昨年、10年ぶりの日本一に輝いた北海道日本ハム。
今季は「二刀流」大谷翔平選手の離脱もあって、思うように成績が伸びてきません。
そんな北海道日本ハムを率いるのは栗山英樹監督。
実はまだ独身という栗山監督ですが、現役時代はどのような成績を収めたのでしょうか?
栗山英樹の経歴・生い立ち
1961年4月26日生まれの歳。
栗山 英樹(くりやま ひでき)- 監督歴:北海道日本ハムファイターズ (2012 – )
生年月日 | 1961年4月26日(歳) |
出身地 | 東京都小平市 |
身長 | 176cm |
体重 | 74kg |
ポジション | 外野手 |
投打 | 右投両打 |
プロ入り | 創価高〜東京学芸大学〜ヤクルト1983年 ドラフト外 (1984 – 1990) |
NPB通算:7年 | 試494 率.279(1204打336安打)本7 点67 盗23 |
東京都出身の北海道日本ハム・栗山英樹監督。
小学校時代に軟式野球を始めますが、中学時代にはバレー部に所属していたことも。
しかし、一方で野球では地元のチームでエースを務め、日米大会に出場するほど、スポーツ万能でした。
中学卒業後は、熱心なスカウトもあって甲子園を目指し創価高校に進学。
創価高校時代 – ( 1977- 1980 )
1年時からベンチ入りし、3年時には主将兼エースで4番というチームの軸として活躍。
3年夏は、優勝候補として期待され西東京大会で惜しくも4回戦で敗退。
層の厚い東京地区で、甲子園出場には至らず。
第61回選手権大会 3年生時・夏 – ( 1979 )
回戦 | 対戦校 | 勝敗 | |
二回戦 | 烏山工 | ○ | 10-0 |
三回戦 | 武蔵村山 | ○ | 7-2 |
四回戦 | 東大和 | ● | 3-10 |
卒業後は教員を目指して東京学芸大学教育学部に進学します。
東京学芸大学時代 – ( 1980 – 1984 )
入学当初は投手でしたが、途中で野手に転向。
投手としてはリーグ25勝、野手としてもシュアな打撃で4割近い打率をマーク。
今やチームに所属する大谷翔平選手のような「二刀流」を実現できそうな選手でした。
大学成績
年度 | 投手成績 | 打者成績 |
---|---|---|
80〜83年 | 25勝8敗 | .389(リーグ3位) |
ドラフト外入団 – ( 1984 )
そのセンスでヤクルトの入団テストを受け、1983年の今では育成契約に似たような存在とも言えるドラフト外でヤクルトに入団しました。
ドラフト外は、1990年に廃止されています。
栗山英樹の現役時代はどんな選手
昨年、北海道日本ハムを10年ぶりの日本一へ導いた監督だと聞けば、きっと現役時代も素晴らしい成績を残していたのだろうと思うかもしれません。
主にセンターを守りましたが、実働7年で494試合に出場し、336安打、7本塁打、打率2割7分9厘と、けして目立った成績を残すことはできませんでした。
年度別打撃成績
1983年 (22歳) ドラフト外
年度 | 試合数 | 打率 | 打点 | 本塁打 | 盗塁 | 年俸 |
1984年(23) | 2 | .000(1打数0安打) | 0 | 0 | 0 | 300万 |
1985年(24) | 29 | .278(18打数5安打) | 1 | 0 | 1 | 320万 |
1986年(25) | 107 | .301(239打数72安打) | 14 | 4 | 8 | 450万 |
1987年(26) | 72 | .196(92打数18安打) | 5 | 0 | 0 | 810万 |
1988年(27) | 90 | .331(338打数112安打) | 17 | 0 | 7 | 780万 |
1989年(28) | 125 | .255(420打数107安打) | 26 | 2 | 4 | 1380万 |
1990年(29) | 65 | .229(96打数22安打) | 4 | 1 | 3 | 2000万 |
NPB通算:7年 | 494 | .279(1204打数336安打) | 67 | 7 | 23 | – |
選手時代は俊足巧打のいい選手だったイメージがあり、なぜ野村克也監督は起用しなかったのかと疑問がありました。
野村 克也(のむら かつや)- 監督歴:ヤクルトスワローズ (1990 – 1980 )
