それでも近い将来達成できる可能性がある選手ともされていました。
年度別打撃成績 -(1995 – 1999)
年度 | 試合数 | 打率 | 打点 | 本塁打 | 盗塁 | 犠打 | 三振 | 年俸 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1995年(26) | 101 | .316(272打数86安打) | 43 | 10 | 47 | 4 | 45 | 1850万 |
1996年(27) | 129 | .279(516打数144安打) | 71 | 23 | 50 | 9 | 129 | 4200万 |
1997年(28) | 135 | .271(528打数143安打) | 57 | 17 | 49 | 9 | 93 | 7200万 |
1998年(29) | 107 | .326(380打数124安打) | 59 | 15 | 17 | 5 | 61 | 1億0000万 |
1999年(30) | 132 | .305(495打数151安打) | 69 | 36 | 18 | 2 | 76 | 1億1000万 |
惜しくもトリプルスリーを逃した1999年オフ、FA権を取得。
当時、巨人監督の長嶋茂雄氏から「現在のプロ野球で最高の野手」と熱烈なラブコールを受けるも「カープ愛」を貫き残留を決意します。
広島緒方新監督誕生 長嶋茂雄氏も振った28年の「カープ愛」 2014年10月15日
現役時代の緒方氏には、あの「ミスタープロ野球」がゾッコンだった。走攻守三拍子揃った外野手として盗塁王を3度獲得。99年、自己最多の36本塁打を放ってFA権を取得すると、当時の巨人・長嶋茂雄監督から「現在のプロ野球で最高の野手」と熱烈なラブコールを受けた。が、緒方氏はこれをソデにして広島に残留。この時から「幹部候補生」として、今回の監督就任を約束されたも同然だった。「FAの際の身の振り方が象徴するように、生真面目で責任感が強く、派手なことを嫌う性格。地味だが、芯の通った男です。同じ九州人でも大分県出身の野村前監督とは違って、オレがオレがというところがない。佐賀県人らしい実直な性格。96年に、人気絶頂だったグラビアアイドルの中條かな子と結婚した際も、『アイドルを好きになったのではなく、好きになった人がアイドルだった』と言っていた。金本知憲ら当時の主力がみな恩師と慕った三村元監督が、中でも目をかけていたのが緒方だった。自らの現役時代の背番号9を禅譲し、『こいつがワシの後継者じゃ』と言っていたのを思い出す。選手としての能力、人間性をそれほど高く評価していたのです」
怪我との戦い – ( 2000 – 2005 )
2000年から選手会長に就任し、名実とも広島東洋カープの顔として活躍が期待されました。
ところが、2000年〜2001年にかけて、またも故障に悩まされ出場機会が激減。
苦しいシーズンが続きました。
しかし2002年からは、再び外野のレギューラーとして見事復活します。
2002年、2003年と2年連続で20本塁打以上、打率3割をマークしました。
それでも、かつてのような盗塁をばんばん決める姿はなくなりました。
年度別打撃成績 -(2000 – 2005)
年度 | 試合数 | 打率 | 打点 | 本塁打 | 盗塁 | 犠打 | 三振 | 年俸 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2000年(31) | 21 | .182(66打数12安打) | 10 | 3 | 1 | 1 | 15 | 1億6000万 |
2001年(32) | 64 | .245(159打数39安打) | 29 | 8 | 1 | 5 | 26 | 1億3000万 |
2002年(33) | 130 | .300(476打数143安打) | 73 | 25 | 4 | 5 | 95 | 1億1000万 |
2003年(34) | 136 | .300(530打数159安打) | 82 | 29 | 8 | 13 | 100 | 1億3000万 |
2004年(35) | 122 | .292(456打数133安打) | 64 | 26 | 4 | 2 | 87 | 1億6500万 |
2005年(36) | 122 | .306(431打数132安打) | 57 | 21 | 3 | 3 | 65 | 1億4500万 |
晩年 – ( 2006 – 2009 )
その後も故障やケガに悩まされ、2009年に引退を決意。
引退試合では3塁打を放ち、全盛期を思わせるようなハツラツしたプレーを見せました。
年度別打撃成績 -(2006 – 2009)
年度 | 試合数 | 打率 | 打点 | 本塁打 | 盗塁 | 犠打 | 三振 | 年俸 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2006年(37) | 81 | .284(215打数61安打) | 29 | 6 | 2 | 1 | 33 | 1億4500万 |
2007年(38) | 33 | .181(83打数15安打) | 4 | 0 | 1 | 1 | 19 | 1億0000万 |
2008年(39) | 69 | .197(76打数15安打) | 10 | 2 | 2 | 0 | 10 | 4500万 |
2009年(40) | 53 | .184(49打数9安打) | 7 | 0 | 2 | 0 | 2 | 4500万 |
通算:22年 | 1808 | .282(5342打数1506安打) | 725 | 241 | 268 | 38 | 980 | – |
タイトル・表彰
盗塁王 | 3回 (1995年 – 1997年) |
ゴールデングラブ賞 | 5回 (外野手部門:1995年 – 1999年) |