意外と並以下の選手だったことがわかりました。
キャリアハイ(規定打席到達)の成績です。
.255(420-107) 2本 26打点 4盗塁
えっ、驚きですね。
打てない走れない、守備は良かったようですが、この成績では使えませんね。
そのわりには知名度も高く、当時の主力・広澤克己選手、池山隆寛選手と並び人気選手の一人だったと記憶にあります。
広澤 克己(ひろさわ かつみ)- ヤクルトスワローズ (1985 – 1994)
池山 隆寛(いけやま たかひろ)- ヤクルトスワローズ (1984 – 2002)
そういった人気と実力が比例しない辺りを野村克也監督は、嫌っていた要素だとも言われています。
ヤクルト打線 (1989年度成績)
1番 | 笘篠 賢治 | セカンド | 試120 率.263(429打数113安打)本5 点27 盗32 |
2番 | 栗山 英樹 | センター | 試125 率.255(420打数107安打) 本2 点26 盗4 |
3番 | 池山隆寛 | ショート | 試130 率.264(484打数128安打)本34 点74 盗8 |
4番 | パリッシュ(本塁打) | ファースト | 試130 率.268(493打数132安打)本42 点103 盗2 |
5番 | 広澤 克己 | ライト | 試130 率.270(470打数127安打)本17 点59 盗11 |
6番 | 荒井 幸雄 | レフト | 試110 率.272(323打数88安打) 本4 点38 盗7 |
7番 | 角 富士夫 | サード | 試96 率.266(282打数75安打)本5 点32 盗0 |
8番 | 秦 真司 | キャッチャー | 試84 率.290(245打数71安打)本8 点28 盗2 |
9番 | 内藤 尚行 | ピッチャー | 登41(先発15) 防2.82(12勝5敗8s)投163.0 振97 |
ただ二年目からはメニエール病と闘いながらの現役生活で、長期入院もあり、選手としてコンディションをキープするのは相当大変だったようです。
※ メニエール病とは激しい回転性の眩暈、耳鳴り、難聴、耳閉感の症状が同時に重なる症状を繰り返す内耳の疾患
監督として有能?
引退後はコーチの経験もなく、スポーツキャスターとして活躍していた栗山監督。
現役引退後はニュースステーションの野球コーナーでのクリさんが印象深いですね。
端正な顔立ちで表情も豊かで、トークもお上手で、大変華やかなスポーツキャスターでした。
2012年、北海道日本ハムの監督に抜擢され、いきなり1年目からチームを優勝に導きました。
しかし、その翌年には最下位も経験。
ところが、2016年にはパリーグを制覇し、広島との日本シリーズでも勝利し、チームを10年ぶり、 自身初の日本一に輝いたのです。
監督成績 – 北海道日本ハムファイターズ (2012 – 2016 )
年度 | 順位 | 試合 | 勝利 | 敗戦 | 引分 | 勝率 |
---|---|---|---|---|---|---|
2012年(51) | 1位 | 144 | 74 | 59 | 11 | .556 |
2013年(52) | 6位 | 144 | 64 | 78 | 2 | .451 |
2014年(53) | 3位 | 144 | 73 | 68 | 3 | .518 |
2015年(54) | 2位 | 143 | 79 | 62 | 2 | .560 |
2016年(55) | 1位 | 143 | 87 | 53 | 3 | .621 |
監督通算:5年 | – | 718 | 377 | 320 | 21 | .541 |
そんな栗山監督は「ハンカチ王子」斎藤祐樹投手をやたらと1軍で起用したがったり、大谷翔平選手を「二刀流」として育てるなど、何かと話題になっています。
不可解さを感じる面と、英断だったと評価される側面を持ち合わせています。
大谷翔平選手には手紙で思いを伝えるなど、マメなところもあるようです。
前略 大谷翔平様「まだまだ」栗山監督からの手紙 2016年10月31日
日本ハム栗山英樹監督(55)が、初の日本一を勝ち取った。敵地2連敗スタートの後、早めの継投策を繰り出すなど積極的に動き、4連勝に導いた。就任1年目の12年日本シリーズで巨人に2勝4敗で敗れた雪辱を果たし、広島の夜空に8度舞った。また、日本一に投打で貢献した大谷へ向けた直筆の手紙を寄せた。
<栗山監督が大谷に向けた手紙>
前略 大谷翔平様
チームを勝たせろ!と入団以来ずっと言って来ました。
2016年 日本一、一つの約束を果たしました。翔平にとってどんな一年だったのでしょうかさらなる成長のため、進むべき道がはっきり見え始めたシーズンになったなら本当に嬉しい限りです。
いつも厳しいことしか言いませんが今日は一つだけ伝えます。翔平の道がどこにあるのか、翔平のファーストへ向かう姿、走塁にあると思っています。投手であっても常に全力で絶対にセーフになってやろうとする姿。シリーズでも初戦でベースを踏む際足首を軽く捻り心配しましたが、最後まであの全てをかけてファーストを駆け抜ける姿を貫きました。常に全力を出し尽くす魂。そんな姿にしか野球の神様は微笑み
ません。野球の神様に愛されなければ天下は取れないのです。二刀流もその最も必要な魂があるからこそ成り立っていると思っています。
これからが本当の大勝負です。成績が残り始めても、今の思いで野球に 向きあっていけるかどうか、身体や技術はもちろん大切ですが、最も大切な魂をさらに強くしながら前に進めるかどうかです。まだまだありがとうとは言いません。翔平に始めて会った時に聞いた夢。それを実現した時みんなが“ありがとう”と口にするはずです。その時を待っていたいと思います。
翔平“まだまだ”誰も歩んだことのない道は無限に広がっています。野球を愛してくれる人のため仲間のため、次代を担う子供達のためそして自分のため全力で走ってくれること信じています。
早々 栗山英樹(原文まま)
シーズンが終わるとはいえ、チームの指揮官が選手個人に対して手紙を書く。むちゃなお願いだ。だが日本ハム栗山監督は応えてくれた。便箋5枚。ていねいにしたためていただいた。紙面に載るものだから、すべての本音は書けないだろう。それでも、行間から4年間ともに歩んだ大谷への愛情が伝わってくる。
ところが、2017年シーズンはチームも不振に苦しみ、低迷を続けています。
優勝の翌年、成績を下げる傾向にあるようで、今回は「休養」の話題もチラホラ出るほど。
5年間で2度の優勝へ導いており、監督として有能であるとは思われますが、波が激しいのも特徴です。
未だ独身なのはなぜ?
今年で56歳となる栗山監督。
多くの謎を残しているのは、今だ未婚とゆうことです。
勝手にゲイなのかと想像しておりましたが、実際は違うようです。
これまで56年間でまったく結婚にご縁がなかったわけではなく、婚期を活かすことができずに独身生活を貫かずにはいられなかったというのが理由のようです。
栗山監督はかつて、今はあのイチロー選手の奥様として知られている福島弓子さんと付き合っていた時期があるようです。
しかも、結婚目前まで進んでいましたが、そのタイミングで福島弓子さんのお姉さんの不倫騒動によって、栗山監督のお父さんが結婚に反対し、ご破算に…。
その影響もあるのかもしれません。
その他にもテニスの伊達公子さんや長嶋茂雄さんの娘でもある長嶋三奈さんとの交際の噂もありました。
また何とあの石原さとみさんとの交際の噂もあったようです。
石原さとみさんとは大きな共通点も・・・
芸能関係者によると「テレビで知り合い、栗山監督が一目ぼれ。
知人と何度も食事をしているようです。
二人は創価高校の先輩・後輩。
石原さとみは両親も含めエリート学会員で知られており、お似合いですね。
歳の差はありますが、学会の繋がりからもしかしたら熱愛に発展するかもしれません。
数多くの交際の噂があった栗山監督。
ただ女性の好みに相当うるさいようで、それが未婚の原因とも言われております。
しかし、独身を謳歌しているようで、栗山監督の家は北海道にあり、同じ名前の栗山町に自宅を構え、「終の棲家」として、今も生活しています。
現在でも独身を貫いています。
まとめ
昨年日本一に輝いた北 海道日本ハム。
しかし、昨年の勢いからは一転、大谷翔平選手の長期離脱がチームに大きな影を落としており、現在もパリーグの下位に低迷しています。
優勝した翌年に成績を落とす傾向がある栗山監督。
ここから、どうチームを立て直していくかが注目されます。
そして私生活では独身を貫くのか、また新しい交際の噂 が飛び出すのか、こちらも注目です。