月間MVP | 1回 (野手部門:1995年9月) |
JA全農Go・Go賞 | 2回 (強肩賞:1996年9月 好走塁賞:1998年4月) |
スピードアップ賞 | 1回 (2003年) |
最優秀監督賞 | 1回 (セ・リーグ連盟特別表彰:2016年) |
ユーキャン新語・流行語大賞 | 年間大賞(2016年、「神ってる」、鈴木誠也と共同で受賞) |
巨人・緒方耕一と広島・緒方孝市
緒方孝市監督というと、元巨人の緒方耕一さんも合わせて思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。
緒方 耕一(おがた こういち)-現役:読売ジャイアンツ (1987 – 1998)
生年月日 | 1968年9月2日(歳) |
出身地 | 熊本県熊本市 |
身長 | 175cm |
体重 | 68kg |
ポジション | 内・外野手 |
投打 | 右投両打 |
プロ入り | 熊本県立熊本工業高等学校〜巨人1986年ドラフト6位 |
NPB通算:9年 | 試685 率.263(851打486安打)本17 点130 盗96 |
漢字は違いますが、読みは同じ。
しかも同い年で、出身はどちらも九州。
さらにどちらもイケメンで盗塁王のタイトルも複数回獲得しています。
名前の読みが同じだけでなく、実は共通点も非常に多いのです。
当時は、同じ名前、同い年というこうとでお互い意識しあったライバル関係だった事が伺えますね。
タイトル・表彰
盗塁王 | 2回(1990年、1993年) |
イースタン盗塁王 | 1回 (1988年) |
巨人・緒方耕一氏は、緒方孝市監督よりも早く1998年30歳で引退。
その後は解説や巨人、WBC日本代表の外野守備・走塁コーチ等を歴任されています。
緒方孝市監督は有能なのか
広島の監督に就任して今年で3年目を迎えた緒方孝市監督。
監督1年目 – ( 2015 )
監督1年目は、エース前田健太投手、メジャーから広島に電撃復帰した黒田博樹さんが揃い、優勝は間違いないとされていた中で、4位に終わるという悔しいシーズンとなりました。
前田 健太(まえだ けんた)-広島東洋カープ (2007 – 2015)
特に1年目は、自分自身のたっての希望でドラフト1位で獲得した野間峻祥選手を、やたらと起用したがり、ファンの間では「隙あらば野間」という言葉まで生まれるほど。
野間 峻祥(のま たかよし)-広島東洋カープ (2015 – )
また不可解な盗塁をさせたり、守備固めを行わなかったりと、1年目の采配ミスは枚挙に暇がないくらいで、「無能」ともされていました。
年度別監督成績 -リーグ公式戦
年度 | 球団 | 順位 | 試合 | 勝利 | 敗戦 | 引分 | 勝率 | ゲーム差 | 本塁打 | 打率 | 防御率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2015年(46) | 広島 | 4 | 143 | 69 | 71 | 3 | .493 | 6.5 | 105 | .247 | 2.92 |
監督2年目 – ( 2016 )
しかし、2年目のシーズンからはコーチとも連係。
野手では「タナキクマル」と呼ばれる上位打線を組み、若手を積極的に起用。
黒田博樹さんや新井貴浩選手といったベテランと若手が上手く融合して、見事に25年ぶりの優勝へと導きました。
年度別監督成績 -リーグ公式戦
年度 | 球団 | 順位 | 試合 | 勝利 | 敗戦 | 引分 | 勝率 | ゲーム差 | 本塁打 | 打率 | 防御率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2016年(48) | 広島 | 1 | 143 | 89 | 52 | 2 | .631 | – | 153 | .272 | 3.20 |
監督3年目 – ( 2017 )
3年目も昨年の勢いそのままにセ・リーグ連覇を果たしました。
今季は、自身初の退場処分を受けるなど、熱血漢ぶりも発揮しています。
緒方監督プロ初退場 “誤審続き”ブチ切れた!試合後は対応せず険しい表情 2017.4.20
現広島の緒方孝市監督(48)が、現役時代を通じても初の退場処分を受けた。七回2死一、二塁。遊撃へのゴロを放った小窪が一塁へヘッドスライディングし、際どいタイミングがアウトと判定された。これに指揮官が猛抗議。一塁の山路塁審に暴言を吐いたとして退場となった。チームは今永の前に1安打で今季初の零敗。20日は悔しさを晴らしカード勝ち越しを決める。3点を追う七回だった。2死一、二塁で小窪が遊撃へゴロを放つ。全力疾走し、一塁へヘッドスライディング。際どいタイミングに判定は「アウト」。その瞬間、緒方監督がベンチから鬼の形相で飛び出した。
監督就任当初は采配ミスも多かった緒方監督ですが、現在の広島の快進撃を見ていると、有能な監督に変貌しつつあるということなのでしょう。
年度別監督成績 -リーグ公式戦
年度 | 球団 | 順位 | 試合 | 勝利 | 敗戦 | 引分 | 勝率 | ゲーム差 | 本塁打 | 打率 | 防御率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2017年(49) | 広島 | 1 | 143 | 88 | 51 | 4 | .633 | – | 152 | .273 | 3.39 |
まとめ
監督1年目は「無能」と評価されていた広島・緒方孝市監督。
しかし、2年目に長年優勝から遠ざかっていたチームを優勝に導き、そして今年も連覇を果たしました。
こうなってくると、もはや「無能」とは呼べないでしょう。
この先、実績を積み重ねれば、一躍「名将」となることでしょう。
広島に、プロ野球の歴史に名を残すような新たな名将が誕生するか、これからの広島の行方が注目されます